序章 前略、多重人格になりました。
ある日、ある部屋に一人の少女がいた。
彼女がいるその部屋は何か特別な魔術結界だとか、いわゆる魔物を召喚するための魔方陣があるわけではない、なにもない普通の部屋だ。本当になにもない空き部屋だ。
それは、ほんの数十秒ほど前までの話なのだが。
今、その部屋の中にはひとつだけ物がある。
少女の視線の先、少女の足元。
一言で言うと、死体、だ。体に傷一つない、男の死体があった。
光を失った両の瞳は、驚愕あるいは絶望からだろうか、大きく見開かれている。
部屋に血の跡はない。それ以前に、死体には傷一つないのだ。
男は毒を飲まされたのだろうか。それとも心臓病か何かか。
死因判定など、実に難しいことだ。
しかしこれは、実に簡単なことである。
少女が男を殺したのだ。
「ひ、あぁ」
ガタガタと、少女は震えている。
見開かれた男の目は、彼女を睨んでいた。
▽△
はぁ、と俺はため息を吐いた。
黒瀬君鳥、これが俺の名前だ。
ちなみに、ピッカピカの高校一年生で、只今から高校という名の青春を謳歌しようとスタンバっているところである。......のだが。
残念ながら現実の高校生活というものは、俺、黒瀬君鳥の理想とは少し違っていたようだ。
ただ勉強し、部活をエンジョイし、友達と遊ぶ。
......なんだそれは。
何一つ中学の時と変わってねえじゃねえかよ。
俺の考える理想の高校生活というのは、だ。
何というか、何か中学の時とは違う非日常的な? 何かがあると思っていた。
いや、確かにまだ五月の頭だけど!
これではピッカピカの意味がない。
はぁ、ともう一度小さなため息。
母曰く、
「君鳥、どんな環境でも楽しめるかは自分の見方次第なのよ」
確かに、大多数の人間はどんな環境でも周囲に馴染もうとする最低限の協調性があるのだろう。
しかし、俺にはそれができなかった。
姉曰く、
「君鳥、なんで友達と遊ばないの?」
妹曰く、
「お兄ちゃんって絶対自己中だよねー」
まぁ、努力はした。一ヶ月間頑張って友達作ろうとしたよ、俺は。
だが、妹が言うように少々性格が歪んでいるのと、中三の時は受験のために全く友達と遊んだりしなかったために、どうやら俺は友達というモノに対しての接し方を完全に忘れてしまっていたようだ。
という訳で、俺は現在ぼっちである。
さっそく躓いた、俺の高校生活の幕が上がったのだ。
「さて、どうするか……」
ほんと、オンリーワン高校生ライフだというのに。オンリーワンで高校ライフを送ることになるとは。
あー、やり直したい......。誰か俺と取り換えっこしてくれる人はいませんかー?
何やってんだ、俺。
『おい、君』
まぁ? 俺は成績優秀で容姿もそれなりにはいい方だし?
こっから挽回なんざ超余裕。
『おい、聞こえてないのか?』
あー、ヤバいなこりゃ。ついに幻聴が聴こえるようになっちゃたよ......。
疲れてんのかなぁ、俺......。
今日は早く寝よう。
『だから、人の話を聞けっつってんだろうが!』
な、何!? なんで俺怒られてるんだ?
『いいから話を聞け......』
え、あ、はい。聞きます。
『どうか、俺と入れ替わってはくれないか?』
え、あ、はい。意味わからんです。
いやそれ以前に、おまえは一体何なんだよ。自己紹介からやってほしいんだけど。
『自己紹介、か。わかった。俺は一言で言うと、おまえだ』
は?
いや、え?
何言ってんだこいつは? 意味が全くわからない。
なんだ、新手の嫌がらせか?
『おい、だから。そうじゃなくて』
じゃあなんなんだおまえは!
ていうかいい加減、頭の中と会話するのは嫌っていうか......、気持ち悪いんだけど。
『そうだな......。交代人格、と言ったところか』
交代、人格......? なんだそれは。
いや知ってるぞ! 確かこの前のドラマでやってたヤツだ。
交代人格。
一般的に言う、多重人格者が持つもう一つ、あるいは二つ以上の人格。
症状の原因として多いのは、あまりの精神的苦痛に耐えかね精神が解離を起こすというもの。
俺はその......、多重人格者になっちゃったってことなのか?
『俺にもよくわからないのだが、そのようだな』
いやいやいや! そんな精神的苦痛とか、身に覚えないし!
......、ない、よな......?
で、なんだっけ?
『ああ。急なことで悪いが、俺と入れ替わってくれ』
え?
いや、え?
『こっちは君の今の現状よりは幾分マシだと思うぞ?』
だから! お前はどこの! 誰だッ! って訊いてんだよ!!
『いや、その心配はない。俺と入れ替わればすぐにわかる』
だからこっちの話を聞けよ!
『まあ、行ってみればわかる』
行ってみるってどこへ......!!
......あれ?
なん、意、識が、薄れ......て......。
『頼むよ、俺の代わりになってくれ』
そこが、俺の意識の限界だった。