FURY(怒りの犬)
貧民街の奥は、ゴミとタバコと反吐の匂いがする。
トキ野と二人で狭い路地を走る。住民たちは、それぞれの小さくとも大切な住まいを守るため、武器を手に警戒している。次第にバラック建ての家々が途切れ、ひらけた荒野に出た。
砂地ばかりで、およそ雨よけになったり、金になったりしそうなものは見当たらない。果ての見えない荒野には、ところどころ巨大な岩が突き立っている。
この荒れ地の彼方が、通称「旧市街」と言われる、言葉の化け物の発生源とされるエリアだ。
だだっぴろい荒野が危険な旧市街との緩衝帯となり、さらにスラムが防壁の役割を果たしている。いや、旧市街に近くて、誰も住まないところにスラムが形成されたと言うべきだろうか。
罪なきものになすりつけられる罰は、この世に絶えることがない。あるいは罪なきものなど、この世に存在しないのかもしれない。これから起こるだろう「惨劇」を思って、私は口にタバコを詰め込んだような気持ちになった。
荒野手前の岩山の陰に、私は潜んだ。手にはショットガン。
200メートルほど離れた別の岩陰に、トキ野も潜んだ。やはり手にはショットガンを構えている。
さあさあ、化け物との「戦い方」を実戦で教えてもらうじゃないの。トキ野。
岩に隠れながら、荒野を見やる。太陽は日の出から時が経ったとはいえ、まだ位置は低い。岩の陰が、大きな爪痕のように黒々と伸びている。
「来たぞ!」
肩に止まる婆ットが声を出す。婆ットの声は、トキ野にも無線イヤホンで届いているはずだ。
「射程まであと10秒!」
トキ野の鋭い声も、婆ットを介して聞こえて来た。
地面に落ちた岩の陰を切りさくように、砂煙をもうもうと立て、群れをなして向かってくるのは、牛ほどの巨大な犬・・・・の形をした「言葉の化け物」だ。
素体を形成する文字列は「FURY(怒り)」。横倒しになった「F」が、犬の縦長の顔面を形作っている。「F」に特徴的な飛び出した横棒は、口元から伸びる鋭い牙へと変容している。
「U」はぶっとい首元となり。「R」は後ろ足や胴体、Yは尻と尾に。ただ、大抵の言葉の化け物はそうだが、素体の周りには筋肉や皮膚、苔などがまとわりついて文字自体はかろうじて読める程度。
総じて言えば、やたらと牙と体がでかい、猛犬の群れが猛スピードで向かってきている。それが私たちが直面している目下の状況である。
婆ットが飛び立ち、高所から報告を飛ばす。
「全部で5頭!」
私たちが突破されれば、犬どもはスラム街になだれ込む。それは住民にとって慣れた光景なのかもしれないが、言葉狩りの意地として「撃ち漏らす」わけにはいかない。そもそも最近1年で7人もの言葉狩りが命を落としている異常エリアだ。犬どもも私たちを素通りしてくれるはずがない。
私は片膝をつき、照準を見定める。握りしめたショットガンは特殊な形状をしている。銃身は横長の扁平な筒になっている。引き金を引いて、飛び出すのは・・・・トキ野がたんまりと持ってきた「O」の形をした、円盤状の風変わりな「銃弾」だ。
私は引き金を引く。
化け物の顔面をつくる横倒しの「F」、さらにその下顎を狙って。
ゴガシュ!
と音を立てて、Oを射出した。青い炎をまとったOは、狙い通り約200メートル先を走る最前列の化け物の顔面に炸裂した。
私は早口で詠唱する。
「FにOが喰いこめば、そう、Bだよね。FURY(怒り)の化け物は、BURY(埋葬)へと転じる。道理だよね」
私の意志を込めた銃弾を喰らい、巨大な犬は、
グギャン!
と音を立てて、巨大な槌でぶっ叩かれたかのように、地面に全身をめり込ませた。「埋葬」への
「文字書き換え」が発動したのだ。
猛烈に四足をもがかせるが、ずぶずぶと沈み込んでいく。私が、チラとトキ野のほうを見ると、彼女はすでに3匹目を仕留めるところだった。照準、射出、詠唱が私と比べものにならないほど素早い。
彼女の前方の地面は絨毯爆撃を受けたように、犬が「埋葬」された穴だらけになっている。
「沙チ、上!」
トキ野の声に上空を見上げると、私が隠れる岩の上から巨大な犬が飛びかかってくるところだった。私はショットガンを構えてーーーーーーー。
ちょっとまって。上から落ちてくる犬を「埋葬」したら、私も巻き込まれるんじゃ?
一瞬の迷いを突いて、化け物が飛びかかってくる。
「投げろ!」と婆ットの声が聞こえた。逃げろ、ではない。
私は、瞬間的に腰のポーチから着色弾を取り出した。少し前に「SINの龍」をアヴァロン市街地で倒したときも役立った、使い慣れた武器だ。効果は局所的ながら、当たった文字を封殺し、無効化してくれる。
それを「FURY」の首元、Uの素体を目がけて、ぶん投げる。
時間がない。でも、詠唱を間違えたら、とんでもないことになる。トキ野を真似て、極力シンプルに。でも誤解を生まない表現で。
「お魚さんになーれ」
私は一息に言った。
猛犬は私の体にぶち当たる寸前で砕け散り・・・大量の、得体の知れない小魚になって私に降り注いできた!
「これはこれで・・・!気持ち悪う!」
私は背中にびちびちと小魚が当たるのを感じながら岩陰から飛び出し、トキ野の隠れる岩陰に逃げ込んだ。
FURYの「U」を崩壊させれば、FRY(稚魚)だ。でも。トキ野が呆れ顔で言う。
「沙チ、油であげる(FRY)方向に発動してたら、あんた、焼けた油かぶってたかもよ」
「そ、それは。だから気をつけて詠唱したって」
「瞬発力は認めるけど、先読みが甘い。常に先読みして、私みたいに」
瞬間、私たち二人を陰が覆った。
「ほらね」
二人で見上げると、私たちが潜む岩の上には、さらに犬の群れが集まってきいた。
トキ野が大げさに声を張り上げて言う。
「一体、どこから?」
瞬間、トキ野は犬に向けてショットガンを乱射。さらに私を思い切り蹴飛ばした。
すっ飛んだ私は、トキ野の意を察した。
私は思い切り駆け出した。スラム街の方へ。