表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
nameless story  作者: 伯耆
第2章 レーンディア
16/23

5.老爺と少女




主は光 我は闇

心優しきレーンディアの剣となり

歯向かう刃から守る盾となれ

貴き気高き道導 闇は(おの)が打ち砕く

(いにしえ)交わした血の誓い

我が命を賭してとこしえに

変わらぬ誠を今ここに

変わらぬ忠誠今ここに




か細く綺麗な歌声が中庭に面する廊下に響いた。

アッシュブランの短い髪はさわさわと中庭で揺れる草木たちと同じように揺れている。

彼女は顔にかかった髪を耳へと掛けて、中庭へと歩み出すとベンチに腰掛けた。

丁度、頭上には綺麗な半月が中庭を覗いていて、彼女と目が合う。

そこだけ切り取られた空間のようで、ロマンティックな感覚へと彼女を落とした。

深い蒼の瞳をゆっくりと閉じた彼女--ミルキー・スペリオルはただただ大地に身を任せて、髪を持て遊ぶ風達の好きなようにさせていた。

自然と一体化したような不思議な感覚も束の間、ザッと土を踏む音にミルキーの感覚は現実へと強制的に引き戻された。

屋敷内で従者も付けずに気を抜きすぎたためか、異常なまでの警戒に身を強張らせて立ち上がった彼女の前には大柄の男性が立っていた。

皺の多い顔は厳格そのもので体格は年の割に随分といい。

レーンディアの家紋の入ったマントを羽織り、白髪の混ざった金髪が月の光を反射して輝いているが赤い瞳は底光りして、今まさに彼女を襲いにきたヴァンパイアのようである。


しかし彼女は男性を知っていた。

思いも寄らぬ男の登場に彼女は判断が数秒遅れて、すぐに貴族女性の取る挨拶をする。

前で穏和に微笑む男性――ウェーシュ・レーンディア、レーンディア家現当主に。


「驚かせてしまったようですまないね。スペリオルのお嬢さん」


とても紳士的な声色だ。

いや、声色に紳士的などあるわけないのだが、語調や声色から次の行動が予想出来てしまうほど前の男性――ウェーシュには警戒心の欠片もなく、まるで中庭の大地のように落ち着く雰囲気を醸し出していた。

そっとウェーシュを見上げたミルキーは目が合うとハッと視線を下げてしまう。

レーンディアの当主に対して不躾に真っ向から見つめるのも礼義にかけるし、何よりも彼女にそんな度胸はなかった。

勇ましい13部の女騎士(ジャンヌダルク)と呼ばれるミルキーもさすがにウェーシュの前ではそれは発揮できないらしい。

そんな可愛らしいミルキーを見て、ウェーシュは孫を愛でるように笑うと「隣いいかね?」と先程まで彼女が座っていたベンチを指差した。


ミルキーは控えめに頷くと、ウェーシュは歩み出てマントを外した。何をするのかと思った刹那、ベンチの上にそのマント敷いたのだ。

微笑んでミルキーを促す。

それには彼女もさすがに気が引けた。

何しろ、このアヴェルヌスを統治する王といっても過言ではない男が見に付けていたマントなのである。

まさかそこに腰を降ろすなど、彼の顔に腰を降ろすのと同じ行為であった。

躊躇うミルキーにウェーシュはお手本を見せるように先に座ると、隣に彼女を勧めた。

最終的に仕方なしという形で腰を降ろした彼女の額には、緊張から汗がにじみ出ている。

堅苦しいほどに背筋を伸ばしたミルキーを一瞥したウェーシュは目を瞬かせた後、微笑んでそっと彼女の頭を撫でた。


「ただの通りすがりの老爺だと思ってくれてかまわない。

年寄りの暇つぶしに少し、付き合ってくれんかね?」


頭を撫でられたミルキーは緊張と気恥ずかしさに肩を竦めて、目だけウェーシュを見ると小さく頷く。

少しだけ緊張が解けたような彼女に、ウェーシュは勝手に話を始めた。


「お嬢さん。私には困った息子が3人もいてね」


それは唐突である。

ミルキーも知っている事実を本当に通りすがりの老人のフリをして話すウェーシュに彼女も最初は耳を疑った。

しかし、あまりにも淡々と自然に話すものであるから、彼女は何も言わずにウェーシュの話に耳を傾けることにした。


「家の昔からの決まりに沿って三男が私の後を継ぐことになったのだが、長男があまり快く思っていなくてね。次男は三男を支える側に徹してるのだが、やはり長男としてのプライドがそれを邪魔してるのだろうかね?」


彼女はただ控えめに頷くだけだ。

婚姻関係のあるスペリオル家には早い段階で色んな噂が耳に入って来るものだ。

嫡男であるシスルと三男のクロエは実に仲が悪い。

昔がそうでもなかったらしいが、約10年前の後継者問題からお互いの関係が歪んで行ったらしい。

その仲介をするのが、いつもロゼの役割であった。

兄の意見を尊重しながらも中立的意見を述べて、結局口で言い負かされて泣いてしまったクロエを慰める。

世の中の大体の真ん中っ子は世間渡りが上手になるらしいが、それも頷ける。


「3人ともいい子なんだけれどね。誰に似たのか少しばかり癖の強い性格も持っているんだ。

特に三男は私の手に負えない所がある。あまり家にも帰ってきてくれないから、家の後を継ぐ話が中々出来ない。

今回、諸事情で帰ってきてはいるんだけれど、まだちゃんと話せてないんだよ。

不甲斐ない父親だろう?」


独白のように前の空白に告げたウェーシュは、言葉の最後に自嘲気味た笑いを飛ばした。

ミルキーは不意に違和感に似たものを感じた。もやもやしたものが胸につっかえている感覚だ。

そっとウェーシュの横顔を見るとそこには厳格なレーンディアの統治者である面影はなく、ただただ父親として息子を想う憂いにも満ち、慈愛にも満ちた表情だけが、少し傾きだした月明かりに照らされていた。


(なんて器の大きな方だろう)


彼女は絶句する。

隣の男は国の主である前に、3人の息子の父親なのだ。

しかし並の器の人間ならば、そのことを忘れて目の前にある歪んだ責任感に捕らわれ金に目がくらみ、地位を維持するのに自棄になっては手段を問わなくなる。

ウェーシュはそうではないのだ。

国を想いながらも、同じく息子を想う。

どちらにも決して偏らない、堅固な精神力が彼にはあった。

いつもは威厳に満ちて、厳格な面持ちと備えもった能力に敬遠されるウェーシュが、ただ一人息子のために胸を痛めている。

ミルキーは恐れ戦いた自分を恥じたと同時にウェーシュに親近感すら抱きはじめていた。


「当主になれば仕事場からは中々外に出られない。その上、家のことも責任を持って全うしなければいけない。

いくら三男が優秀であっても、さすがにあの我が儘な息子には荷が勝ち過ぎていると私は思うんだ。三男が聞けば怒るだろうがね。

そこで長男と次男と手を組んでいければいいのだけれど・・・


これ以上栄える必要はないのだよ。ただ国と一族を維持して、修復していってほしいんだ。間違った軌跡を、ね」


「間違った軌跡?」


最後に意味深に足されたウェーシュの言葉にミルキーが思わず鸚鵡返しした。

綺麗に通る彼女の声をウェーシュの耳を聞き落した筈はなかったが、彼はただ彼女を見ずに空白を見つめたまま微笑んだだけであった。

ミルキーはそんな男に再び沈黙を守る選択をした。

ウェーシュはその沈黙を心地良いとでも言う風に、無防備に目を閉じた。

風が彼の白髪交じりの金髪を持て遊ぶ。

束の間の沈黙はやはりウェーシュに寄って終止符を打たれた。

彼は立ち上がるとミルキーへと振り返り、そっと手を差し出す。

老齢だとは思えない優雅さと、年を重ねた者にしか醸し出せない雰囲気にミルキーは抗えずに手を取って立ち上がり、すぐに後ろのマントも綺麗に畳んで、両手を交差して胸へと収めた。


「綺麗にしてまた後日、お届けいたします」


(いや、ここは新しいものをお届けします。だった!)


13部に長く居すぎたせきで貴族としての振る舞いを忘れかけていたミルキーは自分の失態の後悔をすぐに顔に出してしまった。

あまりに庶民じみた対応にウェーシュは反対に気を良くして、穏和に微笑む。


「ああ、楽しみにしている」


その語調に込められた威厳は‘通りすがりの老爺’ではなく‘一国の主’のものと一変していた。

急な変化にミルキーは思わず体を硬直させたが、胸で小さく呼吸を幾度が繰り返し、屈託のない笑顔で応える。


「スペリオルの次のお嬢さん、ミルキーだったかな?

機関でも、貴族としてもクロエを支えてやってほしい。

婚約者の妹としても、2人の仲を取り持ってほしいのだ」


威厳の中に一瞬だけ憂いが垣間見えた。

ミルキーは今度は自然に微笑んで「勿論でございます」と貴族式の挨拶をする。

と思いきや、下げられた頭をスッと上げて、ウェーシュを真っ向から見つめた。

そして挑戦的に口端を釣り上げて笑って見せた。


「勿論。正直クロエは大っ嫌いですけど、お姉さまが愛している男性です。

お姉さまが嫌いなら命を張ってでも阻止しますけど、2人が愛し合っているなら、これだけはもうどうしようもありませんし。

ウェーシュ様?彼はあなたに心配されるような幼い子供じゃないでしょう?

彼もまた、掴めない距離を精一杯手探りで埋めようとしている。

だから、そこは父親として辛抱強く見守ってあげるのが最善の選択だと私は思うの」


前者はレーンディア当主へスペリオル家として、後者は貴族位が一切介入出来ないとされるSS.BMO13部の構成員としての答えだった。

目を見張らないとわからないほど些細な驚きを表情にしたウェーシュへとミルキーはたおやかな微笑みを湛えて小さく一礼した後、颯爽と彼の隣を通った。

不躾な行動にウェーシュは決して咎めるでもなく彼女の背に呼びかけるでもなく、静かに見送った。

実際、半分虚勢であったミルキーの心臓は早鐘を打っているたが「あ」とミルキーは何かを思い出したように振り返ると、その足音を察したウェーシュの肩がピクリと動いた。


「もし、あんまりにも心配なら、クロエに無理やりにでも当主の座を受け渡して見てはいかがですか?

我が儘放題のお坊ちゃんには良い刺激になる筈ですよ?」


クスクスと笑って言ったミルキーの声色は、年相応の可愛らしさを孕んでいた。

ウェーシュは答えなかったが、気のせいか彼女にはその瞳が賛同しているようにも映っていた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ