1.追憶
「ルーヴァ!」
幼い少年は煌びやかな服を棚引かせて薔薇園の中を駆けながら、いくつか上の――青年にしては幼く、少年にしては大人びている――彼を呼んだ。
「クロエ様。走ったら転びますよ?」
微笑を浮かべながら、走って来る少年――クロエを抱きとめる準備をするように、彼は屈んで両手を広げた。
このところ、急激に背が伸びた彼の腕の中にクロエはすっぽりと収まると、子猫が母猫に甘えるように彼の胸へと顔を押し付ける。
そんなクロエを胸に納めたまま、目尻を下げて彼は問う。
「世話係りはどうしたんです?
どうせ、お屋敷から無断で出て来たのでしょう?
あれほど心配かけてはいけないと・・・」
彼は諌めるように言うと、クロエはムッとした表情で腕の中から這い出た。
「今日のルーヴァ嫌い。なんで世話係り(レイシー)みたいなこと言うの。
それにその喋り方も嫌だって言ったのに!」
今にも愚図り出しそうに顔を歪めたクロエに彼――ルーヴァは困ったように目尻を下げた。
それでも引けないという風に、クロエの前へと膝を折って視線を合わせる。
「クロエ様。私はレーンディアに仕えるものです。
あなた様には立派な統治者にならなければいけない責任があります。
それを導く役目こそ、私アラン家の役割です。
だから対等ではいけないんです」
幼いクロエは理解しているのかは定かではなかったが、クロエは納得いかないようにしながらも理解したように項垂れた。
「ルーヴァは兄上の従者だもんね。
僕とはお友達にはなれないよね」
なんだか、違う風に理解してしまったらしいクロエを慰めるようにルーヴァはそっと抱き寄せて、その癖の強い黒髪を撫でる。
拗ねてしまったクロエになんの弁解もせずにそうしばらくしていると、腕の中の子供はいつの間にか機嫌を直していた。
「ねぇ!ルーヴァ!
ちょっとだけいつもの場所行こう!
帰ったらちゃんと世話係に謝って、お勉強も頑張るから!」
屈託のない笑顔に折れてしまったルーヴァは「約束ですからね」と一言、その小さな手を握った。
レーンディアが統治するアヴェルヌス。首都―アヴェルヌスの中央にはまるで城のようにレーンディア家の膨大な敷地の屋敷が占拠していた。
屋敷から見える当主自慢の薔薇園は初代当主の時分から変わりなく、美しさを保っていた。
その広い薔薇園の一角。
そこにはかつてクロエからルーヴァと呼ばれた青年が一人立ちつくし、昔の記憶を過らせていた。
「ルーズ・・・ヴァルト・・?」
その背に懐かしい声がかかる。
癖が一切ない黒髪は鎖骨辺りまで伸びていて、いつもならそれを首の後ろで括っている筈だが、今日はそれを垂らしている。
肩幅は広いがもう少し肉を付けた方がいいと言いたいほどに肉つきが悪く、骨格のわりに華奢に見える。
すらりとまっすぐ伸びた四肢はモデルにでもなれるんじゃないかというほど綺麗だ。
振り返った彼が久しぶりに捉えた顔は相変わらず穏和な表情をしていて、細長い瞳はいつも描いている三日月のような弧ではなく、少しだけ驚いて丸くなっていた。
彼は自分でも分からぬ間に胸を締め付けられるような郷愁感を覚えて、無駄のない動きで名を呼んだ男性のもとへと歩み寄った。
一瞬だけ視線がかち合い彼は目を伏せた後、その場で片膝を折って手を地に付けた。
「御無沙汰しておりました。我が主」