はじまり
閑静とはまた違うひっそりした住宅街には人影が一つも見当たらない。
随分多くの一軒家が立ち並ぶ、一本道を真っすぐ進んだ高台の奥は森林公園へと続いている。
その更に奥。森林公園に隠れるようにして高台の中央に鎮座する、今はもう少し古い西洋風の城のような建物があった。
広い土地を所有し、それこそ門から玄関まで車ではないと行けない距離、という日本には場違いの建物だ。
‘一度踏み入れれば二度と帰って来られない神隠しの名所’
いつからかそこはそう呼ばれ始めていた。
そんなお屋敷に住むのはたった一人の老人。住人たちの畏怖を込めた呼び名は‘渡し守’。
屋敷に入った人間をあの世へと渡す此岸と彼岸の船渡し、という意味が込められてあった。
そんな屋敷には大きな書斎が一つ。
締め切った窓からは陽光が差し込み、どこか陰気な室内を照らしだす。
生憎、その‘渡し守’の姿は見付けることは出来ないが、代わりにすらりと四肢の伸びた一人の青年が一番大きな本棚の前に立っていた。
びっしりと詰められた本棚の一か所だけ歯抜けになっている。
今、青年が持っている本だ。
大切そうに両手の平に置かれた本は最初のページがめくられていた。
しかし、いくら時間がたっても青年は次のページをめくるどころか、ピクリとも手を動かさない。
まるでそこに最初から置かれた人形のように。
ひらり。
唐突にページが次へと進んだ。
風も入らない書斎に、ひとりでに・・・