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7.日々は盲目



 俺たちは、すっかり暗くなった窓を眺め、注文したバーガーとポテトが運ばれてくるのを待っていた。八千代の家を出るころには、雨はすでに上がっていて、中途半端に濡れた傘が邪魔だった。

「壮太。あたしたちはいま、恋人ですね?」

「……え? あ、はい。え? まじで言ってるんです?」

「今日だけで、いいので……」

 八千代はうつむき、モジモジしている。頭頂部が妙に腹立たしい。

「じゃあ、まあ、今日だけな」

 言って、俺は溜息をつく。妙なことになったなと改めて思う。ストーカーと一緒に、被害者である俺はハンバーガーショップで隣り合って座っている。出入り口の近く、窓にへばり付いているような横並びの席。一列、ほかには誰もいなかった。

 八千代は、俺のレシートと自分のレシートを並べ、愛おしそうに眺めている。こいつがストーカーでなければ、微笑ましい光景に見えた可能性もある。

「壮太はいつもチーズバーガーセットに炭酸な」

「うっせ。結局、それが一番好きなんだよ」

「そーなのか。楽しみだなあ」

 と、八千代との何気ないやり取りに、強烈な違和感が首をもたげる。

「お前、いま、“いつも”って言ったか?」

「うん。へへっ……壮太のレシート、けっこう集まってるぞ」

 頷き、少し照れくさそうに笑った八千代。こいつは顔の作りがもともと良いっぽいので、気を抜くと可愛い瞬間がある。辻斬りのような可愛さだ。うっかり殺されかねない。

「へへっ、じゃねえんだよ……。集まったやつ全部、経費で落としてくれませんかね」

「提出方法が不当なので無理ですね」

 本当なら、すぐに逃げ出して、警察に通報するのがベストだろう。実際、あの壁の絵を見た瞬間は、そうしようと思った。しかし、最初に教室で会ったときからそうだったのだが、どこか憎みきれないし、恐怖しきれない愛嬌みたいなものが、八千代にはあった。

 そしてなにより、あの異常な行為である。俺が少しでも八千代に接点を見出していたなら、いくらなんでも今の状況はないだろう。こいつの声をいままで聞いたことがなかった、そう思うレベルで接点がないのだ。それなのに、あの熱量はなんなんだ。そういう、好奇心のようなものが、いまは恐怖心よりも勝っていた。

「塾に行く前とか、帰りとか、壮太を見かけたら後をついて回ったりしてた。気付かなかったでしょ?」

 あたしって凄いでしょ、という雰囲気が感じられ、呆れてしまう。

「お前のステルス性能どうなってんだよ」

 会話の内容がどうあれ、俺たちの関係がどうあれ、店員や周りからすれば、ただの学校帰りの高校生だ。ひとり、やけに血色の悪いやつがいるけれど、ゴシックなガールズバンドのボーカルですとでも言えば、そう見えなくもない。初夏になろうというのに冬服なのも、そういう尖がった雰囲気に拍車をかけている。滞りなく、ハンバーガーセットが二つ運ばれてくる。どちらも内容は同じだった。

 俺はさっそくフライドポテトを口に放り込んだ。それを八千代は面白そうに見ている。

「なに、それ手でいくの?」

「あぁ。あとで拭け」

 そう言って、俺はナプキンに指をこすり付けて見せた。八千代はカクカクと首肯してみせ、緊張した面持ちでフライドポテトに手を伸ばす。

「そんな顔でポテト食うやつ見たことねえわ」

「緊張の一瞬です……」

 なにやら実況めいた呟きで、八千代は俺のようにポテトを口に放り込んだ。もっとも、見える範囲で一番小さいものだったが。

「しょっぺえ!」

 八千代が思いのほかデカイ声を出したので、俺は少し焦った。だが、いちいちこちらを気にしている人はいないようだった。塩辛さが心地よいのか、八千代は一心不乱にポテトを口に運び、膨れ上がった気持ち悪い笑顔でゆっくりと咀嚼している。

「あ゛ぁー……、うめー」

「その状態で口開けんじゃねえ。お前、意外と行儀悪いな」

 数少ない八千代のイメージといえば、クラスの前方の席で背筋を伸ばして座っている姿だ。黙って黒板を見ているか、少しうつむいてノートや教科書を見ている。昼休みもそんな感じで、あいつは飯を食わないのかと不思議に思ったことがある。それで、印象に残っていたのだ。綺麗に伸びた背筋は、曲がることがなかった。

 だが、いまはどうだ。食べこぼしつつ、猫背で狂ったようにフライドポテトを食っている。そんなにうまいのかと、少し涙が出そうになった。

「軽薄で、自堕落なものに憧れたんだ」

 八千代はボソリと言った。最後の一本になったポテトを、リスのように齧りながら名残惜しんでいる。

「は? なんだそれ。しかし、食うの早ぇな……。ちゃんと噛まなきゃ駄目だろ」

「うるせー。くそウゼー」

 なんだとこいつ。

「とか、そういう言葉遣いもしたかった」

 ズズッと、俺の炭酸飲料が底をついた。ガラガラと氷を転がし、カップをトレイに置く。

「……やればいいだろ」

「無理だった」

 八千代は、少しずつ語り始めた。大好きな両親を裏切れないこと。二人に望まれた自分を、頑張って目指していること。でも、うまくできている気がしないこと。両親に少しでも反発できる妹が羨ましかったこと。本当は、両親なんて大嫌いであること。

「馬鹿じゃねえの。妹を見習えよ。飯も食えなくなるほど無理するもんでもねえぞ」

「いやだ、って言いたくないんだよ。大嫌だって言いたくない。思いたくないんだよ。親なんだぞ。物心つく前から養ってもらってる分際なんだよ、あたしは……。傷つけたくないんだよ」

 俺だって両親には感謝している。だが、八千代もその両親も、常軌を逸しているとしか思えない。

「うるせー死ねババァくらい言っても、うちの母ちゃん、めげねえぞ。むしろ、しつこく生きてやるから覚悟しろって言われる。んで、あとで父ちゃんにすげえ怒られる。それで済む話だ、フツー」

「深雪家に生まれたかったよ。お兄ちゃん」

「死ね気持ち悪い」

「……うちの親は弱いんだよ。妹の嫌そうな顔にも、いつもビクついて、なにかあるとすぐに泣く。お父さんも、お母さんも、娘のあたしたちが怖いんだ」

 言葉がでない。親の泣きっ面は、子供にはたしかに辛いものがある。幼少のころなら、世界の終わりかと思うくらいに驚く。しかし、八千代の親ほどになると俺の想像を超えてしまい、臨場感をともなわなくなった。

「あたしたちがまだ小さかったころのアルバムを見て、理解できない、怖い、この頃は可愛かった、って泣いてるのを見た」

「そっちのが怖ぇわ」

「まったくだな」

 それだから裏切れなかった、と八千代は言う。

「最初に自殺を図ったとき、両親はなにもなかったことにした。忘れたふりをしたんだ。あぁ、この人たちは、“こうあって欲しい子供”しか見てないんだなと思ったよ」

 そして、八千代は未来を想像した。勉強して、勉強して、受験して。また勉強して、勉強して、採用試験を受けて仕事して、仕事して、仕事して。いつか親になったとして、育児して、仕事して、育児して、仕事して。もし、どこかで失敗したら。もし、自分の子供が怖くなったら、理解できなくなったら、思っていたのと違ったら。閉塞感と、もしもの地獄。

「死ぬほど勉強して超優秀になったあたしの頭は、そんな未来を描いた。それからずっと、あたしはこう。死にたくてたまらないけど、死ねなくて――」

 漂ってる、と八千代は自嘲した。

「ポエってんじゃねえよ。お前もずいぶん弱ぇな」

 だからこそ、両親と未来の自分を重ねてしまうのだろう。

「そーなー。ホントそう。さっさとお終いにすればいいよね」

 よくある、くそみたいな悩みだった。俺にもあった。

 そんなものは、とどのつまり、やってみるまで分からないのだ。想像上のものは所詮、想像だ。俺が、こいつにストーキングされていて、一緒にチーズバーガーを食う未来を想像しえなかったように、こいつにも、きっとそういう予想外の出来事が起こる。そう説教でもして、笑い飛ばせば済むような話だ。その説教が、的を射ていようがいまいが、予想などつけようがないのだ。

 しかし、八千代にとってはすべてが手遅れだった。おかしくなった八千代は、人間としての根本に俺という他人を差し込んだ。俺をついばみ続け、ついばみ尽くしたら、どうするのだろうか。

「さあ……。そうなるまえに、なんとかしたい」

 望まれている正しい子供でいようとした八千代。生きなければいけないから、生の代替行為を見つけ出した。だが、彼女にとって死の魅力は圧倒的だ。生きるか死ぬかの堂々巡り。俺の机に突っ伏し、手首をカッターで薄切りにしていた姿が、まさに、いまの八千代のすべてだったのだ。

「突然、車にでも轢かれないかな。即死を所望する」

 八千代は、暗くて腐った森林のような、もうどうしようもなく死んでいる顔で、そう言った。

「なんで、人間はこんな生き物になっちゃったんですかね? 心と体が離れるくらいなら、最初っから心なんて要らなかったですよ」

 代替行為に寄りかかる前の八千代なら、まだ常識の範囲内だった。まっとうな救済をするなら、そのときに手を差し伸べる必要があった。

「あたし、人の来ない山奥に生えてる木になりてえな。季節とともに移ろいてー」

「お前みたいなのがひょっこりやって来て、極太の縄を下げるんじゃねえか?」

「あー、くそ。木に下がるのだけはやめとこう」

 とはいえ、死んだあとの迷惑なんて考えていたら、それこそ、どうやっても死ねない。

「ところで、さっき聞きそびれたんだが、なんで俺なんだ?」

「え? 携帯の待ち受け画像の話?」

「違う。そのくらい予想してたわ……。なんで俺をストーキングしてんのかって話だ」

「あぁ……、そうだった、そうだった。悠子ちゃん、すげえキレるからパニックになって忘れてた」

 へっへっ、と様々なバリエーションを誇る気色悪い笑みで八千代は俺を見る。いつの間にか、さっきまで少し紅潮していた肌が、真っ白な紙みたいになっていた。目の下のブラックホールのような隈が、いっそう際立って見える。

「壮太。君は、あたしの憧れそのものだったんだ」

「軽薄で自堕落なものに憧れたって言わなかったか?」

「はい」

「ふざけんな」

 なんなんだこいつ。

 自分で言うのもなんだが、俺はとても普通でまっとうな高校生だ。自殺未遂しまくって悪目立ちもしない。

「壮太は、勉強もそこそこ出来て品行方正。意外と先生からも評価されてる。そのくせ、友達とは馬鹿みたいに騒いで遊んでたりもする」

 完璧だった、と八千代は薄っすらと切ない笑顔を浮かべた。ひどく、かき乱される笑顔だ。こいつは遠い存在なのだと、感じさせられる。それこそ、この世とあの世ほどの違い。隣り合って座ってはいるが、俺たちの間には絶望的な距離がある。

「そんな普通のやつになりたかったのかよ」

「うん。焦がれたよ。どうやったら壮太になれるのか研究してるうちに、あたしは死にたいってことを忘れてた。壮太を追いかけている間は、夢中になれたんだ」

 そうして、八千代は徐々にその行為を生きなければならない理由に変えていった。




 小一時間ほど居座って、俺たちはバーガーショップを出た。チーズバーガーセットと、おかわりした飲み物代は俺が支払った。尻ポケットの財布が少し軽くなったが、まあいいだろう。

「ごちそうさまでした」

「おー」

 八千代はぺこりと頭を下げ、真っ白な顔を満足げにほころばせた。危うく、可愛いな、と言ってしまうところだった。こいつは、めっちゃ死にたいストーカー女なのだ。忘れてはいけない。

「はー……。満たされてしまった」

 八千代は両手を口元に当て、恍惚に似た溜息をついた。

「たったあれだけで、もう満腹か?」

 女の胃袋の大きさなど知らないが、普段の食生活を想像するに平均よりも小さいに違いない。

「あたし、たぶん三日くらいは壮太じゃ抜けない」

「……は?」

「どうしよう?」

 とても切ない声と表情の八千代に、俺の頭がおかしくなりそうだった。なんなんだこいつ。

「すまん、意味が分からん――」

 あ、という間だった。ぱっくりと口を開いた八千代は、食べたものをすべて吐き出した。幸い、建物の隙間に自ら顔を向けたので、通行人にゲロを噴きかけるという事態は避けられた。

「お、おい……! 慌てて食うからだぞ。チーズバーガーとかほぼ丸呑みだっただろ」

 へえっへえっ、と物悲しい嗚咽をもらし、八千代は膝をついている。ちょっと前から顔色がおかしいとは思っていたが、どうやら吐きそうだったらしい。

「早く言えよ。まったく……」

「壮太……」

「おう、なんだ。平気か?」

「壮太」

「臭ぇよ。あんまこっちに顔向けんな」

「助けてよ、壮太……」

 そのとき、たしかな助けを、俺は求められた。

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