Abnormal zone(異常地帯)
せまっくるしいベッドから、私は身を起こした。時計、スパナ、言葉に関する数多の学術書、ゴリラのぬいぐるみ、食べかけのバナナ。起き上がった拍子に、連想ゲームのように雑多なものが、私の体の上から転がり落ちる。一部屋の居室と、トイレとお風呂しかない部屋に物があふれている。
その中のひとつ。私のお腹の上から滑り落ちようとしているA4用紙をつかみとった。トキ野にせがまれて、新聞記事や討伐庁のデータを集計したのはいいものの、布団もかぶらず寝落ちしてしまったらしい。それにしても・・・・異常なデータだよ。なんだ?これ?
本に埋もれている机の上には、婆ットがケーブルにつながれた状態で横たわっている。普段は気持ちの悪いコウモリのようだが、機械らしく充電とメンテナンスは必要だ。
「よし!行くよ」
顔を洗い、髪をとかし、戦闘服を着込んで声をかけると、婆ットが机の上で、むくりと体を起こした。
「きょう、暑くない? 気象データによると、22度もあるんじゃが。外出たくないんじゃけど」
「はいはい。バッグの中で寝てていいから」
婆ットが翼を鳴らして、私の肩の武器類が入ったバッグに潜り込んでいく。中から小さな声が聞こえる。
「寝心地わるいんじゃけど・・・」
サビついた玄関扉を開くと、やっぱりサビの浮いた外廊下が見えた。私の部屋は2階で、外廊下に立てばアヴァロンの街を一望できる。
この団地は高台にあるから、景色はすこぶるいい。雲ひとつ無い青空が、初夏の日差しが、すごく「日曜日の朝」って感じで気持ちいい。
団地前をやせた犬が歩いていて、隣に真っ白なタンクトップ姿のトキ野が立っていた。私を見つけて、控えめに手を振っている。外階段を下りていく私に、トキ野が声をかけてくる。
「さすが、時間ぴったり」
「ってか早いよ-。早朝6時って。釣り人かよ、私たちは」
トキ野は肩にかけているライフルをカシャリと鳴らした。
「釣らないよ。撃つんだよ」
「あとさー、トキ野、戦闘服は?」
「暑いから現場で着るよ。体力消耗したくないし」
・・・分厚い戦闘服を着込んでいる私が馬鹿みたいじゃん!
「あと!これも何よ!」
私は服のポケットをまさぐって、紙の束をトキ野の胸に突きつけた。
「あ、ありがとー。うわっ、やっぱ増えてるねー」
「びっくりした。貧民街って最近、言葉狩りがやられすぎじゃない? 私、戦い方教えてってお願いしたんだけど。練習とかいうレベルじゃなくない?」
そう。私が集計した結果、スラム街では、ここ1年で言葉狩り7人が死亡、15人が重傷を負っている。アヴァロン周辺でも突出して多い犠牲者数だ。
トキ野は淡々とした表情を崩すことなく、データを受け取って言った。
「大丈夫。私の一番慣れた『狩り場』だから。スラムは」
「でも、めっちゃ異常な数値だし・・・それに出没してるの『犬』の化け物ばっかりじゃない!」
「あれ?言わなかったっけ? 練習相手は犬だって」
「わたし、犬、だいっ嫌いなんだ!数も多いし、でかいし、臭いし」
「ふふふ、えり好みしなーい。言い訳しなーい。討伐に貴賤なし。復唱して」
「うっ、討伐に貴賤なし」
「それにこれ。私の秘密道具」
トキ野がつまみ出したのは「O」の文字をかたどった、円盤状の金属片だった。
「何それ?」
トキ野は突然、金属片を私の口に押し込んできた。
うぐっ!?
私は涙目になりながら、Oを口から取り出した。
「あごが外れるかと思ったわ!」
唾液でべろべろになった「O」を、私はあらゆる方向から眺めた。スラム郊外に出没している言葉の化け物の犬。その素体が描いている文字は確か・・・・「FURY」(怒り)。
「あー、分かった。トキ野は語義崩壊じゃなくて、文字書き換えを使ってんのね」
「さすが。私の得意な射撃だと、そっちの方が都合がいいんだ」
トキ野の戦法は、察しがついた。だが、気になるのは多発している犠牲者の方だ。簡単に討伐できる群れなら、こんなに犠牲者が出るはずもない。
そして、そのことをトキ野も知らないはずはない。だけど、私を連れていくという。なんだろう。肝心なことを、トキ野は説明してくれていないような気がした。
◇
路面電車を乗り継いで30分。アヴァロン郊外のスラム街に、私とトキ野は到着した。
その名の通り、さまざまな理由から、都市内に住めない人たちが集まるエリアだ。行けども行けども、バラック建ての小屋が立ち並んでいる。そんな場所をうら若き女子高生2人でうろついて危なくないのかと思われそうだけれど・・・・。
私が目撃したのは、驚くべき光景だった。
「あーーーーーーーー!トキ野先生だーーーーーー!!」
スラムに足を踏み入れるなり、金髪の女の子が駆け寄ってきた。6歳くらいだろう。ボロボロのTシャツに短パン姿だが、顔立ちは愛らしい。磨けば光る子だ。間違いなく。女の子は満面の笑顔で、そのままトキ野に抱きつく。
「いっしゅうかんぶり、くらいだねえ。先生っ」
「サフラン!相変わらず可愛いねえ」
トキ野がサフランと呼んだ子の頭をぐりぐりなでる。そしてそのまま目にも止まらぬ速さで、サフランの手から何かを奪い取った。それは・・・トキ野の財布だった。
「あまーい。サフラン、いきなり財布狙うなんて露骨すぎ」
「もーーー、だって、ポケットからちょっと見えてたから」
「わざとだよ」
「もーーー!先生ったら意地悪」
さらにサフランと呼ばれた少女の後ろからは、土煙がもうもうと迫ってきた。10人ほどの少年少女たちが、どかどかと押し寄せてきたのだ。
みんな、口々に「トキ野先生だー!」と満面の笑顔。そして、すぐさまトキ野の体にまとわりつく。スリにあってるんだか、じゃれ合ってるんだか訳が分からない。
あっけに取られていた私も、背中が突然ずしりと重くなった。
いがぐり頭の少年が、私の肩がけしているバッグに飛びついていた。鮮やかな手つきでチャックを開け、中に手を突っ込む。止める間もないほどの早業だった
「いてーーーーーっっっ」
だがすぐに少年は悲鳴をあげ、バッグから手を引き抜いた。
バッグの中で日よけをしていた婆ットが飛び出す。少年の手に、がっつり嚙み付いたのだろう。さらにガチガチあごを鳴らして、子どもたちの間を飛び回る。
「おうおうおう!誰じゃ、ワシの体つかんだやつは!無料では済ませんぞお」
わー!きゃ-!と歓声を上げて、子どもたちが散っていく。サフランは振り返り、「トキ野先生、またねー」と満面の笑顔で手を振っている。そして、どろんこになりながら、街の奥にかけていく。
「今のは・・・一体?」
「まあ、いつものことよ。いろいろ事情のある子たちだけど、なんか懐かれちゃって」
すると今度は道ばたで、屋台の親父さんが声をかけてきた。
「おーい、トキ野先生、チャイ飲んでいかないか」
「あ、ありがとう。サクさん」
恰幅の良い、サクさんという親父さんが、屋台の鍋からミルクがたっぷり入ったチャイをコップにそそいで、私とトキ野に渡してくれた。
・・・これって、ぼったくられたりしないの?
ところがトキ野が財布を開くと、驚いたことに親父さんは「いいよ。そんな。タダで」。
ぼったくりどころか・・・・タダ!?
私があっけにとられた顔をしていると、サクさんは「トキ野先生には散々、犬の駆除をしてもらってるからさあ。街のみんな感謝してるんだよ」と照れくさそうに言った。
あ・・・、そういうことか。
「トキ野、人気者なんですね」
「そうさ、英雄だよ。スラムはなあ、住民の人死にが多いせいか、化け物がひっきりなしに沸いてくるんだ。犬どもが、死体を食っちまう。ここ1年は、生きている者の犠牲も珍しくない。それを駆除してくれるんだから、本当ありがたいよ」
そうだ。ここスラムでは、1年で7人もの言葉狩りが討伐で命を落としている。危険を顧みず、足を運び続けるトキ野への感謝はつきないだろう。だがトキ野は賞賛にも、どこか淡々としている。
「私は効率厨だからな。犬は毎日のように出るでしょ。だから、討伐ポイントがたっぷりと・・・」
サクさんは破顔して豪快に笑った。
「正直だな!じゃあ先生も助かる、俺らも助かるってわけで、いあゆる三方良しってやつだな!」
あれ?三方目は?って思ったけど、サクさんは気にしてない様子。上機嫌で2杯目のチャイもくんで、渡してくれた。
「さて、きょうも・・・そろそろ出る時間だな」
サクさんがニコニコ笑顔のまま、屋台の奥から取り出したのは、よく研がれた鎌だった。「自警団」と書かれたヘルメットもかぶる。
「俺たちも、子どもやおっかあを守らないとな」
そうか、住んでいる人も戦っているんだ。確かにスラムは街中ほど討伐庁の警戒態勢も整っていない。
私とトキ野はぐいっとチャイを飲み干した。
「サクさん。私たちはフロントラインに行くから」
「前線か。きょうはトキ野先生と・・・」
サクさんは私の方に目を向ける。
「沙チといいます。イシマル・沙チ。言葉狩りです」
「タカダ先生と、イシマル先生しか、前線にいないかも知れねえ。犠牲者が増えて、言葉狩りの先生方もびびっちまったんだろうなあ。お二人も気をつけて」
サクさんが手を差し出す。私が握り返すと、サクさんの手はグローブのように硬く、力強い。ニコニコ顔の目の奥で、鋭い光がよぎった気がした。強い意志を持った様子で、歩き去っていく。
トキ野が、街の奥へと目を向けた。
「沙チ。行こう、フロントラインへ。たぶん、すごく『勉強になる』と思う。今日はね」