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Jump to the sky(アヴァロンで飛んだ私は)



 私が走っているのは緑色の海だ。ラグビーコートのように、濡れた芝生がずっと向こうまで広がっている。その先に、雨で洗われた空が光っている。


 死ぬ気で駆け上がってきた足が、悲鳴をあげている。背中でフライトボックスが、ゆさゆさと揺れる。肩には武器類を入れたスクールバッグ。このあたりの装備は、もっと洗練させないといけないな。


 それにやっぱり、私は体力が絶対的に足りていない。でも走るしかない。私は「言葉狩り」なんだから。踏み込む足が、シャクシャクと芝生を鳴らす。


 私が住む街「言論都市アヴァロン」は、建物が上へ上へと伸びている。その最上層に位置するビルディングの、さらに屋上に私はいる。設計者が屋上緑化の狂信者だったのか、それとも転んだときケガをしないようにという親切心なのか、屋上一面にはられた芝生を駆け抜ける。


 たどりついた簡素な柵を乗り越えて、ビルのわずかな縁に両足をそろえて立った。


 パタパタパタ・・・と羽ばたき音を立てて、一匹の機械仕掛けのコウモリが近づいてきた。


 「やめろやめろやめろーっ!早まるなって。まだ若い命をよお」


 肩に体当たりしてくるものだから、本当に落ちそうになった。


 「ねえ()ット。スケベなことやめて」

 「スケベ関係ねえじゃろ!」


 私は「相棒」である婆ットを、しっしと追い払う。


 婆ットの赤いレンズの瞳が、キュルキュル音を立ててウィンクのような表情をつくる。

 「沙チが相変わらず緊張してるから、ほぐしてあげようと・・・」

 「私から、半径3メートルの位置を旋回して。スケベ」

 「だから、スケベ関係ねえじゃろ!」


 婆ットが顔に埋め込まれたスピーカーから金切り声を発しながら、再び舞い上がる。翼の人工皮膜が空の光を乱反射する。ボーリングのピンのような形の胴体内で、歯車やシャフトが動いているのが見える。


 「んで・・・(やつ)はどこかしら、と」


 見下ろすと、尖塔やビルが密集した街並みが続く。人工物でできた谷だ。地面まで約200メートル。眼下の道路を走るはずの車すら、ほとんど見えない。


 私は別に自殺志願者じゃない。ここは街のどこよりも高く、私たち「言葉狩り」にとって飛び降りるのにちょうどいい定番の狩り場なのだ。学校の学食くらい賑わうこともあるけど、今日は私が一番乗りだ。


 目線を下方に向けると、いた。尖塔の合間に、全長50メートルはある「言葉の化け物」が悠然と泳いでいる。


 「・・・でっか」

 私のつぶやきに、婆ットは羽ばたきながら冷めた口調で返す。

 「ずいぶん弱気じゃな」

 「しょうがないじゃん。ちょっと前まで、私は象牙の塔の観察者だったんだから」

 「沙チの部屋は、象牙の塔というには狭すぎじゃないか」

 「じゃあ、ネズミの小部屋でいいよ」

 「本当にネズミが出そうな部屋じゃしなあ」


 討伐監督庁の警報通り、「SIN」の龍が浮かんでいる。


 ガガガガァァァア・・・と龍の口の中から響く重苦しい鳴き声は、機械の駆動音のようでもあり、巨大な銅鑼の音色のようでもある。文字どおり「SIN」(罪)を背負い、その重みに声をあげてもだえ苦しんでいるようでもある。


 私は正教会で祈りを捧げるときと同じ、厳粛な気持ちになった。人ならぬもの、人知の及ばぬもの。


 慌てて私は首を振り、余計なことを考えないことにした。考えすぎるんだ。私は。


 龍までは落差およそ50メートル、水平距離は30メートル、といったところ。私は学校帰りのままのセーラー服で駆けつけてきた。急な通報だったから、仕方がない。カバンに常に入れている赤い折りたたみ式ヘルメットをかぶり、足を守るための強靱な黒いストッキングもはいた。


 さらに口元には防護マスクも。


 こんな武骨な品々をスクールバッグに詰め込んで、連日持ち歩いている女子高生など、この街に私くらいではないか。ほめてほしい。


 背中のフライトボックスから伸びるケーブルを引っ張った。大きめのランドセルに似たボックスが割れ、中から、薄布を貼った翼が2枚ひらりと展開する。


 頭上には太陽。下方にいる龍の瞳からは、翼を伸ばした私の黒いシルエットだけが見えたんじゃないか。その姿は、私もコウモリのようだろう。


 「どぅりゃああああ」


 私は叫んで、最上層のビルの上から飛び出した。ビル街から吹き上げてくる風をとらえ、体重移動で慎重に降下速度や方向をコントロールしていく。


 私自身が戦い始めて、半年足らず――――実戦経験のなさは、致命的だと自覚はある。戦うなんて、沙チには無理だ。何人の人にそう言われたかも分からない。でもー-------あきらめきれない。


 私の体の下には、高さ200メートルの漠とした空間が広がっている。この不安感は、本当に慣れない。


 セーラー服のスカートが、はたはたとひらめく。龍が瞳をこちらに動かすのが見えた。


 眼下に浮かぶ、「SIN」の3文字から形作られた龍の姿を見る。


 文字が化け物をつくっている、というと見たことがない人は驚くだろうか。


 大きさは子犬程度から、果ては「大陸級」と呼ばれる巨大な化け物を報じた新聞記事も読んだことがある。今目の前にいる龍は全長50メートルほどの中型。文字を形作る「素体」は小ぶりの雑居ビルほどの太さがある。


 ひどく歪な形の「S」は上方がせりだし、龍の頭を構成している。「I」は横倒しになって太い胴体を。「N」の文字は、折れ曲がった尾を作りだしている。体表には鱗が生え、武骨な腕も伸びている。だから、素体の3文字はかろうじて読める程度で、大きく変容している。


 その姿は「龍」と形容せざるを得ない。たまたま人の世に言う「龍」と近似した姿なのか、「龍」の語源が言葉の化け物なのか、言語学者ではない私は知らない。ともかくそれは言葉を中心に形作られた龍、としか呼べない姿だ。


 では生き物なのか、というと未解明の点が多い。私は素体そのものはうち捨てられた建築物のようだと感じるときもある。倒壊し、自然に呑み込まれつつあるビルのような質感。素体のところどころには苔が茂り、背の低い樹木すら繁茂している。


 「余計なコト考えてんじゃねえ!()られるぞ!」


 頭上を飛ぶ婆ットが、声をあげた。


 私はすぐさま右手に着色弾を握った。眼下にいる龍へと致命傷をくらわせようと、大きく振りかぶる。使い慣れたトー()社製の10型。私の小さめの手にも、よくなじむ。


 瞬間「SIN」の龍が、その身を大きく震わせた。


 引き延ばされていたNの尾が、急激に方向を変える。刃物としか言いようがない、尖った切っ先が私の方へと。


 「やべ・・・」


 「下じゃ!」


 雷のように龍の尾がひらめいて、猛スピードで突き出される。瞬時に私は翼をたたんだ。


 私の体はわずかに自由落下を許され。わずかに尾の軌道から外れた。


 30センチほど先の頭上を、太い尾が削り取ってゆく。死への恐怖が、ぞくりと私の背中を上ってきた。

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