独立
私はここ最近、一人暮らしを始めるため、準備に追われていた。
だがその準備も、愛知県豊田市への家財道具の移動が終わり、一人暮らしを始める準備はほぼ整ったところだ。
私が住むアパートは会社から、自動車で15分ほどだろうか。
実家から最後の荷物を運びだし、遂に実家を離れる際の感慨深さは表現しきれない。
前日には、両親と晩酌を交わした。苦手なビールも、その日ばかりは美味しく感じたものである。
「はじめぇ、遂に一人暮らしかあ。やっていけるか。大丈夫かあ。なあ、母さん」
母に話を振るも、母は泣いていた。
この人たちは本当に変わらない。
今後私にもこんな暖かな家庭を築けるだろうか。いや、築きたい。そんな思いが自然と溢れた。
今日は残りの小さい荷物を車に積んで引っ越すことになっている。
実は、卒業祝いと入社祝いを兼ねて、両親からは自動車を買い与えられていた。
至って普通の『FAT』と言う車である。排気量が1500ccの5ナンバー車だが、名前とは裏腹に、キビキビ走ってくれる良い車であると感じていた。
しかし、愛知自動車の城下町でありながら、他社のメーカーの自動車を選んだのは父親の好みであったことは否めない。
ちなみに桜井係長には、問題がないことを確認済みである。
さて、ついに実家を離れるときが来てしまった。
母は泣きすぎて阿鼻叫喚であった。
父はそれを宥めながら、私に声をかける。
「がんばれよ、サラリーマン」
「うん!」
そう言って、父と固い握手を交わした。
行く宛てのない私を拾い、ここまで育ててくれた、そのご恩は絶対に忘れまい。
私は車に乗り込み、クラクションを小さく鳴らして発進した。
バックミラーに写る、実家と両親が小さくなっていく。
「ありがとう…」
私の心からのお礼を、小さく呟いた。
そのまま、国道23号で四日市方面へと向かう。国道23号は基幹道路の一つといえる道路だと言えるだろう。
愛知県の道路を覚えるならば国道1号、国道153号、国道23号、国道248号などを覚えておくと何かと便利である。
1号や23号は三重方面から名古屋を通過し、岡崎や田原方面まで抜ける道路であり、その際には刈谷市や豊田市も通過する。
私は左車線をゆっくり走った。
ちなみに愛知県は皆が飛ばす傾向にある気がする。国道23号など右車線は100kmで流れている。
そんなに焦らなくても良いじゃないかと思ったりもするが…
しばらく走り、上重原ICを降り、刈谷市を抜け豊田市に到着した。
そこからは、国道155号を十分ほど走れば新居に到着する。
家の付近には、住宅が立ち並び、アパートも点在している地域だ。
愛知県には愛知自動車のサプライチェーンが集結している。そのため工場の付近には、アパートやマンションが密集するのである。
私もその一員となったわけではあるが。
新居は先日のうちに、水道及び電気の開通。ガスの回線までは済ませており、インターネット回線もプロバイダとは契約済みである。
新生活の準備は万端であり、特段の懸念事項は見つからない。
私は駐車場に車を停めて、アパートに入る。
駐車場は家の前に有り、雨の日でもそう濡れることなく車に乗り込めそうだ。
アパートは二階建てになっている。
私はその二階に入居した。間取りは1LDKであり、一人暮らしには十分すぎる広さだった。
買ったばかりのベッドに座り、ぼうっとしてみる。
今までは一階から、家族の生活音が聞こえてきたが、今はそれがない。
雑音と捉えていた、聴覚情報ではあったものの、いざ無くなると寂しさを感じさせるものであった。
早速軽い掃除や、片付けなどを進めるが、それが終わっても当然にご飯は出てこない。
母の有り難みを痛感しそうである。
「今日はカップ焼きそばでいいか」