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黒いもの

 朝起きて宿の食堂に行くと、騒ぎが起こっていました。宿の経営者夫婦やその子供たち、従業員さんたちが、室内を掃除するための草のほうきでいろんなところをバシバシと叩いていて、ときどき悔しそうな声をあげています。一体何があったのでしょうか。

 従業員さんの一人が、私たち三人が入り口に突っ立っているのを見て叫びました。

「お客様! おはようごさいます! ただ今立て込んでおります! 少々お待ちください!」

 叫びながらその人は素早くお辞儀をすると、何かを見つけたのか、目をキラリと光らせ、ほうきを壁に叩きつけました。そしてその叩きつけたところを確認すると、拳を高く突き上げました。どうやら何かに成功したらしいです。

「旦那様! 一匹仕留めました!」

「そうか! その調子で頼む!」

「はい!」

 従業員さんがまたほうきを振り回し始めたちょうどその時、他のお客さんがやってきました。

「おはよう。食堂が騒がしいけど何やってるのかな」

 と、そのお客さんが言うと、エドワードさんが笑顔で答えました。

「おはようございます。どうやら魔物退治をしているみたいですよ」

「何だって!?」

 そのお客さんは盛大に驚きましたが、私も驚きました。どうしてここは首都なのに魔物がいて、しかもこの宿の食堂でほうきでバシバシと叩かれているというのでしょうか。

「小さいから人の目にとまらずに入ってきたんでしょう。ああそうだ、昨日もこの近くで小さい魔物が出て騒ぎになってましたよ」

「そうだったのかあ。全然知らなかったな」

「騒ぎと言ってもたいしたことじゃないんです。この辺りに出る魔物は弱いですからね」

「そうかそうか。ところでここにいる魔物はどんなのなんだい? 小さいせいか私には見えない」

「虫みたいなやつですよ。すばしっこいですね」

 ブン、という音が耳元で聞こえて、私は反射的に首を竦めました。どこかに蝿がいるようです。私の様子を見ていたのか、ジークさんが、どうかしたのかと尋ねてきました。

「蝿がいるみたいで……」

「ハエって何だ」

 蝿を知らないですと?

「ブンブン飛び回る虫です」

「それは蚊じゃないのか」

「違います。あっ、ほら、あれです。あの貼紙のすぐ横にとまってるの」

「……俺にはあれは魔物に見える」

「何でですか」

「黒いから」

 黒いから魔物ってどういう理屈ですか。黒い動物は全部魔物だっていうのですか。烏や蟻や黒猫はどうなるのです。黒い動物などたくさん……あ、あれ? この世界に来てから烏って見たっけ? たまにカーカー鳴いているのを聞くので、いないことはないでしょう。ですがあの真っ黒な姿を見たことはないような。

 では蟻はどうでしょうか。……青ですね。ちょうど今、どこからか入ってきた青い蟻らしきものが私の足下をひっそりと歩いています。これは本当に蟻でしょうか。ジークさんに確認してみると、やっぱり蟻でした。

 では黒猫は? 一週間ほど前に黒猫のような魔物なら見ました。ああ、そういえばエドワードさんが、ただの猫ではないのかと言った私に、「どう見ても魔物じゃないか」と言っていましたね。あれは彼が、“黒いものは魔物”と認識していたからでしょう。

「ぎゃ!?」

 突然、お客さんの一人が悲鳴を上げました。いつの間にか大勢のお客さんが食堂の入り口付近に集まっていました。誰かが悲鳴を上げた人にどうしたのか尋ねると、

「今、魔物がいた!」

 一気に辺りは騒がしくなりました。おや、貼紙の横の蝿がいなくなっています。

「お客様、お待たせしました。食堂へどうぞ。魔物はぼくらが退治しておきます」

 お客さんたちが騒いでいるところへ経営者夫婦の息子さんがやってきて、そう告げました。彼の後ろには双子ちゃんがいます。お客さんたちは、子供で大丈夫なのかという目を向けていますが、三人はそんなことはまったく気にせず、

「さあどうぞ。今日はとっても美味しい野菜が手に入りましたよ」

「でもあんまりないから早い者勝ちです」

「遅れたお詫びに値引きします」

 彼らの笑顔と言葉につられたのか、何人かが食堂に入っていきました。

「大丈夫ですよ。この辺りの魔物は弱いことは常識でしょう。今この宿にいる魔物なんか赤ちゃんでも倒せます」

 息子さんが重ねて言うと、また何人かお客さんが食堂に入りました。

 人の少なくなった廊下を見回した息子さんは先程の従業員さんに負けず劣らず目をキラリと光らせたかと思うと、疾風のように私の横をすり抜けてほうきを壁に叩きつけました。ほうきを下ろして壁を確認した彼は、よし、と頷きました。

「魔物は退治しました。さあ皆さん朝ご飯をどうぞ」



 食堂に入ると、多くの人が魔物の話をしていました。私たちのすぐそばに座る四人もそうです。

「そうそう、魔物と言えば、昨日ちょっと変わった魔物の話を聞いたよ」

「へえ。どんな?」

「すっごく綺麗な毛並みの猫みたいな魔物で、黒いけどあんまり魔物っぽくないんだって。でもちょっと攻撃したら本性を現したらしいよ」

「そんなのもいるのね」

「俺も昨日、剣買いに行ったときそんな話聞いたな。最近そういうのが増えてるらしいぜ」

「魔物も変わるもんなんだなあ。なんだかだんだん強くなってきてるし……本当に魔王が復活したりして」

「そんなのただの噂でしょ」

「噂っていえば、第二の勇者のやつと神使のやつもあるよな」

「勇者と神使ねえ……ね、あの三人どう思う?」

 何となく視線を感じました。居心地が悪いです。四人は声を小さくしました。でも不思議とはっきり聞こえてきます。

「あれ染めてるのかな」

「あんなに綺麗に染めることなんてできるかな?」

「神使って赤毛の少年ととても強い青年と一緒なんだよな?」

「そうらしいね」

「あの子が神使なのかしら……?」

 うわあ。居心地が悪くて仕方がありません。でも会話の内容が気になってしまいます。

「本当にそうだとして、神使まで赤いなんてねえ」

「そうそう、勇者の仲間に神使がいたっていう話があるんだよ」

「そうなの?」

「うん。イリムにはそういう話は何故かほとんど無いけどね。で、今思い付いたんだけど、イリムでは勇者が神使の役もしてるんじゃないかな」

「勇者兼神使ってことか? そりゃあすげーな」

 エドワードさんが小さく笑いました。彼も話を聞いているようです。

「どうして神使がいないのかなあ」

「さあねえ。他のとこが付け足したとか?」

 ここで双子ちゃんが四人に料理を運んできたので、彼らの話は料理のことに変わりました。

 彼らの会話に興味をなくした私の耳に別の席の会話が入ってきました。

「あの子、この宿を継ぐのかねえ」

「そうだろうね。あんなに生き生きと仕事してるし」

「もったいないよなあ。騎士にでもなれば出世できそうなのに」

 経営者夫婦の息子さんの話のようですね。彼が蝿、じゃなかった、魔物を仕留めた時、あの場にいた何人かが彼の動きを誉めていました。速くて無駄がなくて素晴らしいのだとか。

「ほうきを振るのが速くても、剣とか槍でも同じようにいくかな」

「でもあんなに速く走ってたし」

「宿屋の旦那にするには惜しいよなあ」

「いいんじゃないか。今日みたいに魔物が出た時にはああいうのがいれば心強いし」

「それもそうだねえ。まったく、こんな所に魔物が出るなんてどうなってんだかねえ。今まであんな魔物の話は聞いたことないし」

「魔物も進化するとか?」

 ここまで聞いたところで、もう朝食を食べ終えたのでさっさと部屋に戻ってここを発つことになりました。



 宿から出て大通りを歩いていると、カー、という烏の鳴き声が聞こえました。見上げると何かのお店の看板に緑色の鳥がとまっていました。エドワードさんにあの鳥は何かと聞くと、やっぱり烏でした。

「レイちゃんの世界にはいないのかい?」

「います。でもほとんどみんな真っ黒なんです」

 一度だけ、テレビで白いカラスを見たことがあります。あの時はとても驚きました。

「さすが異世界」

 ジークさんがぽつりと呟くと、エドワードさんが同意しました。

「黒い生き物なんて見たことないよ」

「体の一部が黒いのは?」

「うーん、そんなのいたかな? 僕は知らないな。いないと思うよ」

「そうですか」

 エドワードさん、実は体の一部が黒い生き物はあなたの隣にいて、一緒に歩いていますよ。

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