座って
一人になって、向けられる視線が減って、ベンチの端で少し心が休まったところへ、
「今日はいい天気だねえ」
そう言いながら誰かが私のすぐ横に座りました。まるで友達のような近さです。……何で?
「そうですね……あっ」
茶色の髪に緑色の目。どこの誰かと思えば、どこかの勇者と一緒のジェフリーさんではありませんか!
ジェフリーさんは微笑んで言いました。
「僕のことちゃんと覚えてるんだね」
茶髪の人はあまり見ませんし、それに加えて緑の目というともっと限られてきますし、綺麗な顔をしていますし、リモコンとフロッピーを奪ってごみを押し付けてしまいましたからそうそう忘れやしませんよ。
「そんな身構えないでよ。今日はお祭りを楽しんでるだけだから、別に襲ったりしないよ。一緒の二人はどこに?」
そうですか、わかりました。ですが近すぎます! それから、あなたがいつも一緒にいる、茶髪で青い目のあの人はどこに?
「……一人はさっきの騒ぎのことで話を聞かれてて、もう一人は何か買いにいってます」
答えながらジェフリーさんから離れてみました。
「騒ぎ? よく知らないけど、果物投げ合ってたって聞いたよ。あの二人のどっちかが何かしちゃった?――そんな端っこだと落ちるかもよ?」
大丈夫です。端っこは慣れています。座っていてバランスを崩すことはそうはありません。
「ちょっと強引に止めたんです。……あの、トマスさんは……」
なんだかやる気なさそうにしていて、睨むと途端にとても怖い人に思えるトマスさん。エドワードさんとジークさんがいない状態で彼に睨まれたらどうなることか。エイミーの仲間の一人の、人を殺せそうな視線を向けてくる彼女に睨まれるよりはましですが。
「宿で本読んでるか寝てるんじゃないかなあ。あーあ、子供の頃はよく一緒に行ったのになー。トマスときたら成長するにつれて興味わくものが少なくなって、ついでにめんどくさがりにもなっちゃって、僕つまらないよ」
トマスさんとジェフリーさんは子供の頃からの知り合いなのですね。
「それにしても、君は普通だねえ。近付くまでわからなかったよ。実は顔をちゃんと覚えてなくてね。今日、この距離で見たからにはさすがに覚えるけど」
エドワードさんもジークさんもかなり顔立ちが整っていて、多くの女性が見つめる程ですから、一度会っただけで彼らの顔はしっかり覚えられるでしょうね。特にジークさんは赤い髪と目をしているのでなかなか忘れられないでしょう。
私は印象に残るような顔はしていないはずですし、会う度に髪と目の色が違うかもしれませんから、近くでよく見なければ一度や二度では顔を覚えられないかもしれません。
「平和だよね、ここは」
ジェフリーさんが急にしんみりした感じになって言いました。彼は、この国の王がいるであろうお城の方をちらりと見てから続けました。
「戦争はもう二十年以上無いし、魔物は強くなってきてても、まだ対処できるって余裕がかなり感じられるよ。……海の向こうはね、もうずいぶん前から首都近くの魔物は一発叩いただけじゃだめなんだよ。まだ子供でも勝てることに変わりはないけど」
「……ジェフリーさんは、海の向こうから来たんですか」
「そうだよ。シクト大陸のリネーデから」
シクト大陸は地図で見るとイリム大陸の右側にあって、確かリネーデという国は大きな国だったような……。
ジェフリーさんが自身の頭を指差しました。
「むこうに行くと、青とみかん色よりこの色の方が多くなるよ。目もね」
茶色の髪や目をもつ人の割合が高くなるのですね。
「あと、金髪だから身分が高い、って国が少なくなるよ」
「そうなんですか」
「うん。――ねえ、君の故郷のこと教えてくれない? どんなとこ?」
ジェフリーさんからしんみりした感じが消えました。
故郷はどんな所かと聞かれてもなあ……いつも国で答えますが、たまには県で答えてみましょうか。
「山に囲まれてます」
「平和?」
「はい」
「住んでる人の髪の毛とかの色は?」
髪と目が黒い人が多いと答えたらこの人は信じるでしょうか。
「たいていは私と同じです」
この答え方でジェフリーさんが何色と認識するかは知りませんが――普通と言っていたので青かオレンジあたりでしょうが――嘘は言っていないのでまあいいでしょう。
「へえ。ところで、君はどれくらい魔法語喋れるの?」
うわ、そんな近付かないで!
せっかく離れたのに、ジェフリーさんはそれを無駄にしてくれた上にさらに寄ってきました。これはもう、私は立つしかないですね。この近さは満員の電車でなら耐えられますが、今は駄目です。
「逃げないでよ」
立とうと思ったらがっしり腕を掴まれました。ジェフリーさんは男性にしては細身で、弱そうに見えますが力はしっかりあるようです。
「……立つだけです」
「あんまり人と近いの嫌?」
私が頷くと、ジェフリーさんは私の腕を放して、いい具合に離れてくれました。
「で、どれくらい喋れる?」
「日常生活で困ることはないです」
「何か喋ってみてよ。あ、魔法使ったらやだよ」
そんなこと言われても……あ、これでいいや。
「何か喋れって言われても困ります」
と日本語で言ってみると、ジェフリーさんがなんだか嬉しそうに、
「もっとお願い」
と言ってきました。
どうしましょう。そうだ、『アーサー王』を音読してみましょうか。これなら何を言おうかと悩まずに済みます。魔法として効果が出てしまいそうなところは飛ばせばいいでしょう。
「これ、に、魔法語で書かれてるので、これ読みます。魔法にならないようにしますけど、どうかなっちゃったらごめんなさい」
本をかばんから取りだして表紙を見せると、ジェフリーさんは目を輝かせました。
「その前によく見せてくれない?」
彼は私から本を受け取り、開いて、しばし本文を見つめてから言いました。
「よくこんなの読めるね。字は全部で何種類あるの? すごく多いように見えるんだけど」
え? そんなこと聞かれてもなあ……。
「さあ?」
ひらがなとカタカナとそれからローマ字はわかりますが、
「知らないの?」
さて、漢字はいくつあるのでしょうか。
「聞いたことないと思います」
中学や高校の国語の先生は何か言っていたでしょうか……まったく記憶にありません。小学校の時は担任の先生から、一年間で漢字を何文字覚えなくてはならないかを教えてもらったと思いますが……。
「わからないならいいや。読んでくれる?」
「はい」
音読するのは久しぶりです。春休みに入る前、二月の国語の授業で、教科書に載っている小説の一段落を丸ごと読んだ時以来でしょうか。
四ページと少し読んだところで、今ではすっかり聞きなれた声に呼ばれました。
本から顔を上げると、すぐそばにエドワードさんとジークさんが立っていました。エドワードさんは不思議そうな顔をしていて、ジークさんはいつものように無表情です。
「何やってるんだい?」
「魔法語で何か喋って、て言われて、これを音読してました」
答えると、エドワードさんが困ったような顔をしました。あ、私、もしかして……。
「何言ってるかわからないよ」
あー、やっちゃった……。うっかり日本語で答えてしまいました。魔法として何の効果も出なくてよかったです。で、えっと、何て言えばいいんだっけ、えーっと、ああそうだ。
イリム語で言い直そうとしたところで、
「この本を魔法語で読んでもらってただけですよ」
とジェフリーさんが言いました。
「魔法語で?」
「全然わかりませんけどね、それでもいいんです。こんな体験はそうそうできませんからね。――じゃ、僕はお邪魔なようだからこれで。ありがとう」
ジェフリーさんは笑顔で軽く手を振って去っていきました。
「何かされてない?」
「大丈夫です」
ジェフリーさんが歩いていった方を見ながら、ジークさんが、
「少しレイに似てた」
と呟きました。
……ジェフリーさんが、私に?
「僕もそう思った」
エドワードさんまでですか。
「何でですか」
「なんとなくだけど、雰囲気が、魔法のこと考えてる時のレイちゃんみたいだったから。あいつも魔法が好きなんじゃないかな」
そういえば、ジェフリーさんは、私が日本語を喋ったら嬉しそうにしていましたし、本を見せた時は目を輝かせていました。あんなに寄ってきたのも、きっと魔法が好きだからなのでしょうね。
エドワードさんが私の横に座り、そのさらに横にジークさんが座りました。
エドワードさんが座っている位置は、ジェフリーさんが座っていた位置よりも私に近いです。でもあまり嫌ではありません。ずっと一緒に行動してきて、彼に慣れたからですね。
でも、周囲の人々(特に若い女性)からの視線が、とても気になります。
「……これくらいなら大丈夫と思ったんだけどな……」
少し離れてみたらエドワードさんに寂しそうにされてしまいました。
「あ、えっと、その……ごめんなさい」
エドワードさん、あなたが苦手というわけではないのです。好奇心や嫉妬などが混じった視線にいまだに慣れないのです。今も……あ。
よく考えてみれば少し離れたところで意味はありませんでした……一つのベンチに一緒に座っていることに変わりはないのですから……。
「あの、喧嘩の原因は何だったかわかりましたか」
とても恥ずかしかったのですが、元の位置に戻ってみつつ、騒ぎのことを聞いてみました。
「肩がぶつかったとか足踏んだとか、いろいろ。まだ言い合ってるかもしれないね」
エドワードさんは喧嘩を止めただけなので、やり過ぎだと怒られたそうですが、早々に解放してもらえたそうです。
本当は彼もりんごを投げましたが、黙っていてもいいでしょう。




