2.帰還
カツカツ、と途轍もなく高く大きな観音扉から入った先には広いホールが視界に飛び込んできた。
ダンスホールと間違えてるんじゃないかというくらいに広い。
前には二つに分かれて半円を描きながら二階へと繋がる階段があり、真っ白なベルベットのカーペットが敷かれてある。
ホールの中央には大きな円が描かれており、鷹が中央にバックには連、鷹は何かを加えている絵が描かれてある。
家紋なのだろう、とセキはまじまじと見る。
何を象徴しているのかイマイチ分からなかったが、今日はやけに口数の少ないフランクの首からも家紋の入ったペンダントが下げされてあった。
そのアラン家の家紋であろうものは、ローズマリーに囲まれた真っ黒なカラスだ。
どちらもセンスの良いものとはセキは到底思えなかった。
レーンディア家屋敷のハウスキーパーの老爺が恭しい手つきで先を示して先導する。
それに素直に従うセキ。
そもそも何故彼がレーンディア家に訪れる羽目になったのか。
その理由は半日ほど遡ることになる―――・・・・・・
セキが世界の鍵と判明して、特に何も起こらないまま一ヶ月が経とうとしていた。
彼専用の執務室と私室が設けられ、世話係まで付けるという13部のお坊ちゃま方の常識外れの御好意を遠慮してセキは勉強の虫になっていた。
と、行ってもイヴアールが個人塾の先生のように懇切丁寧に教えてくれるわけがない。
案の定、出された赤本なみに分厚い本を並べられ、一冊ずつ読まされたり、課題を与えられてセキが解いている間、自分は相変わらず書斎から持ってきた本を一日中読みふけっていた。
それでもセキが理解できないものがあれば、イヴアールは彼なりに精一杯教えてくれるという面もたまに見せたりもしていた。
セキが今になって改めて驚いたことと言えば、この世界の字を読み書き出来ることである。
パラレルワールドであっても、世界は各々独自の歴史を持っている場合もあるために、文化事態が違う場合もあるということを勉強の仮定で知った彼は一つの仮定に辿りついていた。
――もしかすると、かなり酷似した世界から来たのかもしれない――
それならば、セキが世界の鍵と判明出来るほどパラレルワールドの情報があってもおかしくはない。
少しずつ、勉強の成果が見え始めて、意欲も湧いてきたピンポイントを狙うように嵐はやってきた。
機嫌の悪い足音がセキの執務室へと近づく。
すでに聞きあきた足音だ。次の展開が目に見えてくる。
予想を裏切らない華麗なほどの破壊音にも似た扉を開ける音が響き、物凄い剣幕のクロエが某戦闘ものの巨大化した怪獣のようにも見える足音で、セキの前へと歩んできた。
イヴアールは完全に無視である。
セキは油の足りない機械のようにギギギと頭を上げると、蛇のような瞳が彼の視線を捕らえた。
悲鳴が喉の奥に漏れて、クロエが乱暴に放った手紙が顔へとクリーンヒットした。
しかも鋭い角の部分だ。
当たった眉間の部分を擦りながら、その手紙を見るとどこかで見覚えのある家紋が封に記されてある。
鷹に連の花。
レーンディアの家紋であった。
丁度、数日前に読んだ歴史にあったレーンディアとアランにまつわる話である。
それは昔、まだ大衆にパラレルという存在すら認識されてなかった時分の話だ。
まだ定まった大国などはあらず、今ローモンドが治める―当時はパウェルと呼ばれた国が一番勢力を誇っていた。
頻繁に小競り合いは起きては強者が弱者を虐げ、無差別に殺して行く―そんな暗黒時代であった。
その時代の幕締めは唐突に、ある大規模な戦争で幕を閉じると思われていたが、その争いと合わせたように奇怪な出来ごとが次から次へと起きた。
所謂、天変地異というものである。
天が怒りのあまり、地上を滅ぼそうとしている。
人々は恐れ戦いた。
そこに立ちあがったのが、レーンディアとアランという青年であった。
生まれ持って、特別な力を持っていた2人の青年たちはパラレルワールドや狭間の存在に薄々感づいていたのだ。
そこでレーンディアとアランは力を合わせ、死を覚悟して狭間へと赴いた後、渡し守と血の契約を果たし、無事パラレルワールド同士の衝突による天変地異は収まった。
こうして、今はその名を姓として、レーンディアは大国を治め、アランは上流貴族としてレーンディアへと仕えている。
そのお伽話のような(所詮、歴史なんていくらでも偽造出来るとセキは思っているが)歴史書を読んで、セキは疑問に思っていた節がいくつかあった。
レーンディアが現代にこうして大国を治めるようになったのは頷ける。
でもアランはどうだ。何故、レーンディアと肩を並べて存在していないのか。
何故、レーンディアを守る騎士の家系へと変化していったのか。
珍しく気になって、探しては見てもののそれらしい文書は見つからなかったし、イヴアールに聞いても「さぁ」と生返事に近い返答を返すだけであった。
後、もうひとつ。
何故、目の前で凶悪犯罪者よろしくガンを飛ばしているこの男が、レーンディアの次期当主になれたのか。
あまりにも不思議でたまらない。
その疑問を胸の内に秘めたまま、高そうな手紙を丁寧に開けると簡潔な内容を綺麗な字で書かれていた。
「
本日 6時より会食を催したいと存じます。
ご多用中誠に恐縮ではありますが、是非ご出席くださいますよう案内申し
上げます。
尚、レーンディアに連なる全てのものをお供願い申し上げます。
ウェーシュ・レーンディア」
セキはその短い文章を読み終えた後も中々、顔を上げられずにいた。
なるほど、と納得してしまう。
勿論、前の怪獣が不機嫌な理由である。
何故かは知らないが、家に戻りたくはないのだろう。
命令にも似たこの招待状が届き、セキとの同行を余儀なくされた。
手紙一枚なら誰かを使いっぱしりにする筈のクロエは多分、あわよくばセキに八つ当たりをしにきたのかも知れない。
そんな予想が出来てしまい、俯いたままクロエにはバレないように頬を引きつらせた。
(つーか、何よ。何故今日のことを今日送る!?)
誰にでもなく、否、多分レーンディア当主に心でツッコミを入れる。
「えーっと、クロエさん?これは・・・?」
俯いたまま声だけをクロエに向けたセキだが、反応が返って来ない。
見ればわかるだろう、という視線が針のように突き刺ささり、尚も沈黙し続けるクロエへと勇気を振りだして見上げると、心情が透けて見える表情をしていた。
――断らなければ、今すぐここで殺す――
セキは蛇に睨まれたネズミのような錯覚に落ちた。
しかし、聞きたいことは山ほどある。
まずは何故、レーンディア当主からセキへ招待の手紙が届いたのか。
否、聞く必要はない。セキが世界の鍵だからだ。
ならば、何故クロエは家に帰りたくないのか。
次期当主である彼がこのパラレル対策組織―SS.BMOを離れる所を見たことはない。
アヴェルヌスは地図で見る限り、今から出ても6時には間に合わないというよりも、日にちを跨いでしまうに違いない。それほど首都は離れていた。
つまり一度行けば、自動的に泊まることになってしまうわけだ。
記憶をなくしてこの世界に居座り2カ月は経つが、未だにセキは機関の外に一歩も出たことはない。
正直の所、彼は行ってみたい気持ちの方が強かった。
セキの漠然と知る世界とどう違うのか。
まず彼の知る世界には金髪碧眼などの色素の薄い人間はあまり見掛けなかった‘筈’だ。
彼の漠然とは、夢のような感覚ではっきりしてはいなかったが、確信がないこともない。
結局は頼りないものに変わりはないのだが、些細なことはセキには新鮮でもあった。
一体、どんな街並みなのだろう。
どんな人たちが暮らしていて、どんな交通手段があるのか。
わざわざ手紙を送るということは、あまり交通手段や、通信手段はあまり発展していないのだろうか。
凶悪犯罪者な怪獣を前にして、セキは想像を膨らませて思わず目を輝かせた。
クロエにもばっちりその輝きが見えて、これは意見の不一致とみなされたに違いない。
眉根を寄せたクロエの顔が目に入り、ハッと我に返ったセキは頬を引きつらせながら、誤魔化すようにハハっと笑う。
「あの・・・クロエさん。
俺ってば、正直ちょー行きたい・・・んですけど・・・」
言葉を増すごとにクロエの顔を険しくなり、セキの言葉は蚊が鳴くように消え入りそうになる。
クロエの舌打ちが一つ。セキの頬が大きく引きつり跳ねた。
(この我が儘坊ちゃんが・・・!)
セキは手紙に書かれた綺麗な字をもう一度見て、クロエと対峙する決意を固めた。
立ち上がりそうになったセキを制するように、今まで空気と化していたイヴアールの冷静な声が不意に飛ぶ。
「クロエさん。いい加減帰ったらどうですか?
セキは世界の鍵として、会食のお誘いは当然の成り行きですし、そうなればアナタも帰郷は免れない。
公爵婦人の御容態もよろしくないのなら、尚更です。
いつまでも子供みたいに駄々こねているから、公爵に当主の座を明け渡して頂けないんですよ」
自分より年下とは思えない発言にセキは舌を巻いた。
さすがのクロエすら、ぐうの声も出ないらしい。悔しそうに唇を噛んでいる。
そして諦めたのか、はたまた自棄になったのか。
突然、踵を返すと「ああ、鬱陶しい。さっさと準備しろ!すぐに出発するぞ!」と来た時と同じく、凄まじい開閉音を響かせて出て行った。
セキがイヴアールを見た時は、既に読書に集中していた彼にセキは肩を竦めた。
そうして、機関を出たのが朝の11時前である。