7
枯草の中に無造作に打ち捨てられたドッグラットの死骸。それに恐る恐ると近づいていく5つの影があった。
暗緑色の肌。ぎょろりとした半ば飛び出しているかのように見える眼。唇のない、耳まで避けた口とそこから覗く犬のように鋭い牙。人類の仇敵、ゴブリンである。
一際大きなゴブリンを中心とした集団は、辺りを相当に経過しながらもネズミに近づいていく。
ネズミの死骸は全部で5つ。うち3つは鋭利な刃物に切り裂かれ、残りの2体は矢に刺し貫かれている。明らかに人間の手によってのものと一目で分かった。
ゴブリンたちが注目したのは、その中でもネズミのしっぽだ。どれも尻尾を切り取られており、ゴブリンたちはそれがこの付近の町に住む人間たちの習性だということをよく知っていた。人間たちは、己が殺した獲物の一部を持ち帰ることで手柄を誇る習性があるのか、必ずと言っていいほど獲物の一部を切り取って採集していくのである。その行動自体はゴブリンにも存在するので、彼らにもよく理解できた。
そして何より彼らにとって重要なのが、その一部とは大抵の場合、嵩張らないよう小さく特徴的な部位であることが多いこと。
つまり、ゴブリンたちにとって最も重要である肉の多い胴体部分はこうして放置されていくのである。そしてなにより部位を回収された死骸があるということは、もうその場を人間たちが立ち去った後だということも、ゴブリンたちはよく知っていた。
じゅるり、と湧き出した唾液が顎から滴り落ちる。今にもネズミの死骸に噛り付きそうなゴブリンたちだったが、わずかに存在する理性がそれを押しとどめた。リーダーが食うまでは、下っ端は手を出してならない。未熟なゴブリンの文明にも存在する数少ないルールの一つだ。
そしてリーダー格のゴブリンがネズミに噛り付いた瞬間、他の4匹も我先にとネズミに噛り付いた。何の幸運か、ネズミの数は5体。獲物の奪い合いにはならない。
一心不乱にネズミを喰らうゴブリンたち。
――――実に無防備な姿だった。
ヒュッ! という風切り音と共にリーダー格の胸に矢が突き立った。
驚愕に目を見開くリーダー格。食事に夢中になっていたゴブリンたちは、リーダー格がドッ、という音を立て地面に倒れ伏してようやく敵襲に気づいた。矢が突き立ってからリーダーが倒れて音を立てるまで、わずか一秒。けれどその一秒は致命的な一秒だった。
なぜなら50mという距離を置いて身を潜めていた死神が距離を詰めるには十分すぎる時間だったのだから。
死神が鎌代わりに振るった漆黒の槍は一振りで固まって食事をしていたゴブリンたちの足を砕き、あるいは切り裂いた。
強制的に地面に尻餅をつく形となったゴブリンたちは、己の足を見て戦闘能力と逃走手段を奪われたことを悟り、絶望した。
そんなゴブリンたちが最後に見たものは、自分たちに向かって矢が飛来していく光景だった。
◆
「いよっし!! これで何体目だ、レリ?」
最後のゴブリンを始末した俺は、駆け寄ってきたレリへと問いかけた。
レリは息を軽く切らしながらも弾む声で答える。
「15体目! ドッグラットは33体! 計54000エーン!」
「54000!?」
50000って言ったらアライダ銀貨一枚じゃねぇか!
「アライダ銀貨って節約すればひと月暮らせる金額だよな!?」
「そう!」
「それを一日で稼いだのか!」
うおっしゃぁぁ!!
俺は思わずレリと抱き合った。
「レリ、お前天才! このやり方してから一気に倒した数増えたもんな!」
俺は心からレリを褒めたたえた。
レリは照れ臭そうに笑いながら言う。
「ニハハ、最初、ネズミのしっぽを切り落とらなかったことに気づいたときは失敗したと思ったけど、結果的は最高だったよなー」
そう、俺たちは最初に倒した7体のネズミの証明部位を採取するのを忘れていたのだ。慌てて回収しに行ったときは既にほかの者たちに回収されており、その上何かに酷く食い荒らされていた。当初は落ち込んだものの、それを見たレリがふと思いついたのだ。殺したネズミの死骸が食い荒らされたということは、それを放置すれば労なく他の獲物を誘き寄せられるのでは? と。
そして、その思いつきは正しかった。最初は隠れる距離が近すぎて気づかれたり、しっぽが残ったネズミはなぜか手が付けられなかったり、餌のネズミが敵の数より少なかったときは残ったのが見張りに残ってしまうなど失敗があったが、ひとつづつ改善したことによりこうして楽に大量の魔物を狩ることに成功していた。
「なー、ロベルト。そろそろ日も沈んできたし、鐘も鳴るころじゃね?」
「もうちょっと余裕あるだろ」
「朝も遅刻で、終わりも遅かったらちょっとめんどくさいことになるんじゃね?」
「む……そうだな」
レリの言うことにも一理あった。
俺は頷くとレリと共に帰路へと着いた。
だが門に近づくにつれ何か違和感を感じてきた。
なんだ? なんか……空気がおかしいような。
「ロベルト……なんか数が少なくね?」
レリの言葉にハッとする。そうだ、確かに少ない。まだ鐘が鳴ってないからというのもあるだろうが、朝の半分ほどの人しかいないように見える。
それだけならまだ帰ってきてないだけ、と納得することもできたが、グループの数が朝と同じ数というのがなんとも嫌な予感をさせた。
帰ってきている人たちの様子もそれに拍車をかける。彼らは皆一様に地面に座り込み、うつろな目をしているのだ。けが人も多く、腕や足にまかれた包帯には血が滲んでいた。
「む、貴様ら、無事だったのか。幸運には恵まれているようだな」
帰還者たちを観察していると、警備隊長のクレーメンスが話しかけてきた。
「なーんか空気昏くね? なんかあったん?」
「口の利き方には気を付けろ! 俺は貴族だぞ! まぁいい。……どうやら今日は魔物の数、特にゴブリンが異常にいたらしくてな。多くの犠牲者が出たのだ。お前たちは……その分だと遭遇しなかったようだな。遊撃なのが幸いしたか。今日はその幸運を噛みしめてとっとと帰るんだな」
「その前に証明部位の換金をお願いしたいんだけど」
「……ない? まぁいい。どうせ大した数ではないだろう。見せてみろ」
「ほい」
レリが手渡した小袋を無造作に見たクレーメンスは目を見開くと声を荒げた。
「な、なんだこれは!」
「へへー、すごいっしょー」
「貴様ら、どんな汚い手を使った! 他の面々の獲物を横取りでもしたか!」
「は!? なんだそれ! アタシ達はちゃんと自分たちの手で狩ったっつうの!」
「嘘をつけ! 貴様らのような奴にこんな大量の魔物……それもゴブリンを倒せるわけがないだろうが!」
「アタシ達はズルなんかしてない!」
「まだ言うか!」
怒鳴りながらにらみ合うレリとクレーメンスに、周囲の視線も集まってくる。
「隊長、何かございましたか?」
見かねたらしき兵士の一人がこちらへと近づいてきた。
「コヤツらが他の面々の獲物を横取りしたのだ」
「なんと……」
「そんなことしてない! 勝手に決めつけんな!」
その兵士は、クレーメンスの言葉を聞き目を見開いたが、レリの様子を見るとふむ、と考え込んだ。
「おい、誰か! 何者かに獲物を横取りされた班はあるか!」
「第一班はありません!」
「第二班、同じく!」
「第三班、何者かが討伐したネズミのしっぽは回収しましたが、強奪はありませんでした!」
「第四班もありません!」
それぞれの班に付いた兵士たちの申告に、クレーメンスは悔し気に歯ぎしりした。
「隊長、被害に遭った班はないようですが……」
「ふん、奪ったのが壁外警邏のものとは限らん。現に未回収のしっぽを回収した班があるではないか」
「そのしっぽはアタシ達が回収し忘れたもんだよ。最初だからうっかり忘れちゃったんだって」
「見え透いた嘘を!」
「数は?」
憤るクレーメンスを抑え、冷静な兵士が聞く。
レリは自信満々に答えた。
「7体」
「第三班! 回収した尻尾の数は!」
「えっと……七つです!」
それを聞くと兵士は頷き、クレーメンスへと言った。
「どうでしょう、隊長。今日のところは証拠もないことですし、この者たちに報酬を支払っては」
「貴様! 俺の言うことが信じられんのか!」
「いえ、ですが証拠もなしに報酬を支払わなければ警備隊がイチャモンを付けて報酬を踏み倒したという噂が街に流れかねません。今日は想定外の被害も出たことですし、そうなれば今後壁外警邏の募集が集まらない可能性があります」
「ぬ、う……」
「隊長」
「ふん! そいつ等への報酬はお前が払っておけ! それと明日ソヤツらに監視を付けて置くことを忘れるなよ!」
「ハッ!」
クレーメンスが去ると、レリは怒り心頭とばかりに地団駄を踏んだ。
「なんだアイツ!」
「すげぇ奴だったな……俺、呆気に取られて何も言えなかったぜ」
村にはああいう変な奴はいなかったので呆然としてしまった。
そんな俺たちを見て、かばってくれた兵士さんは苦笑した。
「災難だったなぁ、君たち」
そう言って兜を取った兵士さんは、カール兄に勝るとも劣らない美男子だった。どこか軟派な顔つきをしているカール兄に対しこちらは誠実そうな顔をしているのでより万人受けするかもしれない。そしてその内面も優れているのは先の問答からも明らかだ。
男も惚れる男とはこういう人を言うのだろう。
「あの隊長っていつもああなん?」
「うーん、確かにいつも贔屓が過ぎる人ではあるんだけど、今日は犠牲者が多くて苛ついてたのかな? ちょっと酷かったね」
「ちょっとじゃねーっつううの!」
「おいおい、その人に当たってもしょうがねぇだろ。どうもすいません、庇ってもらったのに」
「アハハ、気にしなくていいよ。よくあることだからね」
ホンマ、大した人やでぇ……。
「さ、換金をするから証明部位をもらえるかな?」
「うん」
「どれどれ? えっ!?」
袋を覗き込んだ兵士さんの顔が引き攣った。
「これは……すごいね。正直、隊長が疑った気持ちがちょっとわかるかも」
この人までそういうくらいなのかよ。
「兄ちゃんまでそんなこと言うのかよ!」
「ごめんごめん。ちょっと驚いて。大丈夫、報酬は払うから。えっと、日給を入れて、59000エーンだね。ちょっと待ってて」
ちょっと涙目になってるレリに兵士さんは慌ててそう言うと詰め所へと入っていった。
そして間もなくすると、手に二つの小袋をもってやってきた。
「それぞれアガサ銀貨11枚とアデリナ銅貨20枚入ってる」
「お~」
レリと二人袋を覗き込み感嘆の子を上げる。
そんな俺たちを微笑ましそうに見ていた兵士さんは、ふと顔を曇らせた。
「……もしかすると君たち明日から大変かもね。ここだけの話、うちの隊長はかなり粘着質だから一度嫌った人はずっと目の敵にし続けるからね」
俺はその言葉に、膨らんだ気持ちが一気にしぼんでいくのを感じたのだった。