こうなるの。
紙を手に載せたままルナールさんと話していてなんだか疲れてきた頃、アーサーさんが戻ってきました。やっぱり窓から。
「開けっ放しで寒くないか?」
部屋に入って「ただいま」の後にそう言ったアーサーさんに、ケイさんが得意そうに答えました。
「兄ちゃんが出てった後に閉めた。で、少し前に、そろそろ帰ってくるだろうと思って開けといた」
「そうかそうか」
アーサーさんはにっこり笑ってケイさんの頭をいい子いい子と撫でました。
「ちょ、兄ちゃん、やめっ」
「思いやりのある子に育ってくれて兄ちゃんは嬉しいぞ」
もう頭を撫でられて喜ぶような歳ではないというケイさんの抗議を無視してアーサーさんは、
「ルナール隊長、これ食べますか?」
持っていた紙袋の一つから鯛焼きを出して、ルナールさんに差し出しました。
「ありがとうございます。――仲が良いですね」
「よく言われます」
アーサーさんは照れたように笑って返しました。
いいなあ、仲良し兄弟。
「ほら、レイも」
アーサーさんはルナールさんの次に私に鯛焼きをくれました。
「あ、ありがとうございます」
鯛焼きを受け取って、ありがたく食べようとしたところでルナールさんに声をかけられました。
「疲れてきませんか?」
「え、まあ、ちょっとだけ……」
何でそんなことを聞くのですか?
「まだ大丈夫なのですね。――悔しいです」
悔しい?
「もう二十分経ちそうです。私は十五分なのに」
あ、この紙の魔法陣のことですか……わあ! 私、強くて偉い人に勝った!
十五分のルナールさんより少し長く使えるだろうと言ったのはルナールさん自身ですが、彼の思っていた「少し」は一、二分だったか、私の疲労の度合いがもう少し上のものになると考えていたのでしょう。
喜んで十分はまだ大丈夫でした。それから五分と経たないうちに、疲れが一気に増して、勝手に描かれた魔法陣が消えてしまいました。
ああ……疲れた……ただ手に不思議な紙を載せていただけだというのに。長距離歩いたわけでもないのにそれと同じくらい疲れました。
あまり動きたくありません。人目がなければ寝転がってしまいたいです。
椅子に座ってぼーっとしながら、冷めてしまった鯛焼きを食べていたら、
「レイちゃんも魔法だけで疲れるんだ」
エドワードさんがそんなことを言ったのが聞こえました。
ああ、なるほど。魔法をたくさん使って疲れるのってこういう感じなのですね。
ケイさんたちが帰る時には猛烈な眠気が襲ってきました。
帰りは四人とも窓から外に出ていきました。
どうやらルナールさんは三階まで階段を使わずに上がる程の力はありませんが、三階から飛び降りることは何でもないようです。
ヘンリー君は飛び降りるなんて二階でも無理だと言っていましたが、彼もいつかはルナールさんのように……ならないか、騎士じゃないし。でもヘンリー君は運動は得意な方だったような。勇気がないとか、自分にはできないと思っているだけで、実際は二階くらいならなんともなかったりして。
眠い頭でぼんやり考えていると、名前を呼ばれました。
「レイちゃん」
はい、何でしょうか、エドワードさん。
「眠いなら夕飯まで寝たら?」
「……はい……」
言われなくとも寝るつもりでした。
「八時くらいには起きれるかな?」
だいたい四時間寝れますね。たぶん大丈夫です。
エドワードさんたちの部屋を出ようとしたところでジークさんに腕を掴まれました。
「危なっかしい。ついてく」
え……いや、そんなことしてくれなくても大丈夫……じゃないかも。
ここは三階で私の部屋は二階なので階段を下りなければなりません。疲れと眠気で階段を踏み外して落ちるなんて絶対嫌です。
「……お願いします……」
ジークさんはこくりと頷くと、私の腕を掴んだままゆっくり歩きだしました。私にジークさんがついてくるのではなく、私がジークさんに引っ張られるような形になりました。
歩いたらいくらか眠気が飛び、階段は何の問題も無く下りることができました。
「……よく母さんが今のレイみたいになるんだ。父さんもたまになる」
部屋の戸の前まで来たところでジークさんが言いました。
「少し、懐かしくなった。――またあとで」
ほんの少しだけ、ジークさんが寂しそうな顔をした気がしました。
目が覚めるとすごくお腹が減っていました。
時計を見ると七時四十五分でした。
エドワードさんたちに起きたことを伝えに行って、そのまま三人で宿の食堂に行きました。
食堂の空いていた席に座るなりエドワードさんが昼間のことを聞いてきました。
「神様に何て言われたんだい? ずいぶん慌ててたみたいだけど」
「……教えるなって言われました」
本当は、教えたらこうするぞ、という感じに脅されたのですが、同じようなものでしょう。
「本当にそれだけ? 神様がレイちゃんを脅したって言われても僕は驚かないよ」
うっ、エドワードさん、鋭い……。
「前の僕ならこうは考えなかっただろうね。神様が人を脅すなんて」
エドワードさんは肩を竦めて言いました。
「旅に出てから……違うな、よくわからないうちに勇者に選ばれてから、僕の中で何かがどんどん崩れていってるんだ。ジークは真っ赤で神様がどうこう言うし、レイちゃんは変な物持ってたり魔法語が母国語だったりで異世界から来たなんて言うし」
「悪かったな」
ぼそっとジークさんが言うと、
「別に悪いなんて言ってないだろ。お前はそれでいいんだ」
エドワードさんは即座に返しました。
……エドワードさんは普通ですね。勇者なのに。この世界に普通に生まれて普通に生きて、濃さに差はあれ、青い髪も目もイリム大陸にはたくさんいて、身長もたぶん体重も平均くらいで、見た目も普通(顔のつくりの良さは除く)、素晴らしい身体能力を発揮しますが特に変わった能力をもって……
「……エドワードさん、何か特別なことできますか」
「ん? みんな頑張ればできるようなことばかりだよ」
変わった能力をもっているわけでもありません。いやいや、本人が知らない、または隠してるだけで本当は何かあるかもしれません。あったらいいな。無いならどこかで身に付けられれば……って、あるじゃないですか、傷が治るのすごく速いではありませんか。あ、でも、エドワードさんだけ特別というわけではないのですよね。ご先祖様の方がずっと速かったらしいですし。
やっぱり何か……いえ、エドワードさんは今のままで十分ですね。すごく強くてすごく顔立ちが良くて、ときどき物騒で少し意地悪なところもありますが優しくていい人です。
エドワードさんについて考えていたら、
「で? 本当は?」
彼がぐっと顔を寄せてきました。
近いです、少し離れてほしいです。
会ってから今まで、エドワードさんがとても近いことが何度かありましたが、まだまだ慣れません。
「……脅されました。ひどいですよね、神様なら脅さなくてもいいのに……」
それこそ「教えるな」でいいのに。
「もしも脅されてなかったら教えてた?」
え? いいえ。教えたくありませんでした。言うのだって嫌です。この世界で教えたり言ってしまったら、人生は負けあるいは終わりではないかと思うのです。上手く言い表せませんが、なんとなくそう感じるのです。
私が首を横に振ると、
「それなら脅されて良かったんじゃないかな」
エドワードさんはそんなことを言いました。
「レイちゃんは嫌いだと思った人にはわりときっぱり言うけど、そうじゃない人には控えめだよね。手を放してって言った時は恐る恐るって感じだったし。嫌いじゃなくて年上でおまけに偉い人にああやってはっきり言えたのは、脅されて慌てたからだと思うんだけど、違うかな?」
……む、確かにそうかもしれません。というかそうです。たぶん。
「それで、どんな脅しだったのかな?」
……何ですか、その楽しそうな顔は。
「秘密です」
と言ったのに、
「学校の行事で友達に頼まれて猫の真似をしたらしい」
うえっ!? ジークさん、何故それを!
「作り物の猫の耳を頭につけたそうだ」
「それは神様から聞いたのか?」
とエドワードさんが聞くと、ジークさんはこくりと頷きました。
神様か! なんてことをバラしてくれたんですか神様! っていうかジークさんだって黙っていてくれたっていいじゃないですか!
口を手で塞いでいないと叫んでしまいそうです。
「猫の耳……」
エドワードさんがじーっとこちらを見つめてきました。
「かわいくていいんじゃないかな」
よくありません!




