こうして
紙飛行機を飛ばして五日が経ってから、大教会からの返事が来ました。
可能な限り帰ってきなさい、というような内容だったので、ニールグ王国まで戻ることになりました。
魔王が出るのは「今の調子だと春から夏」だと神主さんは言いました。とういうことは、何かが起きて今の調子でなくなれば時期が早まったり遅くなったりするのでしょう。早まってしまったときのためにもなるべく早く戻りたいところですが、冬の間にどれだけ戻ることができるでしょうか。雪の降り具合、積もり具合によってはろくに動けません。
王都を出発して、これからのことを話しながら街道を歩いていると、木の陰から魔物が出てきました。犬のようにも狼のように見えます。国の中心近くに出る魔物としては大きい方です。
「キャンッ!」
なんだか弱そうに吠えて飛びかかってきた魔物をジークさんが聖剣でスパッと斬りました。
空気に溶けていく魔物の近くに寄り、しゃがみこんで黒い霧に目を凝らしてみました。
ローマ字を崩したような文字の形をした小さな小さなものが、だんだん薄れていって見えなくなります。……通常との違いがわかりません。残っている方でしょうか。
「……わからない」
斬った本人もわからないようです。
エドワードさんが小さな文字たちを指して言いました。
「一つ一つが離れてる気がしない?」
そう言われればそんな気も……。
あ、そうだ。触ってみよう。前に触った時とは何か違いがあるかもしれません。手袋を取って……えいっ!
魔物だった黒いもやもやに手を伸ばしてみたら、やっぱり嫌なものが流れ込んでくるような感じがしました。ですが、はっきりとした言葉は頭の中に浮かんではきません。何かに対する怒りはあるような気がしますがよくわかりません。聖剣で斬った効果が出たのでしょうか。
まだ触っていても大丈夫な気もしますが、何か悪影響があるといけないのでここまでにしておきます。
手を引っ込めると、嫌な感じのものが私からふっと消えるような感覚がしました。
「レイちゃん……本当によくやるね」
「気になるじゃないですか」
「……なんか僕が軟弱に思えてきた」
エドワードさんはそんなことを言って手袋を外すと、勢いよく黒いもやもやに手を突っ込みました。
「うぇ……」
エドワードさんが顔をしかめて手を引っ込めました。
「頭の中に何か言葉浮かんできませんでしたか。『嫌い』とか」
「え? そんなのなかったけど。レイちゃんは何かあったのかい?」
「今はなかったんですけど……」
猫もどきだったものを触った時のことを話すと、エドワードさんが言いました。
「じゃあ、次のやつは僕が倒してみようか」
ええ、お願いします。
また歩き出して街道を進んでいると、今度は小さめの熊のような魔物が出ました。
二本足で立って襲ってきたその魔物をエドワードさんはさくっと倒すと、もやもやに手を伸ばしました。そして嫌そうな顔をしました。
「さっきよりずっと嫌な感じはするけど……はっきりしたのは無いなあ」
前のは私の気のせいだったのでしょうか。どれ、私も。
この泥棒猫!
へ?
予想外の言葉が頭の中に浮かんできて、驚いて手を引っ込めてしまいました。もう一回。
ジョニーの馬鹿! 信じてたのに! どうしてそんな女なんかと!
おおう……これは誰かがジョニーさんとやらの浮気現場を押さえた時の気持ちなのでしょうか。
浮気された誰かのように怒りたくなってしまいそうなのでこれくらいにしておきましょう。
手を引っ込めましたが、先程と違って嫌なものが残っているような気がします。そのうちに消えるのでしょうけど。
「誰か浮気されたみたいです」
「え?」
エドワードさんをきょとんとさせてしまいました。ジークさんもよくわからなかったようで首を少し傾げました。
「泥棒猫、馬鹿、信じてたのに、どうしてそんな女なんかと、っていうのが頭の中に浮かんできたんです」
「それは確かに浮気だな」
ジークさんが同意してくれました。
「つまりこいつは、浮気した人とその相手への怒りとかが元ってこと?」
エドワードさんがどんどん空気に溶けていく魔物を見て言いました。
「他にも何かあるかもしれませんけど……」
ずっと触っていれば魔物の元になった感情がわかるのかもしれませんが、さすがにそれはしたくありません。
「何で僕にはわからないのかな」
何故でしょう。エドワードさんが変というより私が変なのだと思いますが……ああそうだ、言葉がわかるといえば!
「イリム語とか覚えさせられた時に触ればわかるようになったとか」
「ああ、ありそうだね」
ですよね。だから今はそういうことにしておきます。
手袋を買った街まであと少しのところまで戻ってきました。
空賊はどうしているかな、なんて考えていると、森の奥の方から、ドーン! という、何かが爆発するような音が聞こえてきました。誰かが魔法を使っているのでしょうか。
気になって見にいってみると、開けたところで誰かが一人きりで暴れていました。
木の陰に隠れて様子を窺います。
どうやら魔人のようです。声からして女性でしょうか。よくわからないのは、暴れている人との間に距離があるのと、その人が魔法を連発していて魔法陣やそれから出るもので姿が見えづらいからです。
「うわああああぁぁ! うああああああん!」
魔人は小さい子のように大きな声で泣きながら、次々と炎や水や電撃をあちこちに飛ばしています。八つ当たりしているように見えます。周囲の雪は解けて地面がぐしゃぐしゃになっていて、木が何本も折れています。が、意外と冷静なのか、森が火事になることは防いでいるようです。木に火がつけばすぐに水をかけて消しています。
そんな魔人の手には杖は無く、なんと左右の手で別々の魔法陣を同時に描いています。やってみようとして難しい顔で練習している人は見たことがありますが、こんなにすいすい描けている人は見たことがありません。
優秀な魔法使いなのでしょうが、泣いていることで呪文が変になっているのか、魔法陣をまともに描けていないのか、それとも気持ちのこめ具合が良くないのか、自分にも被害がいっています。ですがなんてことないようです。明らかにくらったらまずそうなものが直撃して服がボロボロになっているようなのに弱っている様子がありません。
呪文だけの魔法が効かないのはわかりますが、魔法陣から出るものまで本当に効かないとは……。
普通はどんなに魔法に強くても、魔法陣から出たものが全く効果がないなんてことはありません。魔法陣から出るものは普通のものとほとんど一緒だといわれています。だから、もし魔力の弱い人が魔法で出した火を私に当ててきたとしたら、私は火傷するわけです。いくらかは軽減されるそうですが、くらったことがないので詳しいことはわかりません。
「魔人に魔法が効かないって本当だったんですね」
「不思議だね。でもレイちゃんのはどうかな」
エドワードさんがそう言うと、ジークさんが呟きました。
「効かないと困る」
ええ、そうですね。
「じゃあ、やりますね」
杖をしっかり握って、
【魔法使うのやめろーっ!】
泣き声に負けないように叫んでみると、魔人は魔法陣を描くのをやめ、両手で顔を覆ってただただ泣くだけになりました。
やはり女性のようです。そして雰囲気からして未成年です。
寒い寒い冬に森の中で泣く服がボロボロの少女……うわあ、すごく哀れ……。
私はやることを間違えたのかもしれません。
「……何て言ったんだい?」
エドワードさんが少し困ったような顔をして聞いてきました。魔人に対して、私と同じようなことを思っているのではないでしょうか。
「魔法使うのやめろって言いました。なんか泣くのまで止めるのはかわいそうっていうか、気の済むまで泣かせといた方がいいような気がして……」
「……じゃあ、動くんだね?」
そうです。今の状態なら無抵抗なところを殴ることにはならないと思います。
私が頷くと、エドワードさんは「ならいい」と言って、ジークさんと一緒に魔人に近付きました。
エドワードさんとジークさんに気付いた魔人は「何でええええ! うわああああん!」と泣き叫びながら、腰に差していた短剣を振り回して二人に襲いかかりました。しかし、どうにも剣の腕はいまいちで、あっさりエドワードさんに剣を弾き飛ばされ、早々に倒れることとなりました。彼女から出た、鳥の形の魔物はジークさんに斬られました。
魔人だった人に近寄ってみました。
歳は私と同じくらいに見えます。
首からペンダントを下げています。これはおそらく杖の代わりになるものでしょう。
杖の代わりになる装身具はとても高価なものだと聞きます。この人の持っているようなものだと、服の下に隠れることもあって身に着けている人を見たことはほとんどありません。ですが、勇者をやめたリヒトさんもたぶん持っていると思います。トマスさんは杖無しで魔法を使いますが違います。彼の場合は剣が杖でもあるからです。ジェフリーさんが教えてくれました。
魔人だった人はびしょ濡れだったので、できるだけタオルで拭いてあげました。
それから私の上着をかけてあげようとしたらエドワードさんに止められました。
「それじゃレイちゃんが寒いじゃないか。僕が」
「エドワードさんは真っ先に手袋するようになったじゃないですか」
私より寒いのは苦手なのではないですか。
「でも僕の方が丈夫だと思うよ」
それはそうなのでしょうけど。
「レイちゃんが風邪ひいてうまく声が出なくなったら困るじゃないか」
うっ、それを言われると……。
「……私みたいに困らないからって風邪ひかないでくださいよ」
「大丈夫だよ」
エドワードさんは自分の防寒着を魔人だった人に貸して、それから彼女を背負いました。
魔人だった人の短剣はジークさんが拾って持っていくことになりました。
「この子に何があったのかな」
歩きながらエドワードさんがぽつりと言いました。
悲しいことがあったのかもしれませんし、悔しい思いをしたのかもしれません。魔法の腕が良いようなので、周囲から期待されて、それに耐えられなくなったのかもしれません。泣いたことで少しでもすっきりしているといいのですけど。




