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6.代替少女



 俺がずぶ濡れだというのに、着替えたいから家までついて来いと篝は言った。俺は身の危険を感じて断ろうと思ったが、妹もいるから大丈夫ということで、ひとまず納得した。それに、うちと篝の家は遠いので、行ったり来たりは大変に面倒だ。

 篝の家は一軒家で、俺は彼女の部屋の前で待っていた。その間、渡されたバスタオルで体を拭く。

『八千代』

 と墨汁で書きなぐられたネームプレート代わりの半紙が、ドアに釘で打ちつけられている。趣味がイカれすぎていて笑えない。しかも、やたらに芸術点の高そうな字だった。

『死んでます』

 と書かれたプレートがドアノブに引っかかっている。たぶん、“寝ています”と引っかけたジョークグッズなのだろうが、篝の場合は重すぎてドン引きするレベルである。やはり、笑えない。

 タオルを首にかけ、吹き抜けの手すりに体重をあずける。まるで風呂上りのようだった。湿った服が肌に張り付き、爽やかさのかけらも感じられないのが難点だ。

 ふと視線を感じて、俺は廊下の奥に顔を向ける。奥の部屋のドアの隙間から、ロングヘアの少女が、驚いた顔で俺を見ていた。篝に少し似た、俺たちより年齢が下に見える少女だ。おそらく、妹だろう。

 俺と目が合い、はっとした顔で妹がドアを閉めた。それと同時に、目の前の失敗したデザイナーズ物件のドアが開く。

「お、おまたせ」

 篝が冬服で現れ、にへにへと内臓に毒を塗りこむような致命的な笑顔を見せる。そんな顔に見えたのは、篝の部屋のせいだ。さらに言うなれば、向かって左の壁。そこに張ってある写真のせいで、直接内臓へ毒を塗り込められたような気分になったのだ。

 ぐいぐいと、その写真は俺の腹をまさぐり、ざらざらした毒をすり込んでいく。

「おい……。なんだよ、あの写真」

「ん?」

 と振り向いた篝は、すぐに嬉しそうな顔で俺へ向き直る。

「壮太くんの絵。しかも切り紙絵。あたしが作った」

 鳥肌が立った。壁一面の巨大な写真だと思ったものは、タイルのように小さな何かを張り集めた絵だったのだ。微笑みかける深雪壮太の肖像。その笑顔が、違和感で俺の頭を殴る。

「すごい? すごいよね。まずは小さい写真をたくさん印刷して明暗と色合いごとに取り分けて、それから……」

 うへうへと、自慢げなのか自嘲しているのか、分かりづらい笑い方で、篝は製作過程を早口で説明し始めた。

「うるせえ。どうやって作ったかなんて、どうでもいい」

「お、そうだよね。ほかにもいろいろあるよ。ご飯の前にちょっと見ていく?」

 この熱量はなんだ。早口で、詳細に、身振りを交えて熱弁する。如何にしてその魅力を伝えようか。あれもこれも知って欲しい、そうすれば、あれとこれも楽しめる。そういった、ある種の愛好家じみた熱量は、いったいどうして篝のなかに生まれたのか。接点など、いままでなにひとつなかった俺へのこの偏愛は、どうして生まれてしまったのか。

 あまりにもショッキングで、俺は唖然としたままそんなことを考えていた。

 篝の部屋に招き入れられていた俺は、いま、『血』とラベリングされた小袋を自慢されていた。中には脱脂綿が入っていて、乾いた血がこびり付いている。どうやら、先日、体育のときにすっ転んで、保健室で手当てしてもらっときのもののようだ。養護教諭の怠慢だと憤ることもできない。こんなものを盗むやつがいるなんて、思いもよらないだろう。

「これは、よろず箱のなかでも特に高価値。壮太くんの中身だからね」

「なんでだよ」

 うぇ、と不思議そうに俺を見上げる篝。急に話の腰を折られ、驚いているようだった。

「なんでお前はこんなことしてる?」

「……え?」

「勉強はどうした。時間が足りねえんだろ?」

「してる。鼻血出るくらいしてる」

「じゃあ、こんなことやめて、飯食って風呂入って寝ろ。そうすりゃ、もっと余裕が――」

「なんで? そんなの無理だろ」

 篝が、本当の篝が、篝八千代の正体が、見えてきた気がした。言っていること、やっていること、そのいずれにも、まったく共感できない。理解すら難しい。だが、ここなんだ。いま、たしかに俺は、篝八千代の尻尾を掴んだ。

「なんでそんなこと言うんだよ。あたしは生きなきゃいけないんだぞ」

「自殺志願者が、なに言ってんだ」

「だって、生まれたなら生きろって望まれるんだぞ? そんな理不尽なことあるかよ」

 理不尽に死ぬやつもいれば、理不尽に生かされるやつもいる。

 篝はこじれている。篝の何かがこじれて、もう手が付けられない状態にまで、こんがらがってしまっていた。

「なんで選ばせてくれねえの? 死にたいのに、生きろって望まれる。死のうとしたって怖くて躊躇っちゃうんだぞ。体がうんって言わないんだぞ。自分にすら生きろって望まれる……。おかしいですよ」

 本当に死んでしまいたくて、篝は手首を切ったり、橋の欄干や高所に立つ。何度も。どうしても怖くて、失敗してしまう。それでも死んでしまいたいから、何度も繰り返し試みる。その度、体が死ぬなと言う。周りが死ぬなと諭す。生きろ生きろと言う。呪いみたいだ、と篝は言った。

「それが、どうしてこんな行為に繋がるんだ?」

 俺の質問に、篝は少し口を開け、言葉を選んでいる。理解できない阿呆の俺に、きちんと説明しようとしている。やがて――。

「死ねないなら、生きなきゃいけない理由を見つける必要があった。それが、壮太くん」

 人は生きるために様々なことを必要とする。食事や排泄、生殖や睡眠。そのなかに、俺へのストーカー行為が差し込まれている。少なくとも、食事や睡眠よりも優先されているようだった。ある意味、強烈な性欲とでも言えばいいのだろうか。

 生きるためにはそうするしかなかった、というにはネガティブすぎる。他人からの倫理や、原始的恐怖から逃れられず、しかたなく、“生きなくてはならない”理由を探した。そして、食事をするように、慰めるように、篝は俺をついばみ続けている。

「壮太くんが、かろうじて、あたしの人生を“死にがいのない”ものにしている」

 今日、俺の席に着き、手首をカッターでなでていた篝。あれは、まさに生と死のせめぎ合いのただ中だったのだ。

 死ぬか、俺という存在をついばみ生きるか。それが、篝の二者択一の選択肢。ようやく、理解が追いついてきた。ただ――、

「なんで、俺なんだ?」

「……それは」

 篝の答えは、廊下に響いた足音によって遮られてしまう。そして、ノックもなく部屋のドアが開いた。

「ねえ、お姉ちゃん……。その人って……」

 生意気そうな高い声。わりと低めで、しばしばドスのきく篝とは正反対。さっき見た妹と思われる少女が、ひどく不機嫌そうに部屋の前で立っている。

「あぁ、悠子ちゃん。この人は、壮太くん。あたしの彼氏」

 篝は、さも当然のように言ってのけた。少しも言いよどまない。

 いますぐ、灯油をぶっかけて火だるまにしてやろうかと考えた。しかし、やるなら別の場所でやるべきだろうと思いとどまる。

 妹は、姉の部屋と俺とを交互に見て、絶句している。それはそうだろう。この部屋の惨状を知っていて、渦中の人物を指して恋人とのたまう人間に、戸惑わないやつはいない。

「変に思うかもしれないが、こういう形も、ままあるんだ」

 ねえよ。自分で言っておいてなんだが、変だとしか思わない。

「そ、そうなん……ですか……」

 篝を取り巻く状況に対し、俺はたぶん無力だ。ならせめて、こいつの茶番に乗ってみるのもいい。それで、なにがどうなるかなんて、俺には分からない。俺はただ、孤立無援で、意味不明で、馬鹿みたいな熱量で奮闘するこいつに、ちょっと加勢してやりたくなっただけだ。

「で、お姉ちゃん。塾の時間、もう過ぎてんじゃないの?」

「きょ……、今日は、さぼるー」

「……は? ふざけんなよ。あいつらどうすんの? 今度はあたしが泣き付かれたらどうしてくれんの!?」

 あいつら、とは両親のことだろうか。だとしたら、塾に行ってくれなどと親に泣き付かれるというのは、たしかにとてつもなく嫌な状況だ。怒られるほうが何倍もマシだというもの。泣き付かれ、懇願され、篝はいまの篝になったのだろうか。

「おい、聞いてんのかよ!」

 ばん、と漫画雑誌が投げつけられる。篝は顔面に飛んできたそれをなんとか腕で防いでいた。しかし、勢いあまって床に尻餅をつく。俺はただ黙って見ていた。むしろ、俺に跳ねてこないよう少し避けもした。

 とっさのことで、篝を守ろうという行動に出られなかったというのも、たしかにある。だが、妹の焦燥感が尋常ではなかった。俺という赤の他人がいるというのに、姉に雑誌を投げつけるという事態には、そうそう発展するものではない。俺が彼女らにとって馴染み深い人間であれば、また少し違うのだろうが、少なくとも妹にとってはただの他人。現に、投げつけた本人もばつの悪そうな顔をして、うつむいてしまった。

 きっと、妹も少なからず篝と同じ空気に晒されているのだろう。いずれその矛先が自分に向くかも知れない、という焦り。その矛で突かれ続けた者の末路が、いま床に転がっている。

 やはり、俺にどうこうできるような問題ではなさそうだった。首を全力で突っ込んでいくには、俺と篝の仲はあまりにも浅すぎたし、他人同士よりも微妙なところに位置していた。

「塾、いいのかよ?」

 俺の言葉に、妹がぴくりと反応する。篝は頷き、「ごめん。明日はちゃんと行くから、今日は遊ばせて。おねがい」と妹に掠れた声で訴えかける。

「あいつらに、自分でちゃんと言えよ……」

 そう突き放すように告げると、妹は憤懣やるかたないといった風に、部屋へ戻っていった。

「妹、元気いいな」

 姉と違って、妹はご飯を美味しく頂けているのかも知れない。そして、その姉はというと、床に転がって虫の息だ。

「おい、立てよ。ハンバーガー食うんだろ」

「もう立てない」

「うそつけ」

「もぅマヂ無理」

「八千代、デートですよ」

 すっ、と立った。案外、こいつは面白いやつなのかも知れない。できることなら、どうにか救い出してやりてえな、と少しだけ思った。

「お前、意外とアジリティたけえよな」

「なんすかそれ」

「敏捷だよ。ゲームのステータスに出てくるときあるだろ。AGIって」

「ゲーム禁止なんで、あたし」

「まじか……。勉強ばっかしてっから真面目がこじれんだよ。ゲームもやれよ。馬鹿になるぞ」

「壮太の言うことはワケワカラン」

 俺は、おもわず八千代の頭を軽くはたいた。

「お前に言われたくねえよ。すげえ腹立つけど、冗談の言い方はそれで合ってる」

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