RAY(光線)
「沙チ、走れ!」
トキ野の声に後押しされて、私はスラム街に向けて駆け出した。後ろでは、銃声が響いている。
「婆ット、分かってるよね」
私は上空にいるコウモリの機械人形に声をかける。
「分かってる分かってる。ワシ、器用やもん。任せといて」
機械人形がケタケタと笑い、緊張感のない声が返してくる。
-----陽動
最初に倒した5頭は、私たちの意識を引きつけるためのオトリ、陽動だったのだ。その隙に、本命の群れが死角から近づいてきていた。
-----やっぱり、知恵がある。
この砂地では1ヶ月に7人もの言葉狩りが命を落としている。それは言葉の化け物が、組織立って「言葉狩りを狩りにきている」からじゃないの? トキ野が私にささやいた、その予想はぴたりと当たっていたことになる。状況を先読みする、その大切さが身に染みる。
チラと後ろを振り返ると、砂地は緑色の煙幕に包まれていた。トキ野が煙幕弾を放ったのだ。
私はスラム街のタバコと反吐の匂いがする路地へと、再び走り込んだ。バラック建ての小屋は、壁がないものも多い。中では、拳銃や鎌、斧などを手に家族を守っている住民たちの姿が見えた。
「ごめんくださいっ!」
私は小屋の一つの扉を開き、そのまま家の反対側まで突っ切って、窓を開いて飛び出した。目指す先には鉄塔が立っている。このスラム街唯一の「高い建物」だ。
走る、走る。
転がっている洗面器が足にぶつかり、フリスビーのようにすっ飛んでいく。道でへばっている痩せた野良犬も飛び越え、とにかく一直線に鉄塔を目指す。
そう遠くはない。風に流された緑色の煙幕が、うっすらと鉄塔にまで届いている。その程度の距離だ。
私は道ばたのサボテンの鉢を蹴倒しながら、サビサビに錆びついた鉄塔のふもとへとたどりついた。まだ砂地の方からは、銃声が聞こえてくる。
トキ野が戦っている証拠だ。まだ無事な証拠だ。婆ットも・・・それはどうでもいいか。
「まっててよ。トキ野。私だって、やれるんだから!」
鉄塔にはやはり錆びついたハシゴがついていて、高さは15メートルほど。塔の先端近くには物見小屋がある。
まだ、こちらの真意は気づかれていないはずだ。私は折れそうなくらい腕を動かしてハシゴを登り、粗末な木材でできた物見小屋の扉に体当たりした。
「おい!誰だ。仕事中におどかすな・・・よ・・・?」
中にいた恰幅の良い男が、状況を理解できないといった風に私を見る。
その男は、スラム街の入り口で私たちにおいしいチャイをおごってくれた、おじさん。
サクさんだった。
よりによって。
知らない人なら良かったのに。私は唇をかんで近づく。
「あんたはタカダ先生とご一緒だった・・・イシマル・沙チ先生でしたね。ど、どうされたんですか」
なんとか敬語をたもっているが、言葉尻が震えている。
「私が逃げたと思った?」
「い、いえ、そんな。ただ、姿が見えないなとは」
「ここは・・・戦況を見張る場所なんですか?」
私は歩み寄りながら尋ねる。サクさんの手には双眼鏡が握られている。
「え、ええ。言葉の化け物が街に入ってくるようなら、すぐみんなに知らせないといけませんからね。順番に見張っているんですよ。弱いスラムの知恵ですよ」
「そうなんですかー」
「ええ、そうなんです」
白々しいやりとりをしながら、私は、サクさんが外を見ていた窓に近寄る。見おろすと、砂地がそれはよく見えた。トキ野がはった煙幕も上空では霧散して、彼女がどこにいるか透けて見えてしまっている。
「いい眺めですねえ。さぞかし私たちの動きも、よく見えたでしょうね」
びくり、とサクさんの体が震える。瞬間、男の手はベルトに刺したナイフに伸びた。
それは想定内。私は思いっきり、サクさんの顔面に着色弾を投げつけた。視界を奪われたサクさん・・・そう私たちが親しみを込めて呼んでいた男のナイフが、ぶんと宙を斬る。
言葉狩りに使う着色弾は、人体には無害。でも中の液体は粘っていて、顔に食らえばしばらく視界は奪われてしまう。
私はムチャクチャにナイフを振り回している男に近寄り、粗末なシャツの胸元に引っかかっているマイクを奪い取った。
「・・・・残念です。とても!とっっっても!」
今朝まで親切にしてくれていた男の本性に、私は思わず言葉を唾棄した。
◇
沙チが登った鉄塔から、直線距離にして約100メートル。トキ野はまさに、窮地にあった。
すでに「FURYの犬」のうち7頭を撃ち殺し、残りは3頭。
しかし3頭は狡猾に連携しながら、トキ野を遠巻きに取り囲んでいる。
ぐるぐると3頭はトキ野の周りをめぐり-------
一斉に、別々の方向から飛びかかってきた!
トキ野は一頭に発砲するが、態勢が整わない。巨軀をほこる犬の肩口を貫いただけ。犬はそのまま天高く飛んで、トキ野に向け落下してくる。
殺RARERU!!!!
トキ野が声にならない声をあげたとき、
ギャン!と3頭の化け物は悲鳴をあげて、何かに撃ち抜かれたように地面に崩れ落ちた。
受信機を取り付けられた犬どもの耳が、ぴくぴくと震えていた。
「犬死にしろっ」
トキ野は憤懣を込めてショットガンを連射した。FURYの犬の顔面に「O」の銃弾をめり込ませる。
「FURYの犬よ。お前は書き換えられた・・・・埋葬(BURY)されよ」
息も絶え絶えに、トキ野は唱える。ゴズッと音をたてて、3頭は地面深くにめり込んだ。
YATTAAAA
トキ野はばたりと仰向けに、体を横たえた。体力が残っていなかったのだ。実際。
「おっそいよお、危ないとこだったじゃん。沙チぃ」
トキ野は相変わらず真っ青な空に向けて、つぶやいた。
◇
物見小屋。
沙チは男から奪ったマイクに、気持ち悪いコウモリ機械こと、婆ットを押しつけていた。
「やーーーっぱり、ここから化け物を操ってたのね」
婆ットがマイクをくわえ込み、白目をむいて気持ち悪く震えている。
「犬避けの周波数、54115。ワタクシ発振中」
器用に、報告の声まで同時に発している。
「何のことですかねえ」
「しらばっくれても無理。おっかしいと思ったのよねえ。なんで隠れ場所だってたくさんある砂地で、手練れの言葉狩りが相次いで死んでいるのか。トキ野と話してて思った。誰かがスラム側から見ているんじゃないかって」
男の穏やかな表情は、すっかり消えている。
「証拠はあるんですか?」
「化け物に聞くわけにはいかないしね。でも状況証拠がこれだけあれば、十分でしょ」
男は両手で顔を覆い、腰をかがめ、
「くくくくくくくくくくく」
次第に高笑いを始めた。
「ひーーーーーーーーーーーーーー。ひーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。証拠なら、ここにありますよっっっっ!」
男は、着ている粗末あシャツを自らの手で引き裂いた。
男の腹は、不思議なオレンジ色の光を放っていた。
まるで陽光が差し込んだ金魚鉢のように腹の表面が透けていて、でも内臓が見えているわけじゃない。透けた腹のなかをたゆたっているのは、さまざまな文字だった。言葉の化け物をかたちづくっている「素体」に質感が似ているような・・・。人工物のようであり、自然物のようである。大きさはずっと小さいが。
「私は記す者」
あっけにとられた私の眼前で。
男がつぶやき、透けた腹に腕をあてると、そのままずぶりと中にめりこんでいく。
「まあ、私が扱えるのはたかだか、この3文字ですけど」
男が腹の中にたゆたう文字から、瞬時に三つを選び取る。
「RAY(光)」
男の指先で、文字が爆発的に暴れる。
物見小屋は、あらゆるものの目をつぶすような、猛烈な光に包まれた。