rain(シャワー室にて)
夏の雨のように降り注ぐ温かなお湯が、私の体にまとわりついた砂塵を洗い流す。
砂塵に映り込んだ兄、悟の姿が思い浮かぶ。ただ、それもすぐに、深紅の色彩に塗り替えられて。兄の死体が幹線道路の側溝の中で見つかったときの姿。どてっ腹と両足を食われ、側溝には大量の血が流れ出していた。
事切れた兄の目はトロンとして、まるで酔いつぶれているようだった。もう半年前のことだけど、時間がたつほど鮮明になってくる。私は吐き気がこみ上げ、思わず口元を押さえてしゃがみ込んだ。
「ねえ、沙チぃ」
頭上から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「だいじょぶ?」
しゃがんだまま見上げると、トキ野が隣のシャワーブースから顔をのぞかせていた。
「うん。だいじょぶ」
女性シャワー室は、一度に5人が使える。それぞれのシャワーブースは、体を隠せるチャチな衝立で仕切られているだけだ。衝立の上から、トキ野の真っ白い肩口が見える。
「言葉の化け物」を倒したら必ず、街中心部の討伐庁に報告をする決まりになっている。言葉狩りは、血や汗、そして砂塵まみれだ。そこで報告前には、庁舎内のシャワー室の使用が推奨されている。
花の香りがするソープだとか、化粧水とか、気の利いたものは無い。けれど、気持ちいいお湯には、罪も無い。私はふらふらと立ち上がる。
「もう平気ですよん」
自分の笑顔がぎこちないと、自分でも分かる。
「沙チ。ぜーーーったい、無理しないでね」
私たち2組の兄妹は孤児院で育ち、そのあとも全員が兄妹みたいに生きてきた。だから、トキ野だってツラいはずなのに。1歳年上のトキ野はこういうとき、お姉さん風をふかせる。
私は顔を上に向け、目をつぶってシャワーを浴び直した。
「悟に会えたよ。5分だけだけど」
「・・・・そう。良かった」
なぜだろう。憎まれ口が出てしまう。
「いつも通りの馬鹿な兄貴が、視えた」
「馬鹿って・・・・もう!私、悟さんのこと大好きだったよ。お兄さん、交換して欲しいくらいだった」
「ふぇ!」
「にやけ顔も、タカが爪を隠している感じで」
多弁になるつもりはなかったのに。言葉を継いでしまう。
「えーーーー? でもさ、最期まで冴えない感じだったよ。殺された理由も全然分かんないし。今回も5分しか姿を見せないし。ほんと使えないって言うか、あれなら私がわざわざ苦労して龍を討伐しなくても良かったくらいで。本当に」
気づけばトキ野が衝立に腕を載せて、こちらを見ていた。びし、と人差し指を突きつけてくる。
「沙チってさあ、いわゆる・・・ツンデレ?」
私はびっっっくりした。トキ野は、ニヒヒと笑っている。ツンデレって、え?どういう意味だっけ? というかトキ野の使い方は多分間違ってる。
「だって沙チ、悟さんのことかなり。ねえ?」
「ちっがーーーーう! 別に大嫌いではなかったよ。でも、いい年した兄と妹よ。飼い犬と比べたって、愛着ないよ。ただ気になるだけ。なんであんな殺され方、したのかって」
「それで自分から言葉狩りに乗りだしたわけでしょ。なんかヒントがつかめるんじゃないかって」
「う・・・そうだけど」
「私に任せてくれればいいのに」
「いや、血のつながった私が動かないわけには・・・」
「ショックーーーっ。私やシュ宇も兄妹のつもりだよ!」
「それは、そうなんだけど・・・」
段々と合理的な説明ができなくなってくる。
トキ野が衝立の上から手を伸ばして、私のわきの下をつつく。
「相変わらずかわいい」
「うるさい!」
私はしゃがみこんで、衝立の下の高さ50センチの隙間に足を差し入れた。トキ野への足払いを狙う。尻餅ついて痛がればいい。トキ野がひゅっと息をついて飛び上がる。接近戦は不得手なはずだけど、さすがだ。まあ、私の身体能力が低いせいかもしれないけど。
私は床に手をつけて、一気に体を押しやる。衝立下の隙間をくぐり抜け、体をトキ野のシャワーブースへ滑り込ませた。
「キャハハハハハ。よわ、そこ弱い・・・」
立ち上がるなり、思い切りトキ野の体をくすぐってやった。瞬間的な身軽さには自信があるのだ、私は。
トキ野の体をまさぐっているうちに、私はまた涙が出てしまった。これは兄貴とは関係ない涙、そう笑い泣きだ。そのはずだ。