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大きいもの

「遠くまで来たって思ってたけど……また遠くなるな……」

 陸がどんどん離れていくのを見て、エドワードさんがそんなことを言いました。

 私たちは今はもう船の上で、甲板に立っています。

 今日はこの時期にしては暖かい日だと思いますが、風が吹くとやはり寒いです。

 これから最低でも一週間は海の上です。今は海がこれでもかという程近くて私のテンションは高めなのですが、いつまでこうでしょうか。

 約一週間ずっと草原とか森を歩いたことも少なくはないので、景色があまり変わらないことには慣れたと思いますが、今は大きいとはいえ船の中という限られた所にしか行くことができません。そのことを退屈に思うようになるのではないでしょうか。それとも魔法の教科書を読んで勉強をしたり本の翻訳をしたりしていれば退屈だなんて思わずに済むでしょうか。……むしろその方が可能性高そう。

「私、船で海を渡ることなんて一生ないんじゃないかって思ってました」

「僕はそんなこと考えもしなかったけど……レイちゃんの場合は、空を行くからかな?」

 私が頷くと、エドワードさんは空を見上げて呟きました。

「空飛ぶ乗り物か……」

 海を初めて渡るのは、修学旅行の時だと思っていたのですが……まさか異世界で大陸間の移動をすることになるとは。

 ……修学旅行かあ……。

「もし、ここと向こうが同じように時間が流れていたら」

 そんなことではないといいのですけど。どうなのでしょうね。

ここに来たばかりの頃にも、向こうの世界の時間が止まっていればいいなんて考えました。何故なら本の中ではだいたいはそうなっているから。

「そろそろ、修学旅行なんです。高校の行事で一番の楽しみなんです……」

 ああもう。情けない声が出てしまいました。これでは一人にしてもらって泣いた意味がないではありませんか。

「ずっと行ってみたかった所に行けるんだっけ?」

「そうなんです。しかも飛行機に乗れるので、行き先を知らされた時、嬉しくて嬉しくて」

 海を渡ることだけでなく、空の旅も修学旅行が初めてのことになるだろうと思っていたのに、こちらは二年生に進級すらしていない上に、ペガサス――生き物での移動となりました。

 今になってみると、あの時はよく怖がらなかったと思います。

 普通の馬すら乗ったことがないというのに、いかにも落ちやすそうな空飛ぶ馬に、言葉の通じない人を頼りにして乗るなんて……混乱のなせる業でしょうか。

「初めてペガサスに乗って空飛んだ時、怖くなかったですか」

 エドワードさんとジークさんに聞いてみたら、

「楽しかった」

「……ものすごく怖かった……」

 と返ってきました。

 楽しかったのがジークさんで、怖かったのがエドワードさんです。

 それぞれどうしてそう思ったのか聞いてみると、ジークさんは自力では行けない場所まで行けたことが楽しかったようで、エドワードさんは、

「その年に五歳になる子がペガサスにちょっとだけ乗る行事があるんだけどさ……」

 故郷の町の伝統行事でペガサスに乗って怖い思いをしたそうです。

 その行事で子供たちは、かわりばんこに小さいペガサスに乗って、大人の頭の位置くらいの高さを少しだけ飛ぶのだそうです。

 エドワードさんの番になり、ペガサスに乗せてもらったら、急にペガサスが暴れて空高くまで上がってしまい、その上に結構なスピードで飛び回ったそうです。

「空高くって言っても、あの頃の僕にとってで、本当は二階建ての家よりちょっと高い所だったんだけど……」

 今のエドワードさんにとっては平然と飛び降りることができる高さですね。でも普通は、空高くとはいかないまでも、大人にとっても十分高い位置だと思います。

「……必死に掴まってたんだけど、落ちちゃって、気が付いたら父さんの腕の中だったよ……」

 よほど怖かったのでしょう。その時のことを話すエドワードさんの声はなんだか弱々しくて、目は虚ろに見えました。

「それからしばらくはペガサスに近付くのが嫌どころか見たくもなかったし、高い所が駄目だった」

「今はどっちも大丈夫ですよね」

「……うまく着地できない高さは苦手。怖い」

 でも、ペガサスに乗って空を飛べるのでしょう?

「行けないって程じゃないんですよね」

「うん」

「落ちたら怪我したり死んだりする高さを怖いって思うのは普通じゃないですか」

「そう?」

「高い所全然怖がらないのはよくないって誰かが言ってました。平気で危ない所まで行って落ちちゃうんだとかなんとか」

「……そうか……僕は普通か……」

 怖いと思い始める高さは普通よりずっと上だと思いますけどね。



 出港からしばらく経っても私たち三人は客室に戻らず、それぞれ好きなものを見ていました。私が魚が跳ねるのを眺めていたら、

「あれ、何だと思う?」

 エドワードさんが海を指差しました。

 水中に何か大きなものの影が見えました。何でしょう? 動いているようですが……。

 じっと見ていたら、大きな影が水面に近付いてきました。

 あれは……イカ? 大きいからダイオウイカ?

 体長は三十メートルくらいでしょうか。半分以上が腕で……うわあ、目がスイカくらいの大きさですよ。

「海ってこんな大きいのがいるのか……」

 エドワードさんが呆然と呟きました。ジークさんは何も言いませんし顔にも出ていませんが、ずっとイカを見つめているようなので、結構驚いているのかもしれません。

 あのイカは、切符を買った時に聞いた「巨大生物」なのでしょうか。

「遅くなった」

「はーい、ちょっとどいててくださいねー」

 船長さん率いる船員さんたちが、網と弓矢と槍と銛と大きい包丁みたいな刃物を持ってきました。

 網を持ってきたところを見るに、あの巨大イカを捕まえるつもりでしょうか。

 言われたように離れたので私にはよく見えなかったのですが、船員さんたちは、銛と槍で突いたり矢を射かけたりして巨大イカを攻撃したようでした。

 船長さんの合図で網が海に投げ込まれ、少ししてから引き上げられました。

 網には、少し短くなったように見える巨大イカの腕が一本と、矢が数本かかっていました。

 船員さんたちが満足そうにしているので、最初から腕一本だけを取るつもりだったのかもしれません。彼らは刃物で巨大イカの腕を切り分けて持っていきました。

 もう見える範囲に巨大イカの本体はいません。

 ジークさんが呟きました。

「よくあることなんだな」

 そうですね。船員さんたちは慣れているようでした。

「聞いてわかってたつもりだけど、まさかあんなに大きいのがいるなんて思ってなかった」

 エドワードさんが言いました。

「あれならいるだけで邪魔になるかもしれないね」

 さっきの巨大イカなんてどこかに絡まってしまいそうですよね。

「でもあんまり心配しなくてもよさそうだね。魔物はどうかな」

「大丈夫です」

 私が言い切ったからか、エドワードさんは首を傾げました。

「エドワードさんとジークさんがいるから大丈夫です」

 対魔物および海賊要員が乗っているそうですが、エドワードさんとジークさんの方が強いのではないかと思うのです。相手が船の上にいたらの話ですけど。

「レイちゃんの方が役に立つんじゃないかな。相手が水の中だって大丈夫だし」

「私は、声が出なかったらどうしようもないです」

「僕らは剣がなかったらどうしようもないよ」

「殴る蹴るがでなんとかなるじゃないですか」

 エドワードさんが人を文字通り殴り飛ばしたことは忘れていませんからね。

 ジークさんは決して弱くはない魔物を華麗に蹴っ飛ばして倒したことがありました。

「人はともかく魔物は殴る蹴るだと厳しいと思うよ」

 エドワードさんがそう言うと、ジークさんが頷きました。

 そうですか?……ああ、そうですね。海にいるということはどこの首都からもかなり遠いのでした。今はまだそれほどではないはずですが。

 まったく、私ときたらこんな重要なことを忘れていたなんて。

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