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5万人に1人の少年

作者: 御草

それは14の春のことだった。



周囲の友人からやや遅れて、自身の見てくれを気に掛けることに目覚め始めた中学生の私は、ダイエットのために早朝ランニングを決意した。恐らく、本来ならばそれは三日も続かずささやかな挫折のひとつに数えられるはずだったのだろう。朝もやの中で彼に出会わなければ。

彼。そう、それは一人の少年であった。

自宅から一キロほどしか離れていない公園で、私は彼に出会った。彼もまた早朝ランニングの最中、小休止を挟んでいるところだったのだが。私はそれまで、自分の生活圏のそばに少年が住んでいることなど知らなかった。彼は、私が初めて目にした男であった。そもそもはじめ、私は彼が男であることにすら気付けなかったのだ。スリムな子だな、羨ましいな、というのが第一印象。挨拶を交わし、ハスキーな声だな、と感じたのがふたつ目。休憩がてらの他愛ない会話の中で、彼が男であることを知り、頭からつま先までまじまじと眺めてしまった。我ながら不躾だ。彼はそんな私に不快を示すこともなく、ただ穏やかに微笑んでいた。その寛容が彼自身の性格なのか、男というものの特性なのか、今となっても判然としない。私は未だ、彼以外の男と接したことがない。


その日以来、私と彼は毎朝のようにその公園で顔を合わせるようになった。

ダイエット効果はあっという間に副次的なものへと格下げされ、私の目的は彼とお喋りすることへと取って替えられた。私たちは良い友人となった。


新しい友人との交流を自分だけの秘密にしておきたい気持ちもあるにはあったのだが。元来、秘密を抱えるのが不得手な性分であった。私はほどなく、幼馴染でありクラスメイトでもある一番の親友に、彼のことを打ち明けた。機会があれば直接紹介したいとも思っていた。しかし親友は苦い顔をした。あまり仲良くならない方がいいと、それは心からの心配を込めた忠告であった。

親友は、私などよりよほど賢明な子供だった。その日その時まで私は忘れていたのだ。少年は、私と同い年だった。


14歳。誕生日が来れば15歳。

15歳になった男は、管理施設へと移住しなければならない。


それは確かに社会の授業で習ったことであり、学校の成績の芳しくない私ですら知識として有していた、はずだ。けれどそれは教科書の中の話ではないのか。

彼は、現実に私と出会い、言葉を交わし、ごく普通の中学生として生活しているはずなのだ。そんな彼があと一年もしないうちに、家族からも離され外界から隔離された施設でそこから先の一生を過ごさなければならなくなる。それは、果たして、現実とは思えない。


その晩、私は改めて教科書を読み返し、それでは足りずにインターネットの海で知識を集めた。

男はおよそ5万人に1人しか生まれないこと。

希少な彼らはかつて頻繁に人身売買にかけられていたこと。

彼らを守るために法が整備され、今では国が彼らを管理していること。

彼らの精子は人工授精に用いられること。

かつてのように彼らを奪い合うことのないよう、彼らが外の世界に出ることは決してないこと。

……彼らは、彼は、私たちと同じ人間でありながら、私とは違う存在であること。


ほとんど眠れないまま朝を迎え、重い体を引きずるように私はいつものように家を出た。


彼は、まだ少し肌寒い朝の空気の中、いつもの公園でいつものように私を待っていた。

おはようと挨拶をくれる私より低い声。私より高い背丈。声が低くなるのも背が伸びやすいのも男の特徴だという。だからどうしたというのだろう。そんなこと私にとってはあまりに些細な違いでしかないのに。

秘密に、できない性分だ。彼はすぐに私の変化に気付き、その理由を隠しておくことはできなかった。

その日、私たちはいつになくつまらない話をした。つまり、彼といつまでこうやって会えるのかということ。その日が来るまで一ヶ月ほどしかないことを私は知った。


ねえ、一緒に逃げちゃおうか。


半ば夢見るように、半ば本気で、私は言った。そんなことできないよと彼は静かに笑った。逃げたいなんて思ってないとは言わなかった。それは彼の、誕生日の前日、私たちの別れの日までただの一度も不満を口にしなかった彼の、たったひとつの吐露であったと思う。



大人になり、私は教師になった。職業選択の際に紆余曲折あったものの、今では天職と思っている。教え子たちは当然ながら女ばかりだ。男の出生率は年々低下していると聞く。その存在は私が子供だった頃よりずっと希少で、貴重なものとなっている。

今でも折に触れて思う。今頃彼はどうしているだろうか。

来年、私は子供を産むことになっている。大きな問題が無ければ半年後に精子提供の順番が回ってくるはずだ。提供者の情報は知り得ないが、もしかしたら――もしかしたらそれは彼の精子なのかもしれない。

けれど私は、今でも忘れ得ないあの少年と、私は友人でありたかった、ただそれだけなのだ。


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