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「随分時間がかかったな」
門を潜り抜けると、そこには先に手続きを終えた村のみんなが待っていた。
レリの姿もそこにあり、買ったものをごそごそとバックにしまい込んでいる。
「ごめんごめん。思いのほか時間がかかってさ」
「大方、門番に警備兵の誘いでも受けたんだろ」
カール兄が笑いながら言った。
「そうだけど、よくわかったな」
俺がそういうと、なぜか村のみんなは顔を見合わせて笑った。
「あそこの門番はな、如何にも世間知らずそうな若者が来ると決まって壁外警邏の誘いをかけるんだよ」
「やれ、女にモテる、だとか散歩気分で街の外を歩くだけで日給が支払われるとか、色々美味いことを言ってな」
「でもそんな楽で美味しい任務ならわざわざ出稼ぎの奴らにやらせるわけがない。街の住人に募集をかけりゃすぐさ」
「実際は酷いもんだぜ。街の外には魔物が時々出るからな。碌に訓練を受けたことのない若者じゃ、数の利がなけりゃすぐ死んじまう」
「数が多けりゃ魔物も襲ってこないが、壁外警邏は日給+歩合制だからな。魔物を倒さなきゃ大した収入じゃねぇ」
「装備も自己負担だからな。初期投資のことを考えれば、街の中で荷運びや土方した方が、安全で実入りもいいって寸法よ」
「奴らも壁外警邏の集まりが悪いと自分たち正規兵が動員されるらしくてな。それが嫌で熱心に勧誘してるって訳よ」
「しかも女にモテるってのも嘘だったしな。……嘘だったしな!!!!」
「な、泣くなよ……アヒム」
「ま、田舎モンが最初に引っかかる街の罠ってところだな」
なるほど。
村のみんなが口々に話す内容に、俺は納得する。
そこへカール兄が肩を組んできて、言った。
「良いか、ロベルト。街における最初の注意点だ。これからお前に「美味い話がある」なーんつって近づいてくる奴がいるが、本当にうまい話なら自分で独り占めにする。もし人数が必要な計画でも、まず声をかけるのは知人友人だ。それでも見ず知らずの他人に声をかけてくる奴ってのは、知人友人から縁を切られたそういう人種ってこと。覚えとけよ」
カール兄のその言葉に、俺は深く頷いた。
村に生きる人間にとって最も重要なのが信用と信頼だ。そこで生まれ、そして死ぬ農村の人間にとって、生き死にを左右するのが助け合いの精神だ。自分も誰かを助け、そして誰かに助けられる。そうした日常の中で信用と信頼が生まれ、結束を強くする。一方的に助けてもらうだけの人間や誰かを騙して生きていこうとする人間はやがてコミュニティーから追放されのたれ死ぬことになる。
よく、農村の人間は排他的でよそ者には冷たい、なんて行商人が言ったりするが、初めて会ったばかりの人間と村の人間を一緒のレベルで扱う方がどうかしている。誰にも優しく親切な人間は素晴らしいと世間の常識は言うが、それは今までお世話になった人間に対する不義理であり、むしろそういった八方美人な人間の方が冷たいと、俺は思うのだ。現に何度も村を訪れ世話になった行商人には村もそれなりに優しくなり、他の行商人よりも優先して取引したりする。そこには排他的でも受けた恩の分は恩返しをする農村の温かさがあると、俺は思う。
最もそうした騙しや利用を排除していく日々の中で村人たちはそういった悪党に対する免疫が失われ、非常に騙されやすい人種になっているらしいのだが、まだ村から出たばかりの俺にはピンと来なかった。
「つっても、ロベルトの場合は壁外警邏でも良いと思うけどな」
「え? 詐欺じゃなかったのか?」
「まぁ俺たち戦えない人間にとっちゃ詐欺みたいなもんだったけどな。強い奴がやれば他の奴の数倍から数十倍が稼げるし、もしお前が噂通りゴブリン5体を軽く倒せるほど強いのなら俺たちよりも何倍も稼げるんだからそっちにした方がいいと俺は思うぜ」
「まぁ街の仕事いろいろ探してみて決めるよ」
「だな」
「なーなー、話終わった? 早く行こうぜ~」
退屈したらしいレリがくいくいと俺の袖を引っ張る。なんだか構ってもらいたがりの子猫のようだった。ちょっと可愛い。
「お嬢も退屈してるみたいだし行くとするか」
そういって歩き出した村のみんなについていきながらカール兄に問いかける。
「ところで止まる場所とかはどうなってんの? 宿代とか食事代とか。レリはともかく俺は金持ってないんだけど」
それに大きさも問題だ。今回出稼ぎに来たのは俺を含めて20名以上。そんな人数をこの出稼ぎに賑わう季節に確保できるものだろうか?
そんな俺の不安をカール兄は笑って吹き飛ばした。
「安心しろ。ご領主様が持っている物件を借りて宿を経営してる村出身のご夫婦がいてな。出稼ぎの期間は格安かつツケで泊まれるようになってる。街に帰るときにまとめて払うから、最初は一文無しでも良いし飯もしっかり出てくる」
街に来てもご領主様のお世話になるとは……。
つくづく頭が下がる思いだ。
子供の頃はちょっと怖いレリの爺ちゃんって感じだったが、大人になるにつれてあの人の凄さと慈悲深さがわかってくる。
「アードリアン様には頭が上がらねぇな」
「まったくだ」
カール兄と二人、遠く離れたアードリアン様にしみじみ感謝をする。
「じいちゃんそんなことしてたのか。知らなかった」
「お嬢も、もうちょっと自分の爺様がどれだけ立派な人か知った方がいいぞ。そのうちご領主様が領地を国に返還したら、お嬢の一家が本格的に村長になるんだから」
「んなこと言われたってじーちゃんは昔からじーちゃんだしなー」
どこまでもピンとこない様子のレリにカール兄は苦笑する。
「ま、身内には案外わからんもんなのかもな。…………さて、ここだ」
そういってカール兄が立ち止まったのは古めかしいが楽に数十人が泊まれそうな大きな宿だった。
一回は酒場か食堂になっているようで昼頃の今は喧騒に満ちており賑わっているのが見て取れた。
「伯母さん、久しぶり。また出稼ぎに来たよ」
扉を開けカール兄が開口一番そういうと、女将らしい恰幅の良い女性がバッと振り返った。
「おや! おやおやおや! カール坊やじゃないか! 今年も来たんだねぇ!」
そういって女将さん(カール兄の伯母さんらしい)は、バシバシとカール兄の背中を叩いた。
「イテ、イテテテ、や、やめてくれよ伯母さん。それよりこっち。ご領主様のお孫さんのレリとそのお供のロベルト」
誰がお供だ。
とは口に出さない大人な俺。
「ども」
と軽くだけ頭を下げるレリ(これで意外と人見知りなのである)に、女将さんはパッと顔を輝かせるとレリの手を取った。
「まぁまぁまぁ! お嬢様がこの宿に来られるなんて! 私共がこの宿をやっていられるのもすべて御爺様のおかげ。精一杯御もてなしさせていただきます」
「ど、ども……」
顔面をドアップにして迫る女将さんに、レリは完全にたじたじになっていた。
「こうと決まればさっそくお部屋にご案内しなくちゃ。もちろんお嬢様には一番上等な部屋をご案内させていただきますね。坊やたちは適当に4,5人づつで部屋を選んでちょうだい」
「うわ、なんか一気に適当」
カール兄を初めとした村の人々が苦笑する。
「あ、あのさ。アタシ、ロベルトと同じ部屋でいいから」
突然そう言いだしたレリに「へ?」と呆気にとられる女将さん。
「はぁ……。でも……」
と戸惑う女将さんに、カール兄が何やら耳打ちをした。
「(いいから。伯母さん、お嬢の言う通りにしてやってよ)」
「(ええ? でもいいのかい? 万が一お嬢様に何かあったら)」
「(コイツラに限ってはなんもねぇって。あるならとっくになってる。ガキの頃から何度同じ部屋で寝泊まりしてると思ってんだ。一年位前まで風呂もたまに一緒に入ってたんだぞ)」
「(風呂も!? ……それってもしかして?)」
「(お察しの通り、もう半ばご領主さまご公認みたいなもんだよ。もしこれで間違いがあっても数年早まるだけだよ)」
「(なるほどねぇ。それじゃ未来の村長ご夫妻に塩でも贈らせてもらうかね)」
「(そうそう。でもその使い方は間違ってると思うぜ伯母さん)」
「(あらやだ)」
ホホホと笑った女将さんはくるりとレリへと振り向くと。
「それではお嬢様、お部屋をご用意させていただきますね。もちろんそちらもご一緒に」
「ヤッタ! ロベルト、アレ、夜になったら見てみような」
カール兄と女将さんのこそこそ話をきょとんと見ていたレリは、それを聞くとパッと顔を輝かせて俺に飛びついてきた。
(それで俺と同じ部屋になりたがったのか)
レリを抱き留めながら内心苦笑する。
身体は大きくなっても中身はいつまでも子供のままだ。
そんな俺たちをほほえましそうに見ていたカール兄がふと思い出したように言った。
「そうそう、ロベルトは後で俺のところ来いよ。いろいろ街のことで教えなきゃいけないことがあっから」
「わかった」
俺はそれに頷くと、はしゃぐレリの手にひかれて部屋へと向かうのだった。
◆
俺たちにあてがわれた部屋は、さすがに一番いい部屋というだけあってかなり広く清潔な部屋だった。
大きさも実家のリビングくらいはあり、うちが小さいのかこの部屋が大きいのか。悩みどころだった。
ベットは一つだが優に三人は寝れるスペースがあり、これならどちらかが床で寝なくても大丈夫だろう。
俺は荷物を部屋に置くと、すぐさまカール兄のところに向かった。レリも当然のようについてくる。
カール兄の部屋はベット代わりのマットレスが6個ほど敷かれただけの狭い簡素な部屋だった。レリの部屋との違いをひしひしと感じる。俺もレリ一緒じゃなかったこのタコ部屋に押し込められていたのだろう。そう考えるとカール兄たちには申し訳なくもなった。
俺たちに気づいたカール兄が笑顔で出迎えてくれる。同室の人たちは既に出掛けたのか部屋にいなかった。
「お、来たな。お嬢も一緒か。ま、座れよ」
カール兄はなぜか銅貨や銀貨を何枚づつか床に並べていた。
レリと二人カール兄の前へと腰を下ろす。
「さて、これから二人にはお金のお勉強をしてもらう」
途端レリが顔をしかめた。
「勉強~? アタシ勉強嫌い」
「安心しろ、勉強つってもお嬢にはほとんど必要がない」
「そんなん? じゃあいいや」
そんなレリにカール兄は苦笑する。
「お嬢はもう少し勉強できるってことが上流階級の特権ってことを知った方がいいかもな。さてロベルト、この床に置いてある硬貨のを見て何か気づくことはないか?」
「え? うーん」
言われ硬貨を観察してみる。そして気づいた。
「そういえば一枚一枚絵が違うな」
「そう。これらは全部違う国が発行した違う硬貨だ。右から【エーン銅貨】【アビー銅貨】【アデリナ銅貨】【アガサ銀貨】【アライダ銀貨】だ。この他にも結構種類があるがこの辺で主に使われてんのはコイツラだな」
「ふーん。なんか女の名前ばっかだな」
俺がそういうとカール兄はニヤリと笑った。
「お、いいところに気づいたな。そうだ、基本的に硬貨の名前は女性名を付けられてる。……なんでかわかるか?」
「えー、たくさんの女の子に囲まれてる気分になるか、とか?」
「アッハッハ、そりゃいいな。ある意味惜しいけど違う。答えはな、お金をたくさん持ってると女が寄ってくるからさ。お金も少ないとこより多いところに集まってくるもんだからな。……そういうとこ、女に似てるだろ?」
お金持ちにとっちゃ女はお金の仲間に見えてんのさ、そう嘯くカール兄にレリは憤慨する。
「えー、なにそれ偏見! アタシは金持ってるだけの男なんか興味ねーし」
「そりゃお嬢が良い女だからだよ。でもそうじゃない世の中の大半の女は顔か地位かお金で相手を選んでんのさ」
だからカール兄は街で今までどんな目に遭ってきたんだよ。
「話がズレたな。さて、この硬貨はみんな価値が違うんだ。俺にはよくわかんねーけど、銀の含まれてる量とかそれを発行した国の信用? とかで価値が違ってくるらしくてな」
そういってカール兄は一つ一つ硬貨を指さしていく。
「この中で一番高いのはこの【アライダ銀貨】だ。これ一枚で持ち家があるなら節約すりゃあひと月は持つ。かなり価値がデカい方なんで商取引とか給料の支払いでよく使われたりする。んでこの【アガサ銀貨】は大体【アライダ銀貨】の20分の一くらいの価値だな。庶民によく使われてる」
「え? 同じ銀貨なのにそんなに価値が違うのか?」
俺は二つの銀貨を見比べてみるも【アガサ銀貨】の方が一回り小さいくらいで、あとは絵柄くらいしか違うようには見えない。
「不思議だろ? たぶん、実際含まれてる銀の量は20倍も実際はねぇと思う。差額分は国の信用ってやつの値段なのさ、きっと」
「しかも地域を移れば同じ通貨でも価値が結構違ってくるらしいよ。この【アライダ銀貨】がここまで価値があるのも、これをうちの国が発行してるからってのもあるしね」
「はぁ~……なるほどねぇ」
まじまじと二つの銀貨を見比べる。見えない信用まで金で測るとは……商人とは恐ろしい生き物だ。
「んじゃ次は銅貨な。一番価値が低いのがこの【エーン銅貨】だ。主につり銭で使用される。【アビー銅貨】は大体50枚くらいで酒場で定食とビールが一杯飲める。【アデリナ銅貨】は一番価値の高い銅貨で、25枚で【アガサ銀貨】一枚分ってところだな」
ややこし過ぎるだろ……これをすぐに覚えろって言われても俺には絶対無理だぞ。
「俺には覚えらんねーよ、って顔してんな。そんなロベルトに一つコツを教えてやろう。それは……」
「エーン銅貨って価値を測るってやつでしょ」
「……言うなよ、お嬢。知的なカール兄さんの見せ場だったんだからさ」
がっくりと肩を落とすカール兄。
「ごめんごめん、でも説明が回りくどすぎ。ちゃっちゃと終わらせて街に行こーよ」
「ったくお嬢は仕方ねーな。つーわけで答えはお嬢に言われちまったが、貨幣の価値を図るにはこのエーン銅貨で測るのが一番早いんだ」
「というと?」
「なんの偶然か、【エーン銅貨】は各通貨の最小単位になってんだよ。【アビー銅貨】は【エーン銅貨】10枚分だから10エーン。【アデリナ銅貨】は100エーン。【アガサ銀貨】は2500エーン。【アライダ銀貨】は50000エーンだ。……ぐっとわかりやすくなったろ?」
「ってことはこの【アライダ銀貨】一枚で【エーン銅貨】5万枚の価値があるってこと?」
「そうなる」
なんかモノの価値って変じゃね?
5万枚つったら相当な量だぞ。それがこれ一枚と同じ価値って。銀ってそんなに価値があんのか? もとは同じ石ころみたいなもんじゃねぇか。
というかよくよく考えてみればこれで食い物やらなにやらが買えるってのも変だ。食えないものと食えるものを交換してるんだからな。もし肉屋の親父が飢饉か何か起きて食うに困ったとき、はたしてこの銀貨と肉を交換してくれるのか。おそらくしてくれないだろう。喰わなきゃ死ぬときに食えるもんと食えないもんを交換してくれるはずがない。つまりその時はこの通貨という奴は無価値になる。
そう考えるとこのお金って奴が酷く不安定で無価値なものに見えてきた。
そして俺たちが長い時をかけて築き、繋げてきた社会という奴もまた、不安定なものに俺は思えてくる。
「……ロベルト? どうしたん? なんか顔色悪いぞー。頭使い過ぎた?」
ふと気づくとレリが俺の顔を覗き込んでいた。カール兄も少し心配そうにこちらを見ている。
「や、なんでもない。ちょっと頭に刻み込んでただけ」
「そうか? なんか熱とか出てきたら言えよ?」
カール兄はそういうと授業を再開した。
「ここまでお前らに通貨の価値を教えたのはまぁ普段の買い物で騙されない様にってのもあるけど、これが給料の支払いに関与してくるからだ」
「というと?」
「例えば街に求人の張り紙がしてあったとして、「荷物運び一か月、銀貨3枚」って書いてあったとする。大前はこれを【アライダ銀貨】3枚……つまり150000エーンだと思って飛びついたとして、実際は何銀貨か指定されてないから【アガサ銀貨】3枚なんてこともあり得るわけだ」
「ええ、そりゃちょっと酷くねぇ?」
月に7500エーンじゃ生活もままならないだろ。
「だろ? しかも出稼ぎに来た田舎者は当面の生活費を持ってない奴も多いからその間の生活費を貸しツケて、終わってみたら借金漬け、なんて性質の悪い話もあるんだぜ」
街怖ッ!
「まだご領主様が着任なされたばかりの頃にそういうことがあったらしくてな。そこでお優しいご領主様は出稼ぎの村人たちのためにこういう宿を設けて、しかも先輩たちがこういう風に後輩に指導する仕組みを作ってくださったってわけよ。……どうよ、お嬢? お前のおじいさまのすごさがちっとはわかったか?」
「爺ちゃんがすごいのなんてとっくに知ってるっての。ガキの頃から同じような話何度されたと思ってんだよ」
「アッハッハ、そりゃそうか。スマンスマン。ま、そういうことだからくれぐれもそういう仕事には気を付けるようにな」
そういうとカール兄は床の貨幣を小さな財布に入れると俺に渡してきた。
「ほれ」
「え?」
「貸してやるよ」
「え? いいのか?」
「ああ。仕事によっちゃ初期投資が必要なのもあるからな、その準備金だ。街から帰るときに返せよ」
「あ、ありがとう」
「気にすんな、これも伝統だ。んじゃまだ夕食まで時間があるから街を見回りながらどんな仕事があるか見てきな」
そういってカール兄は部屋を出ていく。
その背に俺は問いかけた。
「カール兄はどうすんの?」
「俺? 俺は……」
レリの問いにカール兄は振り返り、にへらと笑う。
「一年ぶりにアマーリアと愛を確認しに行くよ」
「「まだ付き合ってたのかよ!」」