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3.姉妹



「すげえ気が重い」

 俺たちは、八千代の死の真相を探るべく、彼女の家に向かっていた。こいつは初めから自分の家に行きたがったが、俺は頑なに断ってきた。しかし、それももう限界だった。“なぜ駄目なのか”、という問いに答えられないのだ。答えることと、八千代の家に行くことは同義だ。ならば、自分の目で確かめてもらおうと、そう思ったのだ。

「やる気出せよ、深雪。お前の恋人のことだぞ」

「せっかくまたこの世に出てきたんなら、もっと楽しいことすればいいだろ。正直、お前の事件を掘り起こすのしんどいわ。どうせ、“もぅマヂ無理。リスカしょ”とか、そんなだって」

「なにそれおもしれー! どっから声出してんの、きもー」

 八千代はげらげらと品のない笑い声を上げて、俺の頭を叩いている。痛くはないが、激しい違和感を覚えるのでやめて欲しい。

 でも、と八千代は突然真顔になり、俺を見下ろす。なにかを悟っているような、諦めているような、少し悲しい顔をした。

「その気持ち、なんか、分からないでもないかな」

 俺は、なにも言い返せないまま、とぼとぼと歩いた。

 時刻は十六時を回ろうとしているのに、太陽は粘ってなかなか傾いてはくれない。アスファルトが遠くでみずみずしく揺れて、見上げてもいないのに太陽の存在を見せつけられる。踏みしめる靴底が焼け爛れ、粘ついて歩みが遅くなっているような錯覚を起こした。

 俺は、心底、八千代の家へ行くことに怯えていた。

 八千代はずっと黙っていて、俺も喋ろうとしない。やがてその沈黙が気まずい気分に変化し、口を開くも声は出ず、暑苦しい空気だけを馬鹿みたいに飲み込んでいた。

 そんな沈黙の炎天下のなか、右肩だけがやけに冷たくて、そして重たい。ときおり吹く熱風が、どうしてか八千代を煽り、くそ暑そうなブレザーを揺らしていた。

 すい、と八千代の左手が俺の頭を通過し、左の首筋あたりにそっと置かれた。

「冷たい?」

「……あぁ」

 俺の汗を引かせてゆく八千代の手に、こいつは死人なのだと、改めて認識させられた。

「お前、死んだんだな」

 血塗れの八千代を見た。棺桶に入った八千代を見た。灰と骨になった八千代を見た。だが、いま一番、八千代が死んだことを実感した。ずいぶんと、おかしな話もあったものだ。

「うん、死んだよ」

 “ありがとう”みたいな空気で、八千代は自分の死を告げた。そして、でもさ、と八千代は続ける。頭のてっぺんに、八千代の少し申し訳なさそうな視線を感じた。

「でもさ、死んだってこと以外、ほとんど憶えてないし、いきなり深雪の家の前にいたし、自分がなんで死んだか、やっぱ気になるわけよ」

 俺は学校から帰宅して、死んだはずの女を見た。ついに暑さで頭がイカれたなと思って、馬鹿みたいに空を見つめて現実を締め出した。短かったけど、そこそこ面白く過ごしてきたし、ここで頭をやられて死ぬのも、まあそんなもんかなと思った。

 いや、嘘だな。

 びびってた。すげえ怖くて、死にたくねえと思って、逃げた。まだクリアしてないゲームもあるし、漫画も小説も、映画だって積んでる。そりゃ、死にたくない。逃げる。

 もし、あそこで死んでいたら。そして、八千代みたいに、死んだこと以外をほとんど忘れて幽霊になったとしたら。

「そりゃ、気になるわな。手伝うよ……」

「ありがと」

 八千代の脚が、視界の右側で楽しそうにぷらぷらと揺れている。まるで生きているみたいに血色の良い膝小僧が、太陽に当てられて白く眩しかった。生前の痩せすぎ具合がまるで嘘のように、健康的な肉が付いている。

「見すぎ」

「……すまん」

「まあ、いいよ。あたしも深雪の寝顔、ガン見してるし」

「まじかよ、聞きたくなかったわ。今夜から怖くて眠れねえだろ」

 だって眠くねえもん暇じゃんよ、と八千代は笑った。

 腹立たしいほど可愛い笑顔だった。いつもこんな風に笑っていられるような日々だったら、死なずにすんだのかも知れない、と俺は妙に切ない気持ちになった。

「ああ! あたし、好きな言葉思い出した」

「なんだ急に。あんま聞きたくねえな、それ」

 なんだって八千代は、こうも嫌な予感ばかり吐き出すのか。こいつの好きな言葉など、ろくでもないに決まっている。

「束縛」

「うわ……。やっぱ最高に気持ち悪ぃな、お前」

「いまは、深雪くんの右肩に束縛されております」

「俺が束縛されているとは考えないんですかね」

「そこだよな! どっちかなー……」

 と、大はしゃぎで悩みだした八千代。心底どっちでもよかった。そんなことよりも――、

「お前の家、見えてきたぞ」

 もう二度と見ることはないと、思っていた家だ。




 八千代の両親はまだ仕事中らしく、自宅には妹だけがいた。正直、両親に会うよりは何倍もマシだった。線香をあげに来たと言うと、妹は少し怪訝な顔をした。やっぱり変わった人ですね、とも。

 裕福そうな二階建ての一軒家。冷房がきいていて、外の灼熱が嘘のようだった。そして、冷えびえとしたこの家から見る外の明るさもまた、嘘のようだった。どこか、どんよりとスモッグがかかったような空気。こうした、この家の冷ややかさは、冷房だけが原因ではないように思える。

「なにか、飲みますか?」

 線香をあげ終えた俺に、妹が話しかけてきた。

 尋ねているわりには、すでに麦茶が用意されていて、妹は俺にリビングの椅子をすすめる。八千代は俺から少しだけ離れ、あちこちをしげしげと眺めていた。しかたなく、俺は椅子に腰を下ろし、冷えた麦茶を口に運んだ。

「いただきます」

 八千代のショートカットとは対照的に、妹のほうは髪が長かった。黒く艶やかなところはそっくりだ。なにより、整った目鼻立ちが目立つ綺麗な顔が、嘘みたいにそっくりだった。生前の八千代は、目の下にブラックホールみたいな隈があったので、それほど似ているとは思わなかった。しかし、死人として現れた血色の良い八千代には、双子かと思うほど似ている。

「似てますか?」

 俺の視線に気付いて、妹がはにかんだ。

「まあ……、うん」

(かがり)……!」

 八千代の大声に俺はドキリとした。一瞬、八千代の存在を忘れかけていて背後からの声に驚いてしまった。

「ん?」

「いや、ちょっと喉渇いてて、勢いよく飲みすぎた……、ごほっ」

 妹の訝しげな顔に、苦し紛れの嘘をついた。

篝八千代(かがりやちよ)。それが、あたしのフルネームだ……。そうだそうだ。んで、こいつは二つ下の妹、篝悠子(かがりゆうこ)。名前は思い出した。うわ、顔すげえ似てんな」

「……お姉ちゃん、なんで死んじゃったんですかね?」

 似た顔の女が、別回線で同時に別の話をするものだから、俺の頭はぎりぎりと唸りを上げる。

「俺には、なんとも……」

 この妹とは親しくもなんともない、必然的に話題は八千代のことになるだろう。俺に問いかけたかったというより、口をついて出てきた言葉がそれだった、といった感じだ。だから、俺もぼんやりとした返事だけをかえす。

 居心地が悪くて、何度目かのグラスを口に運んだとき――、


「深雪さんが殺したとか?」


 ――そんなことを、八千代に似た顔で言われ、俺は麦茶の入ったグラスを少し噛んだ。

「そんなわけない」

 動揺を抑え込んで、ぴしゃりと言ってのけることができた。さっきから、急に押し黙った右肩が恐ろしく冷える。

「ですよねー」

 妹は、苦笑いなのか、照れ笑いなのか、ぎこちない笑みを浮かべる。

「もしそうだったら、たぶん次はわたしかなって思ったんですよね」

「……どういう意味だ」

 おもわず詰問するような口調になってしまい、少し焦る。

「お姉ちゃんは息が詰まってたんですよ、きっと。そして、死んだ」

 かちり、と時計の短針が落ちる音。深雪さんは無関係なんでしょうけど、と妹は喋り続ける。

「お姉ちゃんの代わりに、今度はわたしの息が詰まってます。そこに、また深雪さんが現れた。なんの根拠もないんですけど、それでなんとなく、次はわたしの番かなと」

 度しがたい。なんて気持ちの悪い台詞だ。むくむくと怒りが込み上げてくる。

 お前は知っているはずだ。他ならぬお前の姉のことだ。知らないはずがない。お前では足りないのだ。てんで足りない。八千代のように、ぶち抜けた熱量をお前からは感じられない。そして、なにより、一番近くにいたはずのお前なら八千代をどうにかできたはずだ。

 と、冷たい手が俺の首筋をなでた。それから、頭の上に顎を載せられている感覚があった。

「深雪。あたしの部屋に行きたい」

 赤く燃え上がった神経が、白く冷たい小さな手と飄々とした声のおかげで、もくもくと水蒸気をともなって静まっていった。

「そんなもん、気のせいと気の迷いだ」

 そんな台詞を妹に吐き捨て、俺は麦茶を飲み干して立ち上がった。八千代の部屋を見せて欲しいと言うと、妹はただ黙って頷いた。

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