黒い者。
またまた国境を越えました。今回は堂々と関所から入国しました。
この国はメラディア帝国といいます。私は、“帝国”と聞くと大きくて強そうな国を思い浮かべるのですが、この国は小さくてあまり強くないそうです。しかもちょっとかわいらしい別名がついています。その名も“ひまわり帝国”。国旗にも王家(というか皇帝家?)の紋章にもひまわりがあしらわれています。夏は国中にひまわりが咲き誇るそれはそれは平和な国で、周辺の国々とはそれなりに仲が良いようです。
私たちが今歩いている道の両脇にも当然のようにひまわりがたくさん咲いています。丈が高く、花はとても大きいです。見事なものです。
私たちの他にも何組も旅人がいて、彼らが「見事だ」とか「凄い」とか言っているのが聞こえます。
高く青い空に真っ白な雲。そしてたくさんの大輪のひまわり。ああ、なんて平和な光景なのでしょう!
「キャアアアァァァ!」
平和な光景を壊すかのように、突然、辺りにかん高い悲鳴が響きわたりました。
悲鳴の方へ走って行ってみると、女性が腰を抜かしたのか地面に座り込んでいて、女性の前には彼女を守るかのように青い髪の男性が立ち、剣を構えていました。
青い髪の男性の剣の切っ先は、斧を持った黒髪黒目の男性に向けられています。って、あれ、黒髪黒目? 体の一部が黒い生き物はいないはずでは? やっぱりこの世界にもいるのでしょうか? それとも彼も私のようにこの世界に来てしまったとか? 日本人に見えないこともないのですが……。
「嘘だろ……」
ぽつっと呟いたエドワードさんの目は驚愕に見開かれています。
「どうしたんですか」
「……レイちゃんはあの黒いのを知ってるかい?」
何事かと人が集まってきました。彼らは次々と驚いたような声を上げ、二人が武器を持って青い髪の男性に加勢しました。黒髪黒目の男性は三人に武器を向けられているというのに、にやにやと不気味に笑っています。
「あの人、何なんですか」
私にはさっぱりです。
「あれは、“魔人”っていうんだ」
えーっと、それは魔族みたいなものですか? あの黒髪黒目の男性は人間ではないとか?
「何で僕たち教会戦士が、ああもう僕は違うけど、魔物を相手にするはずの教会戦士がどうして人間と戦えるのか不思議に思わないかい?」
「えっ? いや、あの、全然」
強くてすごいなあ、くらいしか思っていませんでした。
「そう。まあ、それでもいいよ。手短に言うけど、あれは、魔物が人間に取り憑いたものなんだよ」
えええええ!
「魔物って人に取り憑けちゃうんですか?」
「そうらしいよ。詳しくは後で。レイちゃんは危ないから離れてて。魔法が効くかわからないから。あ、荷物よろしく」
エドワードさんとジークさんは私に荷物を預け、青い髪の男性に加勢しに行きました。
離れていろと言われたので、ここから離れましょうか。あ、あの座り込んだ女性も一緒に。彼女の所に行って声をかけてみました。
「あのー、大丈夫ですか」
女性はこくこくと頷いてゆっくりと立ち上がりました。とりあえず二人で戦闘に参加しない人が固まっている所まで行きました。
「ああ、びっくりしたわ。まさか魔人が出てくるなんて」
そこで彼女は私を見て、少し首を傾げました。
「あなたは落ち着いてるわね。あれが怖くないの?」
「一緒に旅してる人がすごく強いので」
「そうなの? でも魔人だってすっごく強いらしいじゃない。本当に大丈夫かしら?」
「大丈夫だと思います」
私はジークさんを指差してみました。
「あら! あんな人がいるのね。魔人にびっくりしてて気が付かなかったわ」
不安そうな顔をしていた女性が、少し笑顔になりました。
「あはははははは!」
急に笑い声が聞こえたので、何かと思えば黒髪黒目の人が笑っていました。笑いながら彼は槍を持つ男性に襲いかかりました。槍の男性はひょいっとかわし、黒髪がバランスを崩したところへ、青い髪の男性が剣で頭を殴りました。
「あははははハハハハ!」
頭を殴られたというのに黒髪は笑っています。今度は青い髪の男性に襲いかかりました。青い髪の男性が剣で斧を受け止めると、オレンジの髪の男性が黒髪を後ろからやっぱり剣で殴りました。
「アハハハハ! アハハハハ!」
なおも笑う黒髪をエドワードさんが蹴ってぶっ飛ばしました。ああ、ひまわりに被害が……。ぶっ飛ばされた黒髪は起き上がり、
「ハハッ……グアアアアアア!」
いきなり魔物のようになりました。黒髪はひとっ飛びでエドワードさんの所まで行き、斧を振り上げましたが、後ろからジークさんに蹴られてバランスを崩してあっさりと地面に倒れ込みました。
「あの人たちったら初めて会ったんでしょうに、息ぴったりにも思えるわねえ」
戦闘を見守っていた誰かがそう言うと、何人かが同意しました。
「本当ね。魔人が弱く思えてくるわ」
「あの五人、強いですねえ。頼もしいですよねえ」
少し前まで皆さん不安そうだったのにのんきに会話しています。
私といえば先程から少し複雑な気持ちです。どうも私にはあの黒髪が魔人などというものではなく日本人に見えてしまいます。同胞がボコボコにされているように思えるのです。今まで気付かなかったけれどたぶん、この世界に来て以来黒髪黒目を見ていなかったことが、私は寂しかったようです。旅に出る前の日と旅に出た日をぼんやりと思い出しました。
五人に殴られたり蹴られたりした黒髪は、もう笑ったり魔物のように叫んだりせず、ぐったりとしています。彼の体から黒いものが抜け出していき、髪は黒からどんどんオレンジ色になっていきます。黒いものは固まり、豹のような形になりました。豹のようなものはどう見ても魔物です。魔物はエドワードさんに真っ二つにされ、空気に溶けていきました。
「やった! 魔人を倒した!」
誰かが喜びの声を上げると、その場がわっと沸きました。よくわかりませんが、魔人というのはよほどの強敵と認識されているようです。
「すごいわ! 素晴らしいわ!」
座り込んでいた女性は大層感激しているようです。
「あなたももう少し喜びなさいな。魔人を倒したのよ」
彼女は私にそんなことを言ってきましたが、私にはいまいちすごさがわかりません。……はっ、もしかして、すごすぎるエドワードさんとジークさんと一緒にいるせいで感覚が鈍った?
「魔人ってそんなに強いんですか」
私の質問に女性は目を丸くしました。
「何言ってるのよあなた。ほらほら小さい頃をよーく思い出して。何度も何度も聞いたお話に出てきたものを」
小さい頃に聞いたお話? むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが…………いや、ちょっと待て。
「あの、私、ものすごく文化が違う所から来たので、知らないことが多いんですけど……」
女性が言いたいことは、昔話か何かの中に魔人が出てくるから思い出してみろということでしょう。ですが残念ながら私はそのような物語は知りません。
「まさか勇者を知らないの?」
「勇者が仲間と魔王を倒したことなら知ってるんですけど、細かいことは知らないです」
「あらそうなの? 世界中どこにでも広まってるんだと思ってたわ。今度一緒に旅してる人に聞くといいわよ」
そう言うと、女性は青い髪の男性に呼ばれて去っていきました。
「レイちゃーん」
あ、エドワードさんが呼んでいます。
エドワードさんたちの所まで行くと、ジークさんが黙って手を差し出してきました。きっとこれは、荷物を返せという意味でしょう。ジークさんに荷物を返すと、
「エドのも」
と言われました。何故エドワードさんの荷物までジークさんが持つというのでしょう。
「僕がこの人を担ぐからだよ」
私の疑問を読み取ったのか、エドワードさんが答えてくれました。彼は魔物に取り憑かれていた人をひょいっと担ぎ上げました。
「全然目を覚まさないから近くの村まで交代で運ぶことにしたんだ。村までそこの二人と一緒に行くことになったよ」
エドワードさんは槍の男性とオレンジの髪の男性を指しました。二人が、よろしくと挨拶してきたので、私が挨拶を返すと、槍の男性が、
「女の子がいると華があっていいよね」
なんて言いました。
ふっ、残念ながら華などないのですよ。私は妹に、「華の女子高生とは程遠い」と言われたことがあります。私自身もその通りだと思います。
「じゃあ行くか」
エドワードさんがそう言ったので私たちは歩きだしました。少ししてからオレンジの男性が、
「歩くの速いな」
と呟くと、槍の男性が同意し、
「本当に。君はよくついてこれてるね」
ついでに私のことを褒めてくれました。
「最初は大変だったんですけど、慣れました」
私が正直に答えると、エドワードさんが「もうレイちゃんったらー」と少し不満そうに言いました。
「大変だったんなら言ってくれればよかったのに」
「ついていけてるから大丈夫だと思ってました」
それに、不思議なことに筋肉痛で歩けなくなることもなかったので、まあいいかなという感じです。
筋肉痛以外にも不思議なことがあります。この世界に来てからというもの、私はもう三ヶ月も爪を切っていません。何故なら爪が伸びないから。髪の毛も伸びている様子はありません。別に困らないのでいいのですが、気になります。
「まあ!」
村に着くと、オレンジの男性に背負われている魔物に取り憑かれていた男性を見て、村のおばさんが驚きの声を上げました。
「どこにいたの? どうして寝てるの?」
「この人を知ってるんですか?」
エドワードさんがそう聞くと、
「知ってるも何も、私の息子よ。それで、どうしたの? 朝から姿が見えなくて探してたのよ」
「街道で魔物に取り憑かれていました」
エドワードさんが率直に答えると、おばさんは、信じられない! という顔をしました。
「そんなことありえないわよ! 証拠は? 証拠はあるの?」
あ、今のおばさんの発言がちょっと刑事ドラマの犯人っぽいです。刑事ドラマでは証拠はあるのかと聞く人が大抵は犯人なのだと誰かが言っていました。
「証拠ですか……残念ながらありませんね。息子さんに聞いてみるのがいいかもしれません」
エドワードさんが少しばかり悲しそうな顔でそう言うと、おばさんは申し訳なさそうな顔をしました。
「ごめんなさいね。びっくりして大声を出してしまったの。息子を連れてきてくれてありがとうね」
おばさんにお礼を言われたエドワードさんは爽やか笑顔になりました。
「当然のことをしたまでです」
おばさんの頬がぽっと赤くなりました。エドワードさんは若い人だけでなくおばさんやお婆さんにも人気です。
「うちに来ない? お礼がしたいの」
「お礼ならそこの二人にどうぞ。僕らは急いでいるので。さ、ジーク、レイちゃん、行こうか」
おばさんはとても残念そうな顔をしました。
「さて、魔人の話をしようか」
村を出ると、開口一番エドワードさんはそう言いました。
「魔人っていうのは、魔物が人間に取り憑いたもので、すごく強いって言われてる。昔の勇者もだいぶ苦戦したらしいよ。今日のは弱かったけど」
ふむふむ。
「昔の勇者が活躍してた頃は頻繁に出たらしいけど、魔王が倒された後は、五十年に一度出るか出ないかってくらいになったらしい」
それで皆さんとても驚いていたのですね。
「それでも出る時は出るから、教会戦士は人間とも戦えるようにしておくんだ。魔人は魔物と違って頭がいいし、髪の毛と目が黒いのを除けば見た目はただの人間だからね」
なるほど……って、それじゃあ黒髪黒目の私は魔人だと思われてしまうと?
「魔人の強さは人間の強さに魔物の強さを足したくらいらしい。今日のは魔物は強かったけど人間が弱かったってとこかな。昔の勇者が苦戦したのは、その頃の魔物がすごく強かったからだろうね。ただでさえ強いのに、人間の頭の良さが加わって大変だったと思うよ。ああそうだ、魔法に強い魔人が出たこともあるみたいだよ。動けなくしようとしたのに全然魔法が効かなかったんだって。でも今日のあいつには効いただろうなあ。レイちゃんに手伝ってもらえばもっと早く倒せたかもしれない」
「魔法を使える人が取り憑かれたらどうなりますか」
「魔法を使ってくる魔人になるよ。僕がよく読んでもらった絵本にも出てきた」
もし、強くて頭の良い人に強い魔物が取り憑いたら、大変なことになりそうですね。
「魔人を人に戻す方法だけど、どうすれば戻せるのかよくわかってないんだ。ボコボコにすれば戻ることが多いみたいだよ。黒髪黒目を見たら無理のない範囲ですぐに半殺しにしろって教わった」
良かった! 私の髪と目がこの世界の人に正しく見えていなくて良かった! 半殺しにされるところでした。
でも、この世界の人に正しく見えていなくて半殺しを避けられたのはいいけれど、一体何がどうして正しく見えていないのでしょうか。




