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頑張って

 お昼の少し前に、街に着きました。

 ここでもまだ、戻ってきたという気持ちにはなりません。建物や人に他国とのわかりやすい違いがあれば、それか知っている街であればきっと、戻ってきたことを実感できるのでしょうに。

 建物の色や形、流行など、違いは確かにあります。でもそれは国ごとの違いではないのです。

 そんなことを考えながら教会の前を通りかかった時でした。

 教会から、司教やシスターの格好をした人、武器を持った人たちが慌てた様子で出てきました。あ、シスターじゃないんだった、巫女だった。

 出てきた人たちのうちの一人、肩に鞄をかけた二十歳くらいの巫女さんが、

「あっ、勇者様!? 勇者様ですよね! ね!」

 と、エドワードさんの前に回り込んで彼の手を取りながら言いました。ニールグの教会関係者は誰が勇者かを正しく把握しているようです。

「えっ、あ、はい。どうしましたか?」

 珍しく少しうろたえたエドワードさんに、巫女さんは早口で言いました。

「魔人が出たので協力してくれませんか!」

 それは大変。

「はい、もちろん」

 エドワードさんが爽やかな笑顔を浮かべて快く引き受けると、巫女さんは頬をほんのり赤くしました。

「それで、魔人はどこに?」

「この通りを……」

 答える途中で、自分がエドワードさんの手を握ったままだと気付いたらしい彼女は「ひぇやっ」と変な声を出し、謝りつつ慌てて手を離しました。

「つ、ついてきてください」

 そう言って巫女さんは走り出しました。少し走った彼女は、振り返って私たちがついてきていることを確認すると、走る速度を少し上げました。そして百メートルくらい走ってまた振り返り、また速度を上げました。運動が得意ではない私は、もうついていけません。

 ジークさんが速度を落とし、私と並んで言いました。

「先に行ってる」

 ええ、そうしてください。

 私が頷くとジークさんはたーっと走っていきました。教会戦士たちもです。

 ああっ、また速くなったっぽい!

 走りながら、私の隣を行く司教さんに話しかけてみました。この人も運動はあまり得意でないように見えます。

「あの巫女さんっ、速い、ですね……!」

「ええ、あのブロンテの、血を引いて、いますからっ」

 ブロンテ……ケイさんとアーサーさんの苗字です。彼らの親戚ということですか。

 ジークさんから聞いたのですが、ケイさんとアーサーさんの家は不思議な家系なのだそうです。

 一番上の子に子供ができたとしたらその子は絶対に足が速くて、二番目の子の子供は速くないというか普通のことがほとんどらしいです。つまりアーサーさんに子供ができたらその子が異常に足が速いのは間違いないのですが、ケイさんに子供ができてもその子が速いかどうかは生まれて走ってみないとわかりませんし、普通である確率が高いのです。

 ケイさんの子が一人も速くなかったとして、その先もずっと普通かといえばそうではありません。孫が速いかもしれないのです。孫も曾孫も玄孫も普通でもその次あたりで速い子供が生まれてくることだってあります。あの巫女さんはそのひょっこり生まれてきた速い子供の一人なのでしょう。

 これだけなら遺伝子の問題で済みそうですが、そうはいきません。不思議はこれだけではありません。

 もしも一番上に子供ができない場合、二番目の子供は必ず速いのです。例えばアーサーさんに子供ができる前に彼が亡くなってしまったとしたら、その後に生まれるケイさんの子供は足が速いことが決まっているということです。

 何故そうなるのかは謎です。誰にもわからないので、神様がそうしている、ということに世間はしているそうです。でもジークさんが言うには神様はブロンテ家には何もしていないのだとか。ファンタジーです!



 走って走って私と司教さんがようやく目的地に着いた時にはもう、エドワードさんたちは街の人に応援されながら魔人と戦っていました。

 うわあ、なんかすごい……。魔人は男性で、袖の無い服を着ていて背が高くて筋肉モリモリであまり髪がありません。湾曲した刃の剣を両手に持っています。凶悪な雰囲気がよく出ています。あまり近付けないので顔はよく見れませんが、これで目つきが悪かったら完璧だと思います。ライトノベルやゲーム、漫画に出てくる、ザ・ごろつき、賊、悪人、敵、といった感じです。

 今までもザ・賊は何度か見ましたが、今回の人は別格に思えます。魔人だから余計にそう見えるのかもしれません。物語の序盤で出てきて主人公が少し苦労して倒して、中盤以降でリベンジに来そう。要するに強そうなのです。というか強いと言ってもいいでしょう。エドワードさんとジークさん、それに教会戦士三人を相手にして、しっかり武器を握っているのですから。今までの人ならとっくに弾き飛ばされています。

 速い巫女さんはどうしているかというと、右手で細い杖と厚めの本を持って、左手でなんだか難しそうな魔法陣を描いています。右手のものは鞄の中身でしょう。

 魔法陣を描き終わったかと思いきや、巫女さんはその隣にもう一つ描き始めました。一つ目とは別のもののようです。彼女の邪魔をしては悪いので、息を整え終えた司教さんに何の魔法か聞いてみました。

「今年の冬にようやく実用化された、治療用の魔法です」

 巫女さんが魔法陣を描いているのは、誰かが怪我をした時のためということですか。あ、魔人から戻った人にも使えるのかな?

「治療用としては最新で」

 司教さんは私に教えてくれながら何かの魔法陣を描き始めました。地面と平行に描いています。速いです。

「魔法陣三つで一つの、わりと複雑なものですが」

 三つですか。教科書に載っているのは二つまでです。ちなみに、こういう魔法もありますよ、ということで載っているものなので使い道は特にありません。

「魔力が強くなくてもそれなりの効果が期待できます。――そこ違いますよ」

 司教さんが巫女さんの魔法陣をちらりと見て、彼女に声をかけました。

「へっ……え? ええ?」

 巫女さんの視線が魔法陣と本の間を三往復しました。

「ほんとだ……」

 彼女はそう呟くと間違えた箇所を描き直し、より真剣な表情で続きに取りかかりました。

 エドワードさんたちを相手に頑張っていた魔人ですが、司教さんと巫女さんが魔法陣を描きあげる前に地面に倒れたきり動かなくなり、熊のような魔物が出てきました。その魔物は何回か刺されたり斬られたりすると、空気に溶けていきました。

 離れた位置で応援していた街の人たちが手を叩いて喜びました。

 魔人だった人は、後からやってきた教会の人たちに馬車に乗せられ運ばれていきました。病院に行くのだそうです。

 司教さんの魔法も巫女さんの魔法も必要ないとのことで見ることができませんでした。少し残念です。でも無事に用は済みました。特に大変なことにはならなくてよかったです。

 教会でお昼ご飯を、という話を司教さんがしている時、近くの建物の陰から、ふらりと魔人が通りに出てきました。……って、えええ! なにまさかの二人目が出てきちゃってるんですか、ちょっと。遅い増援ですか? 一日一人だと思ってたのに、一日二人とかそれだけ事態が深刻ということですか。大丈夫ですか、この街っていうかこの世界。あ、大丈夫じゃないから魔王倒すのか。ん? 違う、魔王が出てくるくらい大丈夫じゃないんだ。

 驚いてしまいましたが、魔王が復活するのがそろそろだと考えれば少ないくらいだと思います。昔はあまり大きくない街でも最低で四、五人が普通という時があったそうですから。最高記録はどこかの国の王都の二十……二十八人でしたか。これは作り話説が濃厚だそうですが。

 さて今回の魔人ですが、茶色のローブを着ていて、すっごい深刻そうな顔をして短剣を握りしめています。なんというか……後がない、追い詰められた魔法使い、といった雰囲気です。

 少し遅れて魔人に気が付いたらしい巫女さんが、

「嘘っ」

 と声を上げると、魔人の目が彼女に向けられました。そして魔人が口を開きました。

【ダマレ!】

 やっぱり魔法使いだった!

【あんたが黙れ!】

 とっさに言ったら魔人になんかすごい顔で睨まれました。あ、これやばい。

【動くな!】

 魔人は、短剣を持った右手を顔の高さまで上げたところで動きを止めました。まるで短剣を投げる手前のような体勢です。やばいと思ったのは間違いではなかったようです。

 後ろに回り込んだ司教さんが杖で魔人の頭をガツンと殴ると、魔人は地面に倒れ込みました。そのまま動きませんが魔物が出てくる様子はありません。私の魔法のせいで起きあがれないだけのようです。

「……これは……」

 司教さんは魔人を見下ろして困ったような顔をしています。

「あの……そのままどうぞ」

「えっ、いえ……良心が……」

 まあ、そうですよね……。動けない人を一方的に殴るなんて、人々に優しく穏やかに接するのが基本のこの国の聖職者には難しいでしょう。喧嘩を止めるのに魔法を使ったブラウンさんならバシバシやりそうですが。

 どうしましょう、少しは動けるようにした方が……でもこの司教さんは運動得意じゃないっぽいし……ここは、私が……。

 私が少し迷ったことで魔法の効果がゆるんだのか、魔人が顔を上げ、また私を睨んできました。ひ、怯むものですかっ。何かを言うことも、動くことも許しません。

 頑張ってしばし睨み合っていると、私の肩に、ぽんとエドワードさんの手が乗せられました。

「あいつも僕らがやるよ」

 あ、そうですか。じゃあお願いします。

「司教さん、離れてください。その人動けるようにするので」

「はい」

 少し安心したような顔で司教さんは魔人から離れました。

 では、魔法を解いてあげましょう。

「動いてもいいですよ」

 でも魔法は使わせません。黙ったままでいなさい。

 魔人は、倒れた時に落とした短剣を拾い上げながらバッと体を起こし、私に向かってきたところを横からジークさんに蹴られてまた地面に倒れました。めげない魔人はもう一度立ち上がりましたが途端にエドワードさんに頭を殴られてまた横になりました。

 魔人が立ち上がってきたところを殴るのを何度も繰り返したエドワードさんは、

「しぶとい」

 と、ぶすっとした表情で言って、倒れた魔人の頭を踏みつけました。

「エドワードさん……」

「何?」

「正義と悪者が逆です」

 主人公を痛めつける悪役と、何度攻撃されても立ち上がる主人公。そんな感じです。

「そう?」

 見てください、周りの人を。なんとも微妙な顔をしていますよ。

「そうだとしても、他にどうしろって言うのさ。いっそのこと斬る?」

 そ、それはできればしないでほしいのですが……でも痛い思いをすることに変わりはないのなら、殴られ続けるよりは……。

「その前に」

 聖剣を鞘に戻してジークさんが言いました。

「叩くならこっちの方がいいのかもしれない」

 ジークさんはエドワードさんに魔人から足をどけてもらい、ふらふらしながらも再び立ち上がった魔人の右肩に、後ろから木刀状態の聖剣を振り下ろしました。

 すると魔人は、顔を歪めて肩に手を当て、前のめりに倒れました。そして大きい魔物が出てきました。四本足で、鼻の辺りに角らしきものがあります。……サイ、かなあ?

 出てきた魔物も叩いて倒したジークさんがエドワードさんに言いました。

「効いた」

「……聖剣だから? 最初からこうすればよかったのか?」

 今までの苦労は何だったのかとエドワードさんが肩を落としました。

「次で試せばいい」

「……次」

 エドワードさんはなんだか複雑そうな顔になりました。

「どうかしたか」

「近いうちに次が出てくるのが当たり前になったんだと思ってさ。今さらかよって感じだけど」

「……」

 自分の発言を思い返したのか、ジークさんは虚空を見つめて何かを考え、しばらくしてから言いました。

「俺もレイも手伝うから頑張れ」

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