現れる。
リネーデ王国の王都まで来ました。
幸運にもあまり雪に降られることなくここまでたどり着いてしまいました。この後すごく苦労することになるのではないかと思ってしまいます。
ここのお城の裏には森が広がっています。昔の勇者たちが魔王のことを知ったのはおそらくこの森でのことです。私たちも、行けば何か知ることができるかもしれません。
森は近付き難い雰囲気の場所で、行ってみたことのある人はあまりいないようです。そういうわけで、森のことはまだよくわかっていませんが、わかりやすい入口があることと、誰かが住んでいるらしいということはこの街に来るまでに知ることができました。
宿を確保してから街の人や旅人に森のことを少しだけ聞いて回り、とある食堂でお昼を食べている時のことでした。
「あ、レイちゃん……」
向かいに座るエドワードさんが何か言いかけたところで、急に視界が塞がれました。
な、何? 毛糸? 手袋?
「だーれだ?」
ひいっ。
耳元で声が聞こえたんですけど何これ。聞き覚えのある声ですが……。
「ふふ、びっくりした? さあ、当ててごらん」
え、えっと……この、のんびりした感じの声は、
「……ジェフリーさんですか」
「当たり」
手がどかされて振り向くと、にこにこしているジェフリーさんと、あきれたようにジェフリーさんを見るトマスさんがいました。あー、びっくりしたあ……。
あれ? なんだか二人とも旅人には見えません。この街の住人みたいな服装です。もしかしてここの人なのでしょうか。
「こんな所で会えるなんて嬉しいなあ。来るとは思ってたけどね」
そんなことを言いつつジェフリーさんは私の横に座りました。
「おい」
「勝手に座るな」
トマスさんとエドワードさんが咎めましたが、
「いいじゃないですか。混んでるんだし。ほらトマスも」
ジェフリーさんはトマスさんまで座らせました。トマスさん、ものすごーく不服そうです。
「……レイちゃん、こっちに」
そうします。
席を移ろうとしたら、ジェフリーさんにがしっと腕を掴まれました。
「逃げないでよ。隣にいてくれたら、奢るよ?」
なんと。
「私たち三人分奢ってくれますか」
「うん」
太っ腹! そういうことならこのままここに座っていましょう。
「何でレイちゃんの横がいいんだ」
エドワードさんがむすっとした顔で言うと、ジェフリーさんはにこにこ笑って答えました。
「女の子の隣がいいってだけですよ。気が合うのは女の子の方が多いもので」
ジェフリーさんはトマスさんに料理の注文を任せると、今度は私に笑顔を向けてきました。
「いいこと教えてあげる」
いいこと? 何でしょうか。
「この大陸の勇者は、トマスと僕とで全員潰してあるから」
それはそれは。確かに私たちにとってはいいことですね。
「あっちに行ってみたら、君たちもあの金髪の子たちも見た目が寒いやつも強くて参ったよ。特に君。あっさり取られちゃうし魔法はどうにもならないし」
そうですか。
……あ、そうだ、魔法はどれくらいの間効果があったのか聞いてみましょう。
「初めて会った時、魔法いつ解けたんですか」
「うん? 十五分くらいしたらなんか緩くなって、抵抗してみたらそれまでのが嘘みたいに簡単に解けたよ」
十五分間……長いような短いような。
「そんなこと聞くってことは、魔法かけたこと十五分で忘れたかな?」
……あの後のことはよく覚えていませんが、きっとそうですね。森の中を走っているうちにつらくなって、走ることで精一杯になってしまったからでしょう。道が整備されていなくて走りにくかったとはいえ、情けない……。
「ふふ、今ならもっと上手くやれるかな?」
できなくてはならないでしょう。
「もう一ついいことがあるんだよね」
まあ。どんなことでしょうか。
「トマスと僕は棄権したよ」
棄権?
「勇者とそのお供やってる場合じゃなくなったんだよねえ」
勇者としてあちこち回るのをやめたということですか。で、トマスさんとジェフリーさんがやめたということはつまり、この大陸から出た勇者はもういないのですね。
「そういうわけだから、これあげる」
ジェフリーさんは服のポケットから赤ボールペンを取り出すと私にくれました。
これは……フロッピーを奪った時に返したごみですね……。
「……ありがとうございます」
「その様子だとやっぱり役に立つものじゃないんだね」
「それなら何だと思いますか」
「そうだねえ、便利な筆記用具、かな。苦労して手に入れるものじゃないと思うなあ。だから君はあの時これを返してきた。どう? 合ってる?」
まあ、触ればわかりますよね。簡単に分解できますし。
「大体合ってると思います」
返したのは、インクが切れていてごみだと思ったからですよ。
「えー何それ」
もしかしたら、驚きの機能が付いているからかもしれないからです。ごみだと思いますが。
「ま、いいや。ところでさ、ここに来たのって、裏の森が気になるからでしょ?」
はい、そうです。
「案内人つけてあげようか? 前に本読んでくれたお礼に」
「案内できる人なんているんですか」
「うん。今日は駄目だけど明日か明後日なら大丈夫じゃないかなあ」
だそうですが、どうしますか、エドワードさん。
「……いいのか?」
「ええ、いいですよ」
エドワードさんが聞くと、またジェフリーさんはにこにこ笑って答えました。
「何があるのか知ってるのか?」
「変わった建物に変わった人が住んでます。僕から言えるのはこれだけですね」
後は自分で見てみろということですか。
ジェフリーさんに泊まっている宿を教えて、後は彼がこの国の名所について話すのを聞きながらご飯を食べていると、誰かがテーブルの前で足を止めました。金茶の髪で緑の目をした、二十歳くらいの男性でした。
彼はトマスさんの肩をがしっと掴むと、
「捜しましたよ、王子……!」
……王子? 今、この人、トマスさんを「王子」と呼びましたか。
「こんな所で何やってるんですか……!」
男性は静かに、でも怒っていることがよくわかる口調で言いました。
「何って、見りゃわかるだろ」
トマスさんはものすごく面倒くさそうに答えました。
「あと王子って呼ぶな」
「何故?」
「お前、変なやつだって思われるぞ」
「何のために声を小さくしていると思っているのですか?」
ばっちり聞こえていますが……私たちは対象外ですか?
「で? この国の王子が何故このような所で油を売っているのです?」
えーっと……トマスさんはこの国の、リネーデ王国の王子様なのですか?
「あ、あの……」
ジェフリーさんに声をかけたのはいいですが、聞いてもいいことなのでしょうか……。
「あはは、バレちゃったね」
彼は軽く笑って小声で言いました。
「そうだよ、トマスはこの国の王子様だよ。びっくりした? 本当だよ? 似合わないよねえ」
トマスさんが、王子様……えー!? 本当に? 野球とかテニスとかのじゃなくてこの国の?
「トマスにはね、お兄さんが三人、お姉さんが二人、妹ちゃんが一人、弟くんが二人いるんだよー」
おお、兄弟がいっぱい……! トマスさんは四男なのですね。
「妹ちゃんがね、これまたすごくかわいい子でね」
「ジェフリーさんっ!」
のんびり話すジェフリーさんに男性が怒りました。
「あなたも一緒になって何……」
男性は急に黙ったかと思えば、何故か私を見て固まっていました。私がいることに気付いていなかった程度ではこうはならないでしょう。私の髪と目の色が原因かもしれません。今日は何色か知りませんが見慣れない色をしているのでしょう。変な色でないといいのですが……この反応だと不安になります。
「ヴォルフラム、もしかしてこの子が好みに近かったりする?」
「はっ?」
ジェフリーさんにヴォルフラムと呼ばれた男性はきょとんとしました。
変なこと言いますね、ジェフリーさん。
「この子はいいよ。ほとんど話したことのない僕に本読んでくれるくらい優しくていい子だよ」
何を言えばいいか困ったから読んだだけなのですが。
「それに僕やトマスよりずっと魔力が強くて魔法語も得意なんだよ。ね?」
これで会うのが四回目で、しかもそのうち二回は魔法をかけて神の道具を奪った私をなに笑顔で勧めているのですか。何がしたいのですか。
「……魔力は強いって言われてて、魔法語も困りませんけど……」
「ってことでお勧めするよ。だから頑張って落として故郷のこととか聞きだしてよ。で、僕に教えてくれると嬉しいなあ」
……ジェフリーさん……お茶目ですね。
「それ私の前で言ってどうするんですか」
「冗談だよ?」
「わかってます」
そう返したらジェフリーさんが急に真面目な顔になりました。
「二割は本気だけどね。どう? この人、なかなかいいと思わない?」
知らない人をどうって言われてもなあ。
「結構見た目いいでしょ?」
ジェフリーさんは向かいに座るエドワードさんとジークさんを指しました。
「あっちの二人には負けてるかもしれないけど」
確かに整った顔立ちですね。この席には美形が多くて肩身が狭いです。何故皆さんそんなに顔が綺麗なのですか。……私が美形だと思う基準が低いのでしょうか。
「あと、真面目で優秀だよ?」
はあ、そうですか。良いことだと思います。
「ジェフリーさん! 彼女困ってるじゃないですか! もう戻りますよ!」
男性が怒ってジェフリーさんとトマスさんを立たせました。
「ちょっと待って。奢るって約束したから……これくらいかな」
ジェフリーさんがテーブルにお金を置きました。
「ありがとうございます」
「ふふ、こちらこそ。なかなか楽しいお昼だったよ」
トマスさんは特に何も言わず、ヴォルフラムという人は「失礼します」と軽く頭を下げ、ジェフリーさんは「じゃあねー。ゆっくりしてってねー」と機嫌良さそうに手を振って、お店から出ていきました。
「……何だったんだ」
ジークさんが呟きました。なんだか、心の底からの声が漏れたような呟きでした。




