問い詰められて
翌日。
今日は国と教会から連絡が来るのを待つそうなので、字の練習をします。
昨日、エドワードさんが五十音表みたいなものを作ってくれました。ご親切なことに書き順が矢印で示されています。
エドワードさんは教師に向いているかもしれません。小学校がいいんじゃないでしょうか。あの笑顔で児童と保護者に大人気ですよきっと。
字の練習にあたって、紙はもったいないので使いません。魔法使いはよほど魔力が弱くない限り、ペンを使って空中に何か描くことができます。もちろん字も。紙もインクもいらないのでお得に書く練習ができるわけです。欠点は、ずっと杖を持っていなければならないことでしょうか。
お昼頃、戸を叩く音が聞こえました。エドワードさんが来たようです。戸を開けると、ジークさんもいました。
「そろそろお昼食べようと思って呼び……うわっ」
「どうしたんですか」
「どうしたって、レイちゃん、部屋の中が凄いことになってるけど」
「ああ、これですか。ずっと字を書いて練習してたんです。ちょっと待っててください。すぐ消します」
確かに今、部屋の中は凄いことになっています。金色の文字が空中に大量に浮いていて、少し眩しいです。私の場合、描いたものが自然に消えるまでとても時間がかかるので、消さずに放置しておいたらこんな風になってしまいました。
消すのはとても簡単です。魔方陣の一部を修正する時とは違って、手で文字を散らすようにすればいいのです。魔方陣を全部消す時も同様にします。大量に消す時はほうきやはたきがあると便利です。
二人が待っています。さっさと消してしまいましょう。
午後、魔法の勉強をしていると、またエドワードさんがやって来ました。
「そろそろ連絡が来るってジークが言ってるんだ」
二人の部屋に行くと、ジークさんが窓から身を乗り出してどこかを見ていました。何かを見つけたのか、窓から少し離れるとぽつっと言いました。
「来た」
その言葉と同時にガシッと誰かが窓枠に外から手をかけ、次の瞬間、部屋に音もなく飛び込んできて、ジークさんを見て、
「ジークー! 久しぶりー!」
思いっきりジークさんに抱きつきました!
抱きつかれたジークさんは、
「ケイ、苦しい」
と文句を言いつつ、相変わらず無表情で、でもどこか嬉しそうにしています。あっ、抱き返した!
私がポカンとしていると、また誰かが同じようにして入って来ました。その人は再会を喜ぶ二人を見て、
「十八にもなってなにやってんだ」
呆れたように言いました。
私がさらにポカーンとしていると、
「よっ、エド! 久しぶりだな! 元気そうで何よりだ」
「ケイも、相変わらず元気そうだな」
「オレは毎日元気だっ! レイも久しぶりだな! 言っただろ? また会えるって」
部屋に入って来た一人目、ブロンテさんはとびっきりの笑顔でそう言いました。
………………ええええええ!? 何故あなたがここに!? ここ三階なんですがよく入ってこられましたね? あと、そちらのよく似た男性はどなたですか?
「どうしたレイ。あ、びっくりし過ぎて声が出ないとか?」
そうです、そうです。私はこくこくと頷きました。
「そうだな、何から話すかな……あっ、そっちにいるのオレの兄ちゃんな」
あ、やっぱりお兄さんなのですね。
ブロンテさんのお兄さんは、私とエドワードさんに向き直ると、自己紹介をしました。
「ケイの兄のアーサー・ブロンテです。二人のことはケイから聞いてるよ」
あ、逆なのですね。
さあブロンテさん(弟)、何故ここにいるのか教えてください!
「オレと兄ちゃんはな、連絡係になったんだ。物資輸送係でもあるな。文書のやり取りは魔法で簡単にできるけど他の物は人が運ぶしかないから」
ふむふむ。
「でな、係になった理由は速く走れるからだ。なんだか知らないけどうちの家系はみんなそうなんだ。馬にも勝てる」
速っ。
「今日は国境までペガサスで後は走ってきたんだ。……レイ、そろそろ何か喋らないか? ていうかみんなも何か喋ってくれよ。オレばっか喋ってるのやだよ」
「今日は何の用だ」
「まさかジークが喋るとはなあ……今日は、連絡係としての挨拶と今後の活動資金を渡しに来たんだ。ほら」
ブロンテさん(弟)は何故か私にお金の入った巾着を渡してきました。私が巾着をエドワードさんに渡すと、
「金の管理って女子がするものだと思ってレイに渡したんだけど、違うのか?」
ブロンテさん(弟)は首を傾げました。
「元々はエドワードさんの旅ですからお金の管理はエドワードさんがしてます。それに、私はこの大陸のお金のことはまだよくわからないので管理なんて出来ません」
「レイ……やっと喋ったな」
しみじみと言うブロンテさん(弟)。
そんなブロンテさん(弟)にブロンテさん(兄)は、
「ケイ、せっかく親友に会えたんだからゆっくり話でもしてな。俺はグウェンへのお土産を買ってくるよ」
そう言って、窓から出ていきました。
えっちょっと待って。グウェンってまさか。
「レイ、そんな変な顔してどうした?」
「えっと、その……グウェンっていうのは愛称ですか」
「ああ。グウィネヴィアさんのことだ。兄ちゃんの恋人だな。何でそんなこと聞くんだ?」
「同じような組み合わせを知ってるんです」
なんという偶然。近くにランスロットとかモルゴースとかがいないといいですね。
「へえ。……ところでレイ。聞きたいことがあるんだ」
ブロンテさん(弟)は不意に真剣な顔になってそう言いました。
「何ですか」
「まず一つ目。エリエント司教がすっごく不思議そうにしてたぞ。ニホンは一体どうなってるんだ、って」
どうなってるんだ、って何が?
「レイにとって魔法語って母国語なんだろ? 普段から話してる言語だろ? で、昨日の報告書に書いただろ? 魔法の呪文はニホン語なら何でもいい、って。それでさ、オレもそのこと聞いて気になったんだ。なあ、レイ。ニホンって大変じゃないか?」
「どうしてですか」
「だってさ、魔法の素質があるやつがちょっと何か言っただけで魔法が発動するだろ。それって大変だし面倒だと思うんだ」
「あ、それ、僕も気になった」
エドワードさんもですか。もしかして、何も言わないけれどジークさんも?
「ニホンは魔法の事故とか事件とか多いんじゃないか? それともきっちり対策してあるのか?」
確かに、気を付けて発言しないと社会を混乱させてしまうかもしれません。私が無意識のうちに大勢の人に魔法をかけてしまったように。でもそれは、
「魔法のことなら何の心配もありません」
「何で?」
「日本で魔法が発動することはありませんから」
この世界の国ではない日本の心配することではありません。
「発動しない、って……何で?」
「さあ?」
そんなこと聞かれても困りますよ。むしろ私が聞きたいです。どうして地球には魔法がないの?
「わからないのか? じゃあ次の質問な。はぐらかすなよ? ニホンってどこにあるんだ?」
「前も言いましたけど、中国とロシアの近くです」
「もっとわかりやすく」
そう言われても……うーん……何て答えよう……。
「えーっと……韓国と北朝鮮の近くでもあって、イギリスが中心の地図だと東のはじっこにあります」
「はぐらかすなって言っただろ!」
怒られた!
「そうやってオレたちの知らない国ばっか出してくるのはわざとだろ!」
ぐっ……バレてるっ。
「お前はもっと、オレたちでもわかることが言えるはずだ! ニホンにはかなり正確な世界地図があるんだろ! お前はそれを見たことがあるんだろうが!」
「ケイ、落ち着け」
ブロンテさん(弟)をジークさんがなだめました。
なだめられたブロンテさん(弟)は、今度は静かな声で、けれど怒った顔のまま、言いました。
「何ではぐらかすんだ? そんなにニホンがどこにあるのか言いたくないのか?」
「言っても信じてもらえない気がします。……そもそも何で日本の位置を知りたいんですか」
地図にでも付け加えるつもりですか?
私の質問にブロンテさん(弟)は、
「ああそうか、言ってなかったな。お前、帰り方がわからないんだろ? いくらお前が世界中旅するからって、神の道具に関係ない所はなるべく行かない方針だろ。それでニホンに行けるかどうかはわからないよな。だからニールグがニホンへの行き方を探すんだよ。お前が役目を果たした時に故郷に帰れるように」
と、少しだけ優しい声で言いました。表情も怒りから哀れむようなものになっています。
「だからさ、オレはお前が嘘つくなんて思わないから、誤魔化さないで言ってくれ」
「本当に? 本当に信じてくれますか?」
「信じる。……ニホンはそんなに信じられない所にあるのか?」
ニールグ人にとって、異世界とは謎の生物の住まう場所です。人間がいて、文明を築いているとはこれっぽっちも考えていません。だからあまり言いたくないのです。
でもブロンテさん(弟)なら信じてくれそうな気がします。
「じゃあ、ブロンテさん括弧弟が……っあ……」
しまったあああ! ついうっかり(弟)をつけて呼んでしまったあああ!
慌てて手で口を押さえたってもう遅い。
「……確かにオレは弟だよ。でも括弧付けなくていいから。もう名前で呼んでくれ」
大変失礼しました。
「ごめんなさい。……じゃあ、ケイさんがクイズに正解できたら、ちゃんと言います」
今、私の気持ちは言う方にけっこう染まっています。クイズなんて出そうとしているのはまだ染まっていない部分のささやかな抵抗です。
「クイズって問題のことだっけ? いいぞ。やってやる」
「じゃあ問題です。私のお母さんの名前は、一、みさえ、二、みこと、三、みどり、四、みこ。さあどれでしょう」
ケイさんが日本の位置を知ることができる確立は四分の一です。四分の三の確立で知ることができないので大きな抵抗とも言えるでしょう。
「どれも馴染みのない名前だな……そうだなあ……じゃあ三番で」
「みどり、ですか? それでいいですか?」
「ああ」
四分の三の抵抗はあっさり突破されました。
「…………正解です」
「やった!」
喜ぶブロンテさん。
約束通り、異世界にあるということを言わなくてはならなくなってしまいました。
「本当に信じてくれますね? 嘘ついたら針千本飲まします」
「信じるって言ってるだろ」
「じゃあ、耳を貸してください」
「ジークとエドに聞かれたくないのか? 大事なことは一緒に旅するやつにこそ言うべきだと思うぞ」
むう……確かにエドワードさんとジークさんとは長いお付き合いになる予定です。やはり秘密というものは打ち明けておくべきでしょうか。
「エドワードさんもジークさんも信じてくれますか?」
と聞いてみると、エドワードさんは、
「信じるよ」
と言い、ジークさんはこくりと頷きました。二人がじっと見つめてきます。
恥ずかしいのでそんなに見つめないでください二人とも! ちゃんと言いますから!
「じゃあ言います。簡単に言うと、日本は異世界にあります」
思いきって言うと、エドワードさんは目を丸くしました。
ジークさんの表情はピクリともしませんでした。
ケイさんは、信じられない、と言いたげな顔で、
「い、異世界ってお前、そんなとこ人の住むとこじゃないだろ」
と、言いました。
「……信じるって言ったじゃないですか…………ケイさんの嘘つき」
半分泣きながら言うと、ケイさんは慌てて謝ってきました。
「ごめん。信じないわけじゃないんだ。びっくりしたんだよ。だから泣かないでくれよ……」
「じゃあ、信じてくれるんですね? エドワードさんはどうですか……?」
「信じるよ。いろいろと納得した」
「それは良かったです。ジークさんは……」
「……」
ジークさんは何も答えてくれません。ただ虚空を見つめています。
「ジーク、答えてやれ」
ケイさんがそう言いましたがジークさんは反応せず、しばらくしてからぽつりと呟きました。
「父さん、間違ってる」
父さんってジークさんのお父さん? 何が間違っていると?
疑問に思っていると、ケイさんの解説が入りました。
「ジークの父さんって異世界の研究してるんだ。で、ジークはそんな父さんのことを尊敬してる。尊敬する人に小さい頃から、異世界には人が住んでない、って聞かされて育ったんだ。普通の人よりずっとそう信じてきたんだ。だからレイの発言はよっぽと衝撃的だったみたいだな。良かったな。レイのこと信じてるみたいで」
なるほど。それにしても異世界の研究って面白そうです。どんなことをするのでしょう。
「ジーク、そろそろ戻ってこい」
まだジークさんが虚空を見つめているので、ケイさんはジークさんの肩を掴んでゆさゆさと揺すり始めました。
「おーい、ジークー」
ジークさんはまだ元に戻りません。
ゆさゆさがガクガクに変わってようやく戻ってきたジークさんは、
「異世界は、一つだけじゃない」
と呟きました。
私への質問が終わってからブロンテさん(兄)ことアーサーさんが帰ってくるまで、ジークさんとケイさんはとても楽しそうに会話していました。ジークさんの表情は少しも変わらなかったのに、楽しそうというのはわかりました。エドワードさんがいうには、ジークさんの声はほんの少し弾んでいたようです。
ブロンテ兄弟は暗くなる前に帰っていきました。ジークさんはそんな彼らに小さく手を振っていました。