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つねられた頬に触れながら、「あの時」がいつだったかをぼんやりと思い出した。部活の合宿の時、晴香が思いつめていた時のことだと気がついた。あの時は、数日前ぐらいから様子がおかしいと思っていたけれども、そのうち解決するかなと思ってみていた時だ。
あの時。
昼飯の時もあんまり食べず、気がついたらいないから、おかしいなと思って早めに練習部屋に行ったら、携帯見ながら「帰る」とか言っていたんだっけ。
ぼんやり考えていたら、首筋に冷たい感触が走った。
「うわっっ」
「ビックリした?」
ぼんやり考えごとをしているのが見えたから、驚かせようと思った、と晴香が笑って言った。
「喉乾いたでしょ?たまには気が利くんだな、私。」
自慢げな顔をしながら、自販機で買ったお茶を渡してくれた。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
隣に座った晴香が、お茶を一口飲んで、目の前の桜の木を見上げていた。
この時期の桜の木を見るのが、ずっと苦手だった。
満開の桜に心躍らせて、約束を叶えるために一緒に頑張ろうと誓ったはずだった。4年前の葉桜の頃、それができないと言われた。闘病で体力が落ちることだけでなく、どこかで、自分の死期を感じ取っていたのかもしれないと今なら分かる。
拓人が亡くなった後、本当にいないんだということを、なかなか理解できずにいた。気がつくと桜はもうとっくに散っていて、葉桜が1年という時間をまざまざと見せつけたような気がした。
「あのさ、奏太。」
「ん?」
「この前…入学式の演奏の後でさ、桜が苦手って言ってたじゃん。」
「うん。」
「去年どうしてたかなって思ったんだけど、思いだせなかった。」
去年の同じ頃。新しい仲間とうまくやっていけるかという悩みと同時に、拓人だったら、あいつが生きていたらと、手持無沙汰な通学の車内でうじうじ考えて、前を向けなくなっていた。
「で、ふと思い出したんだ。5月に入る手前ぐらいに、今の奏太にぱっと切り替わって『あ、ホントは明るいんだ』って思ったなって。」
「そうか…自分では普通にしてたつもりだったけど。」
「あの時は分からなかったんだけど、拓人くんのお墓に行った後だったんじゃない?」
晴香の指摘の通りだった。
大和に『あの頃に戻りたいよな』と言われたとき、一人じゃないことが分かったとき、心底ほっとした。
「奏太だけじゃないんだよ。俺だって、家族だって、他の奴だって、みんな生きていたらって考える。奏太は一人じゃないんだからさ。たまには吐き出せ。」
大和にそう言われた。
晴香が話を続けた。
「奏太、私でよければ、いてあげるから。たまには頼ってよ。仲間じゃん、私たちさ。」
桜を見上げた晴香の言葉に、心の中の、奥の奥をつかまれた気がした。