久しぶりのもの
海ー!
アマンスという大きな港町に来ました。
海はすぐそこです。山に囲まれて育ってきた身としてはテンションが上がるというものです。
ここに来たのはシクト大陸行きの船に乗るためです。
出港は四日後で、順調にいけば一週間の船旅になるのだそうです。天候の他に、海賊と魔物と巨大生物が航海を左右するらしいです。
海賊と魔物が航海を邪魔するようであれば逃げるか撃退。巨大生物であれば基本的には撃退で、場合によっては一部分を食べてしまうそうです。
無事に切符を手に入れてから、料理が安くて美味しいと評判の酒場でお昼にすることにしました。
店内に入ってみると、ほとんどの席が埋まっていました。
店主のおすすめだという、最近メニューに加わった「昼の魚定食」というものを頼んでみたら、丸っこいパンと、野菜たっぷりのスープと、お醤油がかかっているらしいお刺身が出てきました。
……お刺身? 主食がパンでお刺身? もしかして何か別のもの?
「あの、これ、何ですか」
料理を持ってきた店員さんに聞いてみました。
「魚よ。生の」
間違いなく魚のお刺身のようです。
「美味しいから残さないでね」
そう言い残して店員さんは他のお客さんの注文を取りにいきました。
お箸はないようです。あるのはフォークとスプーンだけ。フォークでお刺身……まあいいか。
とりあえず鮪(たぶん)からいただきます。
……美味しい……! 今まで食べた鮪のお刺身の中で一番美味しいです。海が近くて獲れたてだからでしょうか。それとも異世界の鮪というものは生で食べるとこのように美味しいものなのでしょうか。久しぶりに食べられた嬉しさで余計に美味しく感じているのかもしれません。
今度は鯛にフォークを刺したところで、どういうわけかエドワードさんとジークさんにじっと見つめられていることに気が付きました。そして急に周囲の視線が気になるようになりました。こちらを見る人が多いのはいつものことで、そこそこ慣れてきているのですが、今はとてもとても気になります。いつもと何かが違うのです。それに食事の時にしては多いような……。
何これどういうことですか。もしかして私は何か変なことになっているのですか!
「……あ、あの、な、何……です、か……」
恥ずかしくてうまく話せません。……あれ、今のイリム語? 何か別のが出たような、そうでもないような……。
「美味しい……?」
恐る恐るといった感じでエドワードさんが聞いてきました。
すっごく美味しいです。と答えようとしましたが今度はうまく声を出せず、仕方がないので何度も頷いておきました。
何故か周りの席の人がどよめきました。何? 私が原因?
「そんなに?」
そうですそうです、美味しいですよ。
また頷いたら、エドワードさんが小声で言いました。
「みんな、それ普通に食べたレイちゃんにびっくりしてるんだよ」
……え? はっ、そうか、生の魚を食べるなんて、ってことか!
「僕もジークもね。僕は食べるの見るまでレイちゃんが生魚食べられるの忘れてたよ」
……そういえば、お刺身とお寿司の話をした時に驚かれたの忘れていました……。
「思い出したけどびっくりした」
ああ、ジークさん、知ってはいても実際に見ると衝撃的なことってありますよね……。
「とりあえずそれ食べたらどうだ」
私としてもお刺身を食べたいです。こんなに注目されていなければ食べるのに! お刺身食べただけでこれは何!
ああ、駄目だ、落ち着け私。とりあえずフォーク置こう。
「……あの……た、食べないんですか」
エドワードさんもジークさんも料理に手をつけていません。スプーンやフォークすら持っていません。
エドワードさんが少し困ったような顔をしました。
「僕はちょっと勇気がいるかな」
「……俺も」
勇気? エドワードさんもジークさんもまずはお刺身をどうにかしようとしているのでしょうか。
「……牛は、生で食べられるのに、どうして、魚は駄目なんですか」
そう言ってみたら、エドワードさんが、
「牛と魚はだいぶ違うと思うな……」
それはそうでしょうけど……。
「さ、魚だって牛と一緒で、煮ても焼いても生でも、美味しいです」
だからエドワードさんもジークさんもお刺身食べてみましょうよ。お腹が空いているのでしょう?
自分から食べないというのなら、食べさせてしまいますよ。
嫌いなものを無理矢理食べさせられるのはとても嫌なことですが、食べたことがないのならまだ嫌いというわけではないでしょう。怪しげなものを食べさせられるのも嫌なことですが、これはちゃんと人が食べられるもので、結婚式とかにだって出てくる立派な料理です。だから少しくらい強引にいってもいいのではないでしょうか。
「さっきの、店員さんだって、美味しいって言ってたじゃないですか」
そう言ったら、今度はジークさんが、
「自分の店で出す料理を美味しくないなんて言うやつがいるものか」
む、それは確かにそうですが。
「美味しくないもの出したら、苦情が来たりお客さん減ったりするから、出さないと思うんですけど」
話していたらだんだん落ち着いてきました。
エドワードさんもジークさんもこのままではお刺身を食べそうにないので、強引にいってしまいましょう。
まずは目の前のジークさんからです。それっ。
ジークさんの分のフォークを取って鮪を刺して、
「はい、どうぞ」
ジークさんに差し出してやりました。彼は驚いたのかほんの少しだけ身を引きました。
これが私の妹と弟なら睨んでくるか手を押し返してくるところですが、ジークさんは基本的に優しくて思いやりのあるいい人でしかも私より年上なので、差し出されたら受け取ると思うのです。エドワードさんもそう。
まあ、妹も弟もお刺身は好きなのでお刺身でこんなことをすることはありませんが。
はい、次!
「どうぞ」
今度は左手でエドワードさんに鮪付きフォークを差し出してやりました。
すでにジークさんに右手のフォークを握らせることには成功しています。
エドワードさんは、ジークさんを見て、次に鮪を見て、最後に私を見て苦笑しました。
「慣れてるね」
本当は二人同時にやりたかったのですが、もたつきそうだったので一人ずつにしました。
「美味しいですよ」
「……わかったよ」
しぶしぶといった感じでしたがエドワードさんはフォークを受け取ってくれました。
食べてみてください。私が魔法を使いたくなる前に、さあ。
エドワードさんもジークさんも、いかにも思い切ってというように一口食べて、それから「美味しい」と言いました。やったあ!
お昼を食べ終えた後、宿を取って、それから浜辺に来てみました。
鮮やかな赤い葉をつけた木がたくさん生えています。
あれはもしかして!
よく見るために木に近付いてみたら、ほんのりりんごの匂いがしました。
木にはハート型の葉と、小さなりんごのような赤い実がついています。
「これ、りんごもどきですよね」
「そうみたいだね」
「そうだろうな」
エドワードさんもジークさんもりんごもどきは見たことはないそうですが、この辺りに植わっている木はりんごもどきだと考えたようです。
はー……こんなに綺麗な赤になるのですねー……。
私がぽーっとしている間に、エドワードさんが砂浜で遊んでいる子供たちに話しかけて、遊び相手になっていました。ジークさんも一緒です。
良かったね、少年たち。こんな優しくてかっこいいお兄さん二人と一緒に遊べて。
私は遊ぶのを遠慮して、りんごもどきに背中を預けて座って、海を眺めてみました。
そうしていたら、この世界に来てからのことがどんどん思い出されてきました。驚いたこととか嬉しかったこととかイラッときたこととか、それはもうたくさんのことが。
今思えば、初めはかなり混乱していましたね、私は。かなり変なこと考えて話していた気がします。恥ずかしい……。
それなりに落ち着いてからも……う……ああー、恥ずかしいことが一気に頭の中に浮かんできました。もう海をただ眺めるなんてことはできません。
過去の自分をどついてやりたいです。穴があったら入りたいです。いっそ掘ってしまいましょうか。駄目か。迷惑か。そもそもスコップ無しでそんなことできるわけ……って、私は何を馬鹿なことを考えているのでしょうか……。
「どうかした?」
ほわあっ!?
「ふふ、面白いくらいビクってなったね」
あ、ああ、エドワードさん……びっくりしたあ……。
顔を上げてみたら、子供たちの遊び相手になっていたはずのエドワードさんが、いつの間にか私のすぐ横で、片膝をついてしゃがんでいました。
「で、そんなに顔赤くしてどうしたんだい?」
「えっ、あの、ちょっと……いろいろ、思い出して……」
声をかけられてビクってなったのが恥ずかしいのも原因ですけど。
エドワードさんは面白がるように言いました。
「例えば?」
そんなことこと聞いてどうするのです、っていうかだいたいのことはわかってるでしょう、その笑顔は!
「……秘密です……」
「それは残念だなあ」
とか言いつつ笑って! わざとらしいですね!
「でもよかったよ。泣いてるのかもって思ったから」
え? 私が泣いているかもしれないと?
「何でですか?」
「こんな所に座って俯いて、しかも手で顔覆ってたら、泣いてるようにも見えるよ」
恥ずかしさに耐えられずに両手で顔を覆っていたのですが……誤解させてしまいましたか。
「ごめんなさい、紛らわしいことして……」
「謝らなくていいよ。顔上げた時泣きそうにも見えたし」
ああ……あのまま声をかけられなければ、恥ずかしさとか自分を馬鹿だと思う気持ちとかで少しは泣いていたでしょう。
……うわあ、またいろいろ思い出してきた……。
「エドにーちゃーん!」
子供たちの一人がエドワードさんを呼びました。
「おしろつくろー!」
エドワードさんと一緒に砂でお城を作りたいようですね。
エドワードさんを呼ぶ子のそばには、子供たちとジークさんがいて、一緒に砂を盛ったり固めたりして遊んでいるようです。
「レイちゃんも一緒に作ってみるかい?」
「もうちょっと海眺めてぼーっとしてたいです」
不安な気持ちとか、この世界に来る前のことまで思い出してしまいました。
家族や友達に会いたいです。寂しいです。頭の中がもやもやしています。だから今ひっそり泣いてしまおうと思うのです。旅に出る前のように、泣けばきっとすっきりします。この大陸を離れる前にすっきりしておきたいのです。
「わかった。気が向いたらおいで」
エドワードさんは優しく微笑むと、私の頭を軽く撫でてからジークさんと子供たちの所へ歩いていきました。
私が考えていることなんて、エドワードさんはやっぱりある程度わかっているのでしょうね。




