十二話 ネズミの喩え
驚き振り返ったところで、暗闇に変化はない。
ただ、先ほど聞こえた声は明らかにハルの穏やかな声とはかけ離れた、中年男性ものだった。声の響き具合からして肉付きが良さそうだ。
その場から逃げ出してもよかったのだが、ハルのことが心配だったために振り返ったまま硬直してしまう。というのは建前の部分が多い。心配だったことも確かだが、まず、何が起こっているのかわからなかった為に最善の方法を導き出すことが出来なかった。
あれこれ考えが上滑りしている間に、腕を取られた。
「子ネズミが忍び込んだと聞いたが、君はネズミを見たかい」
二の腕を掴まれたまま引っ張られる。
問われているのだと気付くまでに時間がかかった。
「いいや、見てない」
「それもそうか。暗闇を裸眼で歩くんじゃ小さいネズミなんて見ているわけがなさそうだ」
そのままさらに腕をひかれる。
彼は大股で歩いているらしい。とんでもない速さだ。
躓きながら、見えない周囲を警戒しながら姿の見えない彼と徐々に歩調を合わせる。
相当歩き、ふと彼が止まった。
なんの前触れもなく止まったものだから、構わず進もうとしていたフユは腕をひかれて止められる。
「痛っ」
「ああすまない。君は目が見えないんだ」
そこでじっとしていろと二の腕を握られる。
脇から細い光が差し込んできた。
ここまで暗闇の中を導いてきた彼の輪郭が浮かび上がる。
彼の脇に扉があったのだ。
その扉の向こうを見ようとして、まぶしさに目が潰れそうになる。
「しばらく目を閉じていなさい。平気そうなら開けたらいい」
穏やかな声に導かれる前からフユは力一杯目をつぶっていた。
暗闇の中を歩くのと、目をつぶって歩くのとは視覚に頼らないという面では同じだがどうも勝手が違う。
今まで以上にふらついたおぼつかない足取りで、やはり彼に引きずられるように歩く。
上に光源があるせいかどうも俯きがちになってしまう。
「きのと様、もうお捕まえになられたのですか」
どこかから駆けられた声に、腕を引く彼がまた立ち止まる。今度は彼にぶつかる形で止められた。つるつるした衣服が顔に触れて気持ちが悪い。
「捕まえる?」
もうそろそろ目も慣れてきて頃合いかと、目を開こうとする
「ええ、その子が紛れ込んでいたネズミではないのですか?」
「馬鹿言え。この子どもがネズミなものか」
すると目の前にはかっちりとした正装の女性が立っている。チェリ達のようなダークスーツとは違い、淡い緑のベストがOLらしさを強く出している。
そんな彼女はまぶしさでしかめ面のフユを見下ろし、怪訝そうな顔をしている。
「まさか、本当にネズミを探していたのですか」
「ああ、ネズミを探していた」
それがどうしたと聞き返す彼に対する彼女の様子から、フユは彼女にとって彼が、頭の悪い上司であることを察した。
「きのと様、頭の黒いネズミという言い回しをご存じですか」
そうしてやっとフユは初めて今まで腕を引っ張り続けてきた彼の姿を見た。
声の通り、そこそこ肉付きの良い中年男性のようだ。たれ目がちの顔だけみれば穏やかなオジサンだが物々しいお面を頭に乗せているせいで短い髪の毛がごわごわと逆立っているあたり正義のヒーローごっこをしている小学生に似たものを感じた。
「齧歯類のネズミの他に、人間の、こざかしい輩が悪さをしていると言う意味もありますよ」
OLの指摘にむうと顔を曇らせる。
「……私はたとえ話が嫌いだ」
そう言いながら、自分の非を認めたようにため息をついた。
一方OLがフユをじっと見ている。
「その子はお知り合いですか」
「いいや、君も見たことがないだろう」
初対面だと彼女が肯定する。
「迷子だろうか」
心配そうに見下ろされる。
「そう、そうです。迷子。道に迷って」
やっと用意してきた言い訳の出番だったのだが、上手く言えない。
「道に?」
「博物館を見て回っていたんです。そしたら迷って」
そこで思い出す。ここは、何所なのか。
辺りを見回す。
博物館ではない。ガラス張りの部屋が並んでいるが、どこも空だ。
それに広さで言えば、展示場と言うより動物園のは虫類コーナーに近い。
「怪しい子ですね」
女の険しい顔に後ずさりしようとして、右腕を掴まれたままなので、腰の引けた滑稽な格好になった。
おそるおそる男に目をやると、ふっとその腕にかかっていた力が抜ける。
「牢に入れておきなさい」
彼はお面を被り直し、OLとフユに背を向けて去っていった。




