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因縁  作者: メンタン
1章 キャリアスタート
8/22

入社

 四月某日


 待ちに待った入社日を迎えた。愛知豊田市への引っ越しも終わり、一人暮らしをしている。

 汚れ一つないワイシャツへ、しっかりとアイロン掛けをし、ハンガーからスラックスを下ろす。

 斉藤製作所では、背広は不要である。

 スラックスにワイシャツを着用し、上着は白にベージュがかった作業服が基本的なスタイルだ。


 色褪せもなく、初々しさは満載だろう。

 改めて、鏡で自分の姿見を確認した。うむ、頼りなさそうだ。


 身支度を整え、出社の準備を進めていくが、少し早かっただろうか。時計は七時二十分を指していた。


 斉藤製作所においては、定時時間が午前八時半~午後五時半となっている。

 また、少し特殊ではあるが、土日は完全に休みで、祝日はほぼ出勤日として指定されていた。

 その代わりに、大型連休は各十連休弱の休日が付与される。


 愛知県の自動車製造業においては、どの会社も似たような形態らしい。

 それは、愛知自動車のカレンダーに合わせているためである。


 愛知自動車はジャストインタイム生産方式を採用し、カンバンを用いて理想的な流通を実現した、初めての会社といえるだろうか。

 その形態は、様々な業種において採用されていると、本で読んだ記憶がある。


 弱点としては、必要以上の在庫は作らない方式のため、供給者(サプライヤー)が被災などで部品の供給が滞ると、組み立てラインがストップする可能性が非常に高いことが言えるだろうか。


 斉藤製作所において年間休日数は、百二十日を越える。

 愛知県の製造業は、休日数の観点で言えば非常に恵まれた環境にあると言えるのではないだろうか。


 私は戸締まりをして、家から出た。

 曇一つない、晴れ晴れとした天気に心地よさを感じる。


 駐車場に行き、車に乗り込むが、まだ新車の独特な匂いが自分の心境と重なってしまう。


 会社へは早めに出たが、それには理由がある。

 豊田市の風物詩だそうだが、この地域は、愛知自動車及びサプライヤーの工場が点在しており、早朝の混雑は並大抵ではないそうだ。


 だが、今日に至っては早く出たせいか混雑は気にはならない程度であった。



 会社の駐車場へ到着すると、疎らに車が止まっている。

 適当な位置に停めようとした時、一人の男性が声をかけてきた。


「君新人の子でしょ。そこ係長の場所だから入口から遠い奥に停めた方がいいよ。通称"ペーペーパーキング"ね」


 斉藤製作所の制服を羽織っていたが、若手社員の一人だろうか。その"ペーペーパーキング"とやらに車を停め、車から降りると先ほどの男性が近づいてきた。

 先ほどはよく見えなかったが、スラックスを履いているあたり、営業ないし事務方の社員だろうと推測した。


「おはよう。迫田君だっけ。営業部の先輩になる常谷(つねたに)です。よろしく」


 率直に言えば、いかにも優しそうな人だと感じた。


「おはようございます。新入社員の迫田です。よろしくお願いいたします」


 丁寧に挨拶をすると、常谷さんは笑いながら応える。


「固くならんでいいよ。俺にはよろしくっす みたいな感じでいいからね」


 桜井係長といい、フランク過ぎて逆に遠慮をしてしまう位なものだが、普通の会社はこんなものなのだろうか。


 何せ他の会社を知らない上に、普通の会社のイメージと言えば、規律に厳しく、マニュアルが云々など挙げるときりがない。

 軽い談笑をしながら事務所につくと、こちらに気付いた桜井係長が駆け足でこちらに向かってきた。


 その刹那、私の両肩を掴んだ。


「待ちわびた、少年よ!」


 と、叫ぶ。


 常谷は苦笑いを隠せず、傍らを通る事務員はやれやれといった表情だ。


 そして、何より聞き覚えがあると思えば、私が好きなアニメの台詞ではなかろうか。

 以前桜井係長に何気なく聞かれて、あるアニメが好きと答えたが、わざわざアニメを見たのだろうか。

 少し声真似も入っている気がする。


 すると、すかさず常谷さんが口を開いた。


「この人バカだから話さない方がいいよ。バカが移っちゃうよ」


 と、言いつつケラケラ笑っている。桜井係長は全く怒らず一緒に吹き出している。


 俺たち友達同士なのかと、ツッコミを入れたくなるやり取りだけでもこの会社の営業部の雰囲気は伝わるだろうか。


 そう話していると、背が高い営業と思わしき男性が事務所に入ってきた。


「おはようございます。あれ、またアホなことやってるんですか」


 と、桜井係長に話しながら、こちらに向き直る。


「あ、俺営業の安田ね、よろしく。この人たち相手にしたらきりないでな。悪い見本だから」


 そう言うがこれだけのことを部下に言われても、桜井係長は怒る様子はない。

 それどころか、冗談に冗談を重ねて応じている。これだけ間抜けなやり取りを見せられては逆に緊張する方が難しいであろう。



 時計は八時前を指していた。

 桜井係長が常谷と安田に「お前らのせいだ」と、言いつつ私に入社式の流れをさっと説明した。


 毎月の稼働日初日に、全体朝礼が実施される。社長は居たり居なかったりだそうだが、今日はくるらしい。

 そういえば私はまだ社長に会ってはいない。初の会社訪問以降の、給与などの話の際も、桜井係長としか会ってはいない。

 中小企業に有りがちらしいが、桜井係長には雇用者選定から雇用条件まで、かなりの権限が持たされているのだろうか。それだけ信頼が厚いといったところか。


 八時になり、大会議室へ入ると営業から、日勤当番の製造部の方々まで勢揃いしている。

 現場の方は金髪ピアスの人も居れば、外人の方まで様々である。先ほど解れた緊張がまた襲ってきた。


 と、その時である。耳に不快な感覚が走る。桜井係長がニヤニヤしながら、耳に息を吹き掛けていた。


 耳は性感帯といっても差し支えない程度の感覚器官ではあるが、率直に申し上げて、この人は馬鹿なのではないかと思った。だが高まった緊張も幾分解れた様に感じる。


 桜井係長の解読不能な行動は捨て置いて、感謝するとしよう。


 8時になると社長が入ってきた。こんな会社なら芸人みたいな社長なのかと想像して、吹き出しそうになったのを堪えた。


 しかし、社長は普通の方だった。残念と捉えるべきか… と、考えること自体が、すでにこの会社に毒されているのだろうか。


 社長が淡々と売上や利益について話していく。


 その後、社長が桜井係長に目配せをした所で入社式となった。特に変わったことをするでもなく、ただ一言挨拶をして拍手喝采で終わるのみであるらしい。


 桜井係長から立って挨拶をするよう促された。


「営業部に入社いたします迫田一と申します。皆様には多々ご迷惑をおかけすると存じますが何卒宜しくお願いいたします」


 まるでテンプレートのような挨拶に面白味もないが、拍手が沸き起こる。


 そして係長桜井が立ち上がった


「えー、迫田君は国立名東大学出身のわが社唯一の秀才です。彼から学ぶことも多いでしょうし、皆で会社をもり立てていきましょう」


茶化し半分真面目半分といったところか。

そこで社長が桜井係長を攻撃した。


「アホな桜井君をヒラ社員にして迫田君を係長にするか」


 と、ヤジが飛ぶ。


 桜井係長は私に「何卒ご鞭撻の程宜しくお願いします」と、いいつつお辞儀をした。


 それを見て皆が笑っていた。

 会社全体が活気付いているのが分かる。これからの仕事が楽しみにもなった。

・サプライヤー

部品を供給する仕入れ先のことを指す。下請けと言った方が理解は早いかもしれない。


・ジャストインタイム生産方式

必要なものを必要なときに必要な量だけ生産する方式のこと。


・カンバン

ジャストインタイム生産方式で用いられる生産指示票のこと。


小説内に登場する愛知自動車はサプライチェーンを愛知県に集約しており、効率的な部品供給を可能としている。ただし、全国津々浦々にもサプライヤーが多数存在している。

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