今を生きるあなたへ永遠の愛を
いつからここにいるんだろう。
もう時間の感覚なんて無くなってしまった。
ただ、私はここにいる。
夫と結婚して、10年目の結婚記念日だった。
子供はいなかったけど幸せだったのに。
私はあっけなく交通事故で死んだのだ。
その日から夫は生きることを拒否している。
あの日からどの位経ったのだろう。
一か月? 一年? それとももっと経ったのだろうか。
夫は仕事も辞め、暗い部屋でただただ私の写真を見ている。
一日中、何もせずに過ごすこともあれば、コンビニへ行って食料を買ってくる日もある。
夫は痩せた。
顔色も悪い。
こんな夫を残して光のある方へなんて行けない。
私はどうすればいいのだろう。
私の声は届かない。
私の声は届かない。
何もする気にならないのか部屋の中は足の踏み場もない程に荒れている。
洗濯なんて最後にしたのは何時したのだろう。
私もまめに家事をするような、いい奥さんじゃなかった。
どちらかと言えば男っぽく、甘い雰囲気が苦手で、よく照れて引っ叩いてたっけ。
ああ、私がいなくてもちゃんと食べるものは食べてよ。
きちんと寝て。
少しでも幸せと思える時間があればいいのだけど。
でもそれは今の夫には叶わない。
私はどうしたら良いんだろう。
私はどうしたら良いんだろう。
そう思いながら、ただ夫の側にいる日々。
それでも時は流れて行く。
私はふと足元のゴミにぶつかった気がした。
-----ぶつかった? 私が?
触ってみる。
感触がある。
触れる。
もしかして自縛霊とかになっちゃったのかしら。
それで少し力が出せるの?
ああでも、どうでもいいわそんなこと。
夫に、恭介さんに知らせたい。
私がここにいることを。
私はどうしても夫に伝えなければならない言葉があるのだ。
初めは小さな物しか動かせなかった。
自分の写真立てを倒してみる。
恭介さんはちょっと驚いた顔はしたけど、それだけだった。
彼の生活に変化は無い。
洗濯物がいっぱいの洗濯機のスイッチを入れてみた。
やっぱりびっくりしている。
でもそれだけだ。
私は夫に気付いてもらおうと必死だった。
次第に大きなものも動かせるようになった。
恭介さんの好きだったテレビ番組をつけてみる。
恭介さんは懐かしそうに目を細めながら見ていた。
やっと少し表情が出てきた。
私は嬉しくなった。
少しずつだけど部屋を片付けてみる。
何日もかけて、何とか人の住む所らしくなった。
恭介さんは、何だかもう、びっくりしなくなってきた。
怪奇現象って慣れるのかしら?
私がいるってアピールしてるのに、あんまり慣れてもらっても困るんだけどな。
その代り、私の写真を眺める時間が増えた。
----もしかして、気がついてる?
でも、私の名前を呼んではくれない。
と言うか、私、恭介さんの声ってどのくらい聞いていないのかしら。
ああ、幽霊の感覚がここまで曖昧だとは思わなかったわ。
声が聞きたい。
話がしたい。
どうしても言わないといけないの。
「恭介さん」
私が名前を呼んでも、決して聞こえはしない。
仕方なくまた掃除の続きを始める。
キッチンは特にひどい---と思って入ったら、キッチンは比較的きれいに保たれていた。
ここには、私がいたから?
私のためにここだけは掃除をしてくれていたの?
あれ? でも初めのうち。
私がモノに触れなかった時期はここも汚かったと思うんだけど、気のせい?
----それとも、私がいるって気がついてくれた?
でも本当に、そんなに閉じこもっていないで、職を探さないと。
私の保険金だっていつまでもある訳じゃないのに。
元の職場の先輩だった101号室に住んでいる天宮さんが時々様子を見に来てくれるけど、夫は玄関のドアさえ開けなかった。
それからまた月日が流れた。
恭介さんは年末の私の命日---結婚記念日には必ずお墓にお参りに来てくれる。
それは嬉しい。とっても。
でもね。
でもそれでも私は、例え忘れられても良いから普通の生活をしてほしいよ。
こんな生活を続けていたら絶対病気になるよ。
結構重いモノも持てるようになった私は、一大決心をした。
昔のように引っぱたく!
乱暴者の私は、よくケンカをしては私の方が殴っていた。
さすがにグーでは殴る回数少なかったけど。
今日はやる。
タイミングはドアを開けた時だな。
綺麗に右ストレートを決めてあげよう。
私は戦意満々で、恭介さんの帰りを待った。
お墓に参って帰ればこの位の時間になる。
私の読みは外れなかった。外に出て確認したらやっぱり恭介さんだった。
ドアを開けた瞬間、私は渾身の右ストレートを叩きこんだ!
よし。
一発K.O。
「--------まさか、----まさか。ーーー美桜か?」
はい当たりです。
返事が出来ない代わりに、写真立を倒した。
「美桜---、本当に美桜なのか――― 返事を、返事をしてくれ。美桜!!」
恭介さん、なんだかそれは無理みたいです。
これで我慢して下さい-----。
そう思うと自然に体が動いた。
後ろから抱きしめた。
照れやな私が、よくしていたこと。
優しい恭介さん。
「美桜----- そこに、いるんだな。」
はいそうですよ恭介さん。
ちょっと死んだ位で私は貴方から離れません。
教会で誓ったじゃないですか。
いつまでも一緒だって。
「美桜---俺は。俺は----」
そう言って泣きながら座り込んだ彼は、長い間声をあげて泣いた。
私が死んでから、初めて声を上げて泣いていた。
私は後ろから抱きしめているしか、出来なかった。
その日夫はそのまま泣き疲れたのか寝てしまった。
今までの浅い眠りではなく、固いフローリングの上なのに、まるで私と一緒にベットで寝ていた時のように安心した顔で寝ていた。
次の日から夫は生き返った。
朝起きて。顔を洗いコンビニに食料を買って来て朝ご飯を食べる。
…時々箸が止まる。
視線が私の写真にいく。
ダメ。きちんと食べて。
私は写真立を倒した。
夫は苦笑するように、食事を再開した。
そして私が少しずつ苦労しながら洗濯してアイロンまでかけたシャツを着てネクタイをして、出かけて行った。
どこへ行ったんだろう。
気になった私はついて行くことにした。
あ、動ける。
自縛霊って訳じゃなかったのね。
じゃぁ… あんまり考えたくないけど恭介さんにとり憑いちゃったのかしら?
------早く、成仏しなきゃいけないのかもしれない。
私が恭介さんの害になってしまう前に。
もう結構いろんなことが出来るようになった。
もしかしてホントに悪霊とかになっちゃってるのかしら。
ああもう、おばあちゃん先に来ているはずなんだから、何か教えに来てくれても良いのに。
何と夫はハローワークに来ていた。
再就職するんだ!!
嬉しい。
嬉しい。
きちんと生活を立て直そうとしてくれているのが嬉しい。
ハロワで紹介してくれる会社の中から、夫は何と昔自分がいた会社を選んだ。そこに派遣として行くことにしたのだ。
-----ブランクが多分長いけど大丈夫かしら。
私はまた、少し心配で成仏する機会を逃がした気がした。
私の心配は的中した。
天宮さんのいる部署に配属はされたけど、元の部下に雑用をさせられる夫は見ていられない。
夫も次第にストレスを感じているようだった。
でもあの元部下の人も酷くない?
恭介さんが退職した理由も知ってるはずなのに。
私は夫を癒せないかと考えた。
帰ってくるのは分かるから、それにあわせて晩御飯を作ってみた。
夫は嬉しそうに「ただいま」と言ってその晩ご飯を食べた。
どうやら私は夫に「いるもの」として見られているらしい。
では遠慮なく。
そう思って買い物メモをダイニングのテーブルに置いておいたら、その日の帰りにきちんと買って来てくれた。
その日から毎日ご飯は私が作る。
お弁当まで持たせた。
掃除も洗濯も、以前と同じレベルだけどしている。
会社のストレスは相変わらずのようだ。
恭介さんは、背後に黒い何かをまとわりつかせて帰って来ることがある。
これって多分、人の悪意とかじゃないのかしら。
マイナスな感触がある。
私はそれを必死でとりはらい、大きくならないようにした。
少しずつ、恭介さんの背負ってくる悪意?が大きくなっている気がする。
私は気になってまた職場に行ってみた。
やっぱり恭介さんは、昔通りの仕事がすぐにできる訳ないのに、結構な量の仕事をさせられて、さらに雑用まで押しつけられていた。
あの元部下だ。
この人は、今必死で現実と向き合おうとしているのに!
何でそんなひどいことが出来るの?
そう思うと、その元部下の人の側にいってパソコンをフリーズさせてみたり、データを消してみたりした。
どうやら私は電化製品との相性が良いようだ。楽に扱える。
元部下は悲鳴をあげながらも、でも夫への雑な扱いは変わらなかった。
これ以上私に出来ることは無い。
恭介さんが自分で解決するしかないんだけど。
恭介さんは何だかただ、がむしゃらに仕事をしようとしているように見える。
そんなことを、私は望んでいるのではないのに。
私はまた途方に暮れた。
そんな時、101の天宮さんがまた部屋に来てくれるようになった。
他愛ない話をして帰る。
様子を見に来てくれているようだ。
部屋がキチンとしていることに、私がいる頃の様だと言って喜んでくれた。
その天宮さんが、ある日ビールを持って来た。
そう言えば夫は随分お酒が好きで、私はいつも適量にしてと言い続けていた。
なのにあれからお酒は一滴も飲んでいない。
「いや先輩、俺は」
そう言って断っている。
「いや今日くらい飲め!」
そう言って無理やり缶ビールを渡す。
うん。適量なら私は何も文句言わなかったでしょ。
「今日って…」
「お前のカミさん、今日が誕生日だろ?」
ああ、そうだったかしら。
死んでるのに誕生日も何もないんだけど。
でも恭介さんは泣きながらビールを飲んだ。
「美桜が、生まれて来てくれた日だ。-----おめでとう美桜」
恭介さん。
恭介さん。
私ここにいるよ。
いつも見てるよ。
でもいつまでも私がここにいることは、きっと出来ない。
きっと早く行くべき所へ行かなきゃいけない。
でも、心配で離れられないよ……
どうしたらいいんだろう。
「それでお前、今の会社続けるのか?」
天宮さんは突然話を切り出した。
確かに今の会社では、夫は過労死するか胃に穴が開くか---
「それでだ。俺の知ってる関連会社に経験者を正社員枠でも良いから欲しいってところがある。給料は今の会社の正社員ほどは良くないが、お前の現在の派遣の給料よりはずっと良い。待遇も違うだろう。……お前今のスキル生かしたいだろう?向こうはそのスキルが欲しいって言ってるんだ。悪い話じゃないと思う」
天宮さん!!
悪いどころか、すっごくいいお話じゃないですか!
恭介さん受けて!
すぐ了承して!!
「-------今の会社、こいつと一緒に働いた所なんですよね」
そう言ってまた、ちびりとビールを飲む恭介さん。
そんな理由であそこにいたの?!
ええいこのヘタレ!!
私は思いっきり後頭部をはたいた。
「痛っ」
「は?」
「や、今殴られた」
「そりゃカミさんだよ。お前があんまりな生活してるから、心配で成仏できないんじゃないのか?」
ええ全くその通りです。
でも恭介さんはその言葉を聞いて、また下を向いてしまった。
「俺のせいで」
「見てられないぞ、お前の顔。カミさんの為にも何とかしないといけないんじゃないのか?」
「------でも」
私はもう一発殴った。
恭介さんは後頭部を撫でながら、でもどこか幸せそうに笑う。
「先輩、その話し、進めてもらっていいですか」
「そうか! 行く気になったか! よし今日は飲め、きっとカミさんも喜んでるよ」
ええ、喜んでいます。
天宮さんありがとう。
「先輩も、奥さんと嫌いで別れた訳じゃないんでしょ。きちんと生きてるうちに言わないと」
「ああ、まぁ。な。」
天宮さんの奥さんはお姑さんとの仲がどうしても修復不可能で出て行ってしまったと聞いた。
今でも時々会いに来ているようだ。
「確かに。言える相手がいるうちに、言わないとダメだな」
そう言って、ため息をついた。
私はもう、言えない。
言いたいことがあるのに。
言えるうちに、言えなかった。
職場が変わって、恭介さんは見違えるように変わった。
環境も良かった。
元の職場のスキルを生かすことが出来る。
生き生きと働いているのが分かる。
きっともう大丈夫だ。
恭介さんは私がいなくてもやっていける。
もうすぐ私の命日。
その日に私を呼ぶ声のする方へ行こう。
でもその前に、天宮さんにお礼をしなければ。
私は天宮さんの元奥さんの所へ行った。
女性の方が幽霊を見る能力のある人が多いことはこの数年で学んでいた。
私は奥さんが眠っている時に話しかける。
「旦那さんは、縁りを戻したいと思っていますよ」
「今もあなたを愛していますよ」
うーん、夢枕に立つとか出来れば便利なんだけどなぁ。
恭介さんにはこの方法でも声は届かなかった。
でも、元奥さんは起きた時不思議そうな顔をして、天宮さんの写真を手に取っていた。
このままうまくいくと良いな。
私の命日。結婚記念日。
恭介さんは私のお墓の前に、墓前に供えるにはちょっと種類の違うんじゃないかと言う大きな花束を持って現れた。
「美桜…… 今までありがとうな。俺もう大丈夫だよ。----先輩に良い職場を紹介してもらったんだ。そこで元気に働いている。---お前のおかげだ。全部全部、お前のおかげだ。----お前なんだろ? 毎日晩御飯作ってくれて、掃除や洗濯まで。---お前、家事苦手だったのに…」
恭介さん。
恭介さん。
「ありがとう。ありがとうな。俺。もう。 大丈 夫、だから----」
あの日のようにボロボロ泣きながら墓前に似つかわしくない花束を置く恭介さん。
本当にもう大丈夫?
ああでも、私どうしてもあなたに言いたいのよ。
どうしたら伝わるのかしら。
その時、雪がちらちら舞い始めた。
その舞うような雪を見て恭介さんは
「桜が散っていくみたいだな。------美桜------ お別れなんだな」
そうよ。
もうお別れなの。
私はもう行かなくちゃ。
もう一度だけ。
そう思って背中へ抱きつく。
恭介さんは、それが分かったように私の腕をつかむようなしぐさをする。
「いるんだろ?美桜」
ええ、いるわ。
でももう最後よ。
最後だもの。聞いてよね。
お願い、聞こえて。
これだけは言いたいの。
照れやな私が、最後まで言えなかった言葉。
「------愛してるわ、恭介さん」
「美桜?!」
聞こえた?
聞こえた!
「愛してるの。ごめんなさい今まで言えなくて」
「美桜、美桜…」
「------愛してるわ」
言葉を伝えたことで、私の心残りが無くなったのか、自分の体が透けて行く。
ああ、成仏するんだ。
でももう心配ない。
私は何年でも向こうで待っているわ。
幸せになってね。
私を忘れないで、幸せになってね。
私を忘れさえしなければ、新しい奥さんを貰ってもいいわよ。
幸せになって。
幸せになってね。
------愛しているわ。
「美桜----俺も愛してる」
恭介さん。
恭介さん。
もう、意識が消える。
行かなきゃ。
「俺の妻に----永遠の愛を」
今を生きるあなたへ、永遠の愛を-----
すみません、またなんちゃってホラーになってしまいました(涙)
あ、エンディングは浜田省吾の『君に捧げる love song 』でお願いします。