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旅人の唄  作者: 水崎
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小鳥の唄


 くるくる回る果てしない、そう。その色のない、形のない輪の中で。

 静かにたった一つの小さな生をその身に受け、ちらつく影に怯え、その正体がいずれ迎える終わりだと、知り。募る恐怖を喜びやら怒りやらに紛らわし、逃れること望み、望み、しかし長い時間を影と共にするうちに無意識に、そういつの間にかその正体を忘れる。

 そうして幸せを手に入れて。

 やがて年老い、もしくはひとりになり、誰かを求めて影の存在を思い出し。そうして静かに終える。永劫の無に身を任せて。

 ――でも。

 でももし、それが間違いなら。

 嘘だった、のなら。つまり、もし、転生というシステムが永劫の昔からこの世界に備わっているのなら。

 すべての生き物は例外なく、もちろん人間という種の生物も含めて。私たちは生まれ、育ち、死ぬ、その生と死を繰り返しているのだろう。

 数え切れないほど何度も生を受けているのに、都合のよい頭はそれを忘れる。忘れなくては、繰り返される生と死に、疲れきってしまうから。旅人は歩みを止めることができないから。

 それでも、それでも。

 いつか、思い出すだろう。

 思い出さなくとも理解はするだろう。

 その、事実を。

 終わるのに、終わらない。

 最期なのに、最期ではない。

 ゆえに忘れたはずの愛するものの影に焦がれる。

 それができる、幸せ。

 もちろん、誰も覚えてはいないけれど。

 繰り返しながら永久的に続く転生の輪の中。その中で組み込まれ踊らされて続けている私たちは、きっと哀れで幸せな世界の奴隷なのだろう。知らなくてもいいことなど、山のようにあるのだから。

 覚えていなくとも、幸せになることはできるのだから。




 死別から始まった、この旅を。

 ただ、君に。




「もしも死んじゃったら、どうしたい?」

 押しては引いて。押しては引いて。そんな単純で不規則的なリズムに身を委ねていると、隣で小さく彼が呟いた。

 最初はそんな問いが独り言に聞こえて、私は無意識に無視をした。それから波の音を聞きながらふと言葉の意味を考える。

 そこでやっと、問いが意味不明だったことに気が付き「どうゆうこと?」と私が横を向くと、彼はだーかーらーと私の顔を覗き込んで、「もし死んじゃって、生まれ変わったらどうしたい? 何になりたい? って」と当然のように言った。

「……ハル君、最初からそう言ってもらわないと分からないよ」

「えー、ちょっと省略しただけじゃん」

「どこがちょっとなの? 『死んじゃったら、どうしたい』なんて聞かれたら、お金がどうのこうの……とか思うでしょ」

「もー、ユーモアの欠片もないね、カズちゃんって」

「……ユーモアの意味、分かってる?」

 海は忙しなく泣いている。痛い、痛いって。引っ張られて押されてまた引っ張られて。みんなの為に働けとみんなが言うから。

 さんさんと輝きながら私たちの肌を突き刺していた太陽はどうやら疲れたみたい。今は空を赤く染めるのに必死らしいようで、私たちには目もくれない。 砂浜は蹴られ踏まれぐちゃぐちゃにされて、今座り込んで足を投げ出した私たちの体重を不本意に支えている。随分重いだろうなぁ。

 そうしてみんながみんな、何かと苦労している。なんだかいい気味。

 ――なんて思った夏の日だった。

 ハル君は幼稚園からの幼なじみで、小学校に上がっても中学校に上がっても私たちは仲が良かった。

 世間は狭い。狭くて狭くて。そうとも知らない両親に私は縛り上げられて、あれやこれやと要求されて。嫌になって逃げる先はハル君の元だと決まっていた。昔から。

 ハル君は背が高くない。この夏は私と同じ身長だった。茶色の髪は適度な長さで風にゆらゆらと揺れて。私はその揺れる寝癖を見るのが好きだった。

 二人で並んで砂浜に座り込んで、彼は赤と藍の間を探すように空を見上げ、私は波の悲鳴を聞こうと海を見下す。そうしてただ無言で座って日が沈むのを待っていた。

 そう、それが逃げ出した日の日課。握ったお互いの手の温もりを、心地よく感じながら。

 私たちは不自由だったから。

 私は――『晴』を忘れない。

 例え、こうして高校生になってしまっても。



 こんな両親から見ればどうでも良さそうな思い出はすらすらと頭の中に思い出されるのに、彼らが私に叩き込みたい数式やらはちっとも覚えられない。無理やりで嫌いになってしまったんだわ。両親はぐちぐちと何かを言っているけれど、何故気が付かないのかしら。私は今の学校の速度になんてついて行けない。

 なのにこうして入院してしまったら絶対留年する。単位制ってなんて恐ろしいの。

 ああ、全てが憂鬱。

 まさかこんなに突然体が悪くなるなんて思いもしなかった。お陰で勉強不足になれるようになったけれど、病状は良くない。度々訪れる医師の顔を見れば分かる。彼は何も言わないけれど。

「もしも死んじゃったら、どうしたい?」

 その問いが私の耳をくすぐったのはもう三年も前の、中一の夏の話。じゃああなたは何になりたいのと尋ねると、彼は「自由な物」そう答えて儚げに笑った。

 私たちは、とても不自由だったから。

 ちちちと、鳥が鳴く。

 この個室の病室からは海が見える。放たれた窓の桟に足をかけた小鳥は海よりも空よりも深い青をしていた。

 ああ綺麗。

 もし生まれ変わるのならば私は鳥になりたい。好きな時に宙を舞い、その身に空を抱える。生き方も全て自分次第。何を食べるのかも、誰を愛するのかも。死は自然の摂理にすべて任せられる。彼らは死んでしまえば自然の一部になる。なんて自由で美しい生き物なのかしら。

 ――人とは大違い。

 今の私たちは朽ちて自然に還ることすらも難しい。自然を余りにも滅茶苦茶にしたから嫌われた。一体化を拒まれるだろう。一目瞭然。

 彼が私と会うときは、大抵長袖のTシャツを着ていた。誰かさんが気まぐれで増やす傷を、誰かさんが隠せと言うから。

「私と会わない方がいいんじゃないの」

「なんで?」

「だって……ハルが打たれる時って、私と会った後じゃん」

「カズ、気のせいだよ。あいつはいつも気紛れだから」

「でも……」

 本当は私が見ていて居たたまれなくなっていただけかもしれない。ある日そう言う話を初めて持ち出した。

 でも彼は強かった。私よりもずっと不自由だったけれど。ただ笑って、俯いた私の右手を左手で強く握る。

 冬の砂浜に座り込む二人。何時の間にかハルの背は私よりもずっと高くなっていて、声も私よりずっと低くなっていた。

「カズに会えないくらいだったら、打たれて死んだ方がましだな」

 彼は時たま、とんでもなく恥ずかしいことをさらりと呟く。いつもは笑って軽く受け流してきたけれど、今日こそそれと向き合おうと私は彼の大きな厚い手を握り返した。

 顔が熱い。

 私の小さな反応に喜んで、彼は肩を引き寄せる。長かった、五年越しだったんだらな、私の頭に冷えた頬を当てながらそう云って笑った。

 私も笑う。瞼を伏せて。馬鹿ね、あぁ言えば良かった。

 私なんて十年越しだったんだから。

 淡い恋心。足下の海よりも薄い色をしていて、それでいてほわほわしていてあたたかい。掠るか否かの口付けはなんとも拙い青春の一コマと言うべきなのか。胸が暖かくなる。それでも空も砂浜も有り得ないほど冷たかった。まるで祝福を嫌がったかのように。

 ――彼は私より不自由だった。でも、もう大丈夫のはず。

 彼を縛り付けて置くものなどもう何一つ存在しない。私が止まれと言っても彼は応じないだろう。

 だって『晴』は誰よりも自由だ。

 壁は高い。人の私に止めることなどできない。



「どうしたの」

 我ながら何をしているのだろうかと呆れたが、ベッドの上から問いかけてみる。青い生物はそんな私を堂々と無視して毛を突っついてみせた。

 今、晴は何をしているのだろうか。

 もしかしたら必死で勉強をしているのかもしれない。

 必死にせっせと働いているのかもしれない。

 運動がてら軽く散歩をしているのかもしれない。

 風に揺すられてゆらゆらしているのかも。

 いや優雅に海を泳いでいるのかもしれない。

 草をすり潰したり、獲物を狙って目を光らせ、食べられそうなところを死に物狂いで逃げているのかもしれない。

 もしかしたら晴は今、空を何よりも自由に美しく飛んでいるのかもしれない。

 ――晴は、死んだ。

 母親の虐待に抗う術を見出したのに。

 誰も抗えないということなのか。突然の事故と何時かやってくる死には。交通事故なんて特にそう。笑っちゃう。

 今度こそ晴は幸せになるはずだった。人並みの幸福を得て、人として幸せに――。

 みんな意地悪だ。意地悪。親の目を盗んで晴の葬儀に駆け込んだとき、思わず笑ってしまった。あんまり呆気なかったから。

 ああ私は、一人だ。

 ベッドから降りる。歩くのは良くないと言うけれど、病人だからってベッドに縛り付けておく方が良くないはず。こんなに寝たままでいたら筋肉がどうかなって歩けなくなる。

 私は窓の横の壁に背を預けた。ちちちと鳴く小鳥は見向きもしない。警戒心が無さ過ぎるんじゃないの。

「何をしてるの?」

 もう一度、小鳥に話しかける。ここには話し相手もいない。私の人生って哀れね。虚しくなってしまう。

 ふと、思い付いたように青の小鳥が顔を上げた。彼、または彼女は私の瞳をじっと覗き込む。そのつぶらな黒いおめめには私の暗い顔が映し出される。あぁ変な顔。正に病人、そんな顔。

 あ、光った。ちょうど頭の部分が。でも私の頭には豆電球も蛍光灯も付いていない。

 じゃあ、小鳥さんのお目目が光ったのかな。

 ……どこかで見たことがある。 この青い小鳥じゃなくて。

 私を覗き込むその瞳。そこにはまだもう少しまともだった頃の私の顔が映り。その目が光る。笑う。春が歌い夏が輝き、秋は静かに騒がしく去って冬は全てを冷たく撫でる。春夏秋冬。砂浜の細かい砂は乾いていて、湿っていて。笑う、笑う。違う、私じゃなくて。私を見つめる瞳は太陽の如く、いいえ美しい蛍のように輝いて。私を覗き込んで彼が笑った。



 ――じゃああなたは何になりたいの?

「自由な物」

 ――自由な物、って?

「そうだなぁ……」



 春を越えて夏を越えて。彼が冷え切ったのは川の水よりがそうなるよりも早い時期だった。

 自由な物。

 そう例えば、海を我が物顔で飛び回る魚や―――

 空を我が物顔で泳ぎ回る、鳥。



「晴……?」

 私は青い彼に手を伸ばした。でも小鳥は、まるで私のその戸惑いを嘲笑うかのように窓の桟を軽く蹴る。勢い良く飛び立った彼はやはり綺麗だった。

 ほらね、やっぱり。私が彼を止めることなんて出来やしないんだわ。私はただの『森嶋 一海』で彼は尊き『小鳥の晴麒』なんだから。

 あの小鳥が晴である確証はないけれど、そんな気がした。彼が何かに生まれ変わっている可能性も、転生というシステム自体も存在している可能性もないかもしれない。

 分からないけれど、在ってほしい。そうでなければ。私はもう二度と晴に会えないから。

 この広い広い世界のどこをどう探したって、もう人間の晴は見つからない。今まで以上に強く強く、会いたいと願ったって。

 ――あなたに会いたい。

 もし転生という物が存在するなら、私たちが再び合間見ることができるのならば、その時が人でもないもので生きている刻であっても、はじめましてと言ってほしい。その時には「久し振り」と私は返すから、そうしたらあなたに、ただ愛してると、二度と離れないと、その口で言って貰いたい。

 それだけで、目には見えない輪廻と運命と奇跡を信じられるから。否応なしに産み落とされ、果てしなく続く転生の輪に練り込められた理由が――見いだせるから。

 私はもうそう長くはない。どうやら病気が思ったよりも進行しているようで。病気の名前は……あ、何だったっけ。忘れちゃった。病名と残りの時間なんて私からすれば取るに足らないことだから、忘れちゃった。

 晴が自動車に跳ねられてから、一年が経とうとしている。

 窓の桟に手を掛けると、死にゆく秋空を見上げた。



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