8
夜、宿に帰ってきた俺たちは早速今日の出来事をカール兄へと話していた。
「――――ってことがあったんだよ。もうアタシ、アッタマにきてさー!」
「アッハハハハハ、そりゃ災難だったなぁ」
カール兄はそう言って笑った。
「笑いごとじゃないっての!」
レリは不貞腐れてビールを煽る。
そんなレリに苦笑しながら俺も自分の料理へとナイフを入れた。
――――美味い。
俺が頼んだのはアイスバイン。アイスバインはうちの国の郷土料理で、豚のすね肉を塩漬けにしたものだ。長時間熟成され、しっかりと煮込まれた肉は、旨味を中に凝縮しつつ、余分な脂が抜け出しとても口当たりがいい。特にこのアイスバインはナイフを入れた時に全く抵抗がないほど柔らかく、口の中で溶けるようだ。
切った際にあふれ出た肉汁をさらに上等な白パンにつけて一口。美味い……。焼きたての白パンはいつも食う黒パンと異なり柔らかく、ほのかな甘みと共に肉の旨味をそのまま舌へと伝えてくれる。今度は備え付けのザワークラウトと共に食べてみる。これも良い。ザワークラウトの酸味とアイスバインがなんとも合う。
世の中にはこんなにうまい料理が存在したのか……。
1000エーンもの大金を出した甲斐があった。俺はしみじみと味わう。こんなに丸々とした肉と、白いパンなんて祭りの時でも食べたことがない。俺は心底、街に来てよかったと思った。
ふとレリとカール兄がこちらを凝視しているのに気付いた。
「な、なー、ロベルト、アタシにも一口くれよー、いいだろ?」
「俺も一口くれ!」
「ダメ」
俺は即答した。
「ケチ! いいじゃん一口くらい!」
「頼む! それは去年からずっと食ってみたかったんだ!」
「断固拒否」
俺の至高の時を奪おうというなら例え誰であっても決して許さん。
「な、なんて眼だ。まるで子供を守る母狼のような眼……。手を出したら殺される……」
「単に欲深いだけだろ! もういいよ、アタシも頼むから! 女将さん、アタシもアイスバイン一つ」
「おいおいおい、お前ら初日からそんなに使って大丈夫か? 稼いだ金のうちの半分は村への仕送りなんだぞ」
「大丈夫だって、アタシ達今日は一人3万エーンは稼いだし」
「ブッ―――――!」
思わずビールを吹き出すカール兄。その直撃を浴びたレリは抗議の声を上げた。
「きた、汚ねーな! なにすんだよ!」
「す、すまん、お嬢。でも一人3万エーンって……マジか?」
「正確には一人29500エーンだけどな」
「約3万じゃねーか、変わんねーよ!」
カール兄はヤケになったようにビールを煽ると「あーぁ」と不貞腐れたように突っ伏した。
「俺たちは必至こいて朝から働いて5000エーンが精々だってのに、これじゃ先輩としての立つ瀬がねーてっての」
俺とレリはどう反応すればいいのか分からず、顔を見合わせて苦笑した。
「せっかく先輩として格好良くロベルトに娼館奢ってやろうとか色々考えてたのに、全部おじゃんだぜ」
ま、まままま、マジで?
俺が詳細を詳しく聞こうとする前に、顔を真っ赤にしたレリがフォークをカール兄に投げつけた。
レリがいるのを一瞬忘れていた。俺はそっと浮かした腰を下ろした。
「何変なことロベルトに教え込もうとしてんだよ! このエロカール!」
「変なことって、男なら誰もが一度は通る道だぜ。ロベルトも大人になったんだから色々溜まってきてるだろうし、犯罪に走らないうちに解消してやろうっていう兄心さ」
難なくフォークを躱したカール兄はにやにやと笑いながら言う。
「ロベルトにそういうのはまだ早いっての! 病気とかもらってきたらどうすんだよ。つかそういうとこ言ってるならカール兄はもうアタシ達に触んなよ、変なのが移る」
レリは年頃の潔癖でカール兄からちょっと距離を置いた。
クッソー、この分じゃ俺が娼館に行けるようになるのは大分先になりそうだ。
「だってさ、ロベルト。残念だったな、娼館は当分あきらめろ」
ニヤニヤと厭らしい笑いを浮かべながらそう言ったカール兄はふと良いことを思いついたとばかりに手を打った。
「おお、そうだ。それかお嬢にお相手してもらうってのはどうだ? 金も掛からないし病気の心配もないぜ!」
レ、レリに……?
俺は思わずその情景を脳裏に浮かべてしまった。
瞬間、何者かに突き飛ばされ、俺は椅子ごと横転した。
何が起こったのかわからず混乱する俺の目に映ったのは、耳まで真っ赤にしたレリの姿。
「変な想像すんな! このエロベルト!」
そんな俺たちをカール兄は心底おかしそうにゲラゲラと笑うのだった。
◆
「おはよ」
「おう」
翌朝、俺たちは気まずい雰囲気で目覚める……ということも特になく普通に目覚めた。
喧嘩をしても一晩寝れば仲直り。それが俺たちの間柄である。
昨日のことなど何もなかったかのように朝の挨拶を交わし、朝食を食べに行く。
そんな俺たちをカール兄はつまらなそうに見ていたが、当然スルー。
今度は遅刻しないよう早めに朝食を食べ終わり、門へと向かう。
「なんかさー、あの隊長が妨害とかしてきそうだけど、どう思う?」
「んー、昨日みたいなのはとりあえずしては来ないと思うが……」
「アタシもそう思う。結構見られてたしね。だからあの隊長の権限の範囲内かつアタシたちが抵抗しにくい方法で来ると思うんだけど」
「……ちょっと狩る量を減らすか?」
「それはヤメた方がいいんじゃね? それしたらやっぱり昨日のはインチキだったって言いそう。むしろそれなら妨害を受けても枯れることを証明した方がいいと思うな」
「結局、頑張るしかないってことか」
「だね」
そんなことを話しているうちに門が見えてくる。
そこに立っていたのは、厭らしい笑みを浮かべるクレーメンスだった。
覚悟は決めたとはいえ、あからさまに何か企んでいます、と言わんばかりのその笑みには思わずげんなりしてしまう。
「……おはようございます」
「今日は遅刻せず来たようだな」
俺たちの挨拶を無視し、いきなりそう切り出してくるクレーメンス。
「はぁ……」
「貴様らには昨日と同じく遊撃として各エリアを回ってもらう。ただし……」
ただし?
「昨日貴様らに担当の兵を付けなかったのはあくまでイレギュラー。今回はしっかりと付けさせてもらう」
まぁ当然と言えば当然の話だ。だがそれがなぜ妨害になるのだろう?
「また、貴様らの数が少ないことも考慮して、特別に担当の兵士も二人付けてやろう」
レリの顔が微かに歪む。レリには隊長の考えていることが分かったらしい。
隊長はニヤリと笑うと。
「分かっているとは思うが、討伐報酬は人数で頭割りだ。兵士たちも戦うわけなのだからな。文句はあるまいな?」
! なるほど、そういうわけか。
人数が単純に二倍になれば一人あたりに入ってくる報酬の量も半分になる。況してや俺たちの狩りの方法はほぼ俺の力頼り。人数が増えるのはデメリットでしかない。
相手側としては俺たちの足を引っ張ることができ、それを跳ね除けようと俺たちが努力すればするほど自分たちにも金が入ってくるという仕組みなわけだ。
顔に似合った厭らしいことを考える男である。
「ではお前たちに付く兵士を紹介してやる。おい! シュヴァインにフックス! こいつらがお前らの担当だ!」
「「へ、へい……」」
クレーメンスに呼ばれてやってきたのは、どこかで見たことのある二人組だった。シュヴァインと呼ばれた方の兵士は小柄だが小太りでかをも豚に似ている。フックスと呼ばれた方は背は高いがひょろ長く、顔は狐に似ていた。どちらも弱そうで、到底戦力になりそうになかった。
彼らは俺たちを見ると、顔を蒼くして隊長に縋りついた。
「た、隊長! 二人しかいないように見えるのですが?」
「ま、まさか4人で壁外警邏に行けなんていいませんよね?」
「そのまさかだ」
「そ、そんな~、勘弁してくださいよ! 昨日何人死んだと思ってるんですか!」
「明らかに異常が起こってるんですよ! しばらく壁外警邏は中止した方がいいですって!」
「ええい! うるさい! これは貴様らの職務怠慢に対する罰だと言っただろう! つべこべ言わずにさっさと行け! そもそも異常が起こっているならそれを正してくるのがお前らの仕事だろうが!」
クレーメンスはそう言って彼らを足蹴にすると最後に俺たちに向かってニヤリと笑い、去っていった。
「うう、なんでこんなことに……」
豚顔のシュヴァインがうなだれる。
「お前のせいだぞ! お前が職務中に良く買い食いをするから!」
そのフックスの言葉にシュヴァインも食って掛かる。
「それを言うならフックス! お前だって警邏中に娼婦を買ってたじゃねぇか! そっちの方が問題だろ!」
「おま、それは口止め料を払ったヤツだろうが!?」
やがて二人はそのまま言い争いを始めてしまった。哨戒中の居眠り、門番中の軟派、お気に入りの娼館へのガサ入れのたれ込み、落とし物の横領。次から次へと出てくる二人の不祥事の数々に、俺とレリはドン引きだった。これでもこの二人を首にしないクレーメンスはもしかするといい人かも、とすら一瞬思ってしまったほどだ。
「コイツら、とんだダメ人間だなー」
そんなレリの呆れた声に周囲の存在を忘れていたことを思い出したのか、口喧嘩はピタリと止んだ。
「あー、君たち、今のはただの冗談だから真に受けないように」
「はあ……」
咳払いしてそう言い繕うフックスに、俺は曖昧に頷くしか出来なかった。
すると、彼は顎に手を当てこちらをじろじろと観察し出した。
「というか、お前たちどこかで見たような……?」
「そういえば見覚えがあるな……、特にこっちの可愛い娘の方」
レリは居心地悪そうに俺の袖を引いた。
「知り合い?」
「いや……」
俺が口ごもっていると、ふいにフックスがポンと手を打った。
「んー? あっ、思い出した! あの時の田舎から出てきた幼馴染みカップルじゃねえか!」
「警備隊には来んなって言っただろうが!」
「し、しかも……しかも可愛い彼女と一緒に勤務だとぉ? 舐めやがって、舐めやがってぇぇぇ!」
「羨ましい、妬ましい……、俺もこんな風に一緒に警備をしてくれる彼女が欲しかった……」
「それを貴様……! 当て付けか! モテない俺たちに対する当て付けかぁ!」
フックスに肩をガクガクと揺すられながら、俺はこの二人と組んでの魔物狩りに、前途多難を感じずにはいられなかったのであった。
◆
ソレは、液体に満たされた不思議な筒の中でまどろんでいた。
筒は一面銀色にコーティングされた部屋の壁際に並べられており、中にはコボルトやオーガ、リザードマンなど様々な魔物がソレと同じように心地よさそうに漂っている。
ソレもいつもは彼らと共に眠りについているのだが、時折こうしてふと目が覚めることがあった。
「(ふむ、HM1はの経過は非常に良好のようだな)」
何者かの話声が聞こえたような気がしたソレがそちらを見ると、そこには❝神❞がいた。
彼らの種族に伝わる伝承に出てくる、彼らを生み出し力を与えてくれる❝銀の神❞。
ソレは神に向けて祈りの言葉をささげたが、残念ながら神たちはソレに気づかなかった。
仕方がない、神と直接話してみたかったが彼らの話を聞いて仲間への土産としよう。ソレは神たちの話に耳を傾けた。
神たちは、光る板を前に何かを話し合っているようだった。
板には一組の人間のオスとメスを映し出しており、神たちの話はその人間たちに付いてのようだった。
「(HM1は早くもパワールビーの力を扱えるようになったようだな)」
「(うむ、極一般的な個体だったというのに、凄まじい身体能力だ)」
「(脳内に埋め込んだAIも正常に作動しているようだな)」
「(AIにはデータの収集及び、能力行使の補助をさせている。今後は安定した能力の発動が観測できるはずだ)」
「(HF1方はどうだ? HM1と似通った環境下にあるのだろう?)」
「(覚醒の兆候は見られないな。あちらはまたHM1とは違った試みだから、同じ状況かというだけではだめなのかもしれん)」
「(むぅ。ではMシリーズの方はどうだ)」
「(そちらは順調だ。Hシリーズと異なりすべての個体が適合に成功した。すでに覚醒済みの個体も一体確認している)」
「(それは素晴らしい)」
「(ただ、少し問題もある)」
「(何だ?)」
「(Mシリーズの一体が力を得たことによりそれの率いる種が生態系のバランスを大きく崩しつつある)」
「(それの何が問題なんだ? 良い実験データじゃないか)」
「(このままでは遠からずHM1の居住地域にその余波が押し寄せてくる)」
「(ほう、それは……)」
「(HM1を離れた地域に隔離するか?)」
「(……いや、むしろソイツとぶつかるように調整してみよう)」
「(なに?)」
「(より危機的状況に陥ることにより、HM1にどのような変化が生まれるか知りたい。それにうまくいけば……)」
「(HF1の覚醒も見られるかもしれない、か。よし、じゃあその方向で調整してみよう)」
やがて神たちはソレのいる部屋から立ち去って行った。
部屋に静寂が戻る。
ソレは満足していた。今日はたくさん神たちの話す姿を見られたからだ。話している内容はさっぱりだったが、それがまた神秘的だ、と思った。
ソレは自分たちの言語が神と同じ言語である偶然を感謝しながら、再び深い眠りについた。