なんとかなる。
エイミーとリヒトさんが軽く喧嘩をした結果、リヒトさんも一緒に来てくれることになりました。
そういうわけで、私たちがこれから何をどうしようとしているのか彼に説明しました。
「お前が『落ちろ』って言っても落ちないのか」
「無理みたいです」
私一人でも魔王を倒せるのかというエドワードさんの問いに、神主さんは「無理」と即答しました。つまり魔王に私の呪文だけの魔法は効かないということです。私が聖剣をうまく扱えないから、というのはたぶん違います。一度だけ木刀状態の聖剣で強めの魔物を殴ったことがありますが、一発で魔物が倒れました。あれは私でも振り回せるものです。
「みたい、って試してないのか」
「これだけ離れてると効くものも効きません」
もう少し下がってからでないと。
「痛みは届くのに?」
「さっきのは強化されてるので」
でも、やってみましょうか。
【魔王ー! 落ーちーろー!】
空に向かって力いっぱいに叫んでみましたが、魔王には何の変化もありません。
「駄目か。……あいつ飛んでるだけで何にもやらないな」
リヒトさんの言うとおり、魔王は海と砂浜の上空を飛んでいるだけで、よそに行く気配がありません。こちらの方に来たかと思えばくるりと回って引き返します。それに、何かを攻撃するようなこともありません。
「痛くて飛ぶだけで精一杯だったりして、ねっ」
地面から出てきた魔物に剣を突き立てながらエイミーがそんなことを言いました。
「んなわけ……ありそうだな……。つーか、アレ何なんだ。ごつい蛇か? 足あるっぽいけど」
魔王は何もどきか、ですね?
「龍じゃないですか」
魔物は生き物の形をしています。長くて大きくて空を飛ぶ生き物といったら龍だと思います。
ここはヨーロッパ風ファンタジー世界ですから、大きなトカゲの竜の方が“らしい”のでしょうけれど。
「何それ?」
エイミーが首をちょこっと傾げました。何気ない仕草なのにとてもかわいらしく見えました。
「想像上の生き物。水中とか地中に棲んでて、時々空飛んで風雲起こして稲妻放つの。蛇みたいな体で、足とひげと角がついてる。あ、あと耳もあったかも」
自分で言っていて気が付きましたが、今は曇っていて強い風が吹いています。それに昔は雷が鳴っていた気がします。今日もそのうちにゴロゴロいいだすのでは。
リヒトさんが顔をしかめました。
「この天気はあれのせいってことか? めんどくせえ」
こんな天気だから魔王が出た、とも考えられますが。
「それでね、顎の下に逆さに生えた鱗が一枚あって、そこ触ると怒って殺しにくる」
要するに逆鱗です。
エイミーも魔王を見上げました。
「ふうん。じゃあアーロンは逆さの鱗に矢を当てたってところかしら」
えっ、あー、そういうことだったのかなあ。
「そうだとして、どうするんだ?」
リヒトさんが言いました。
「アレ結構速いのに、凄腕弓使いも高性能弓矢もないだろ」
「聖剣と魔法があれば魔王はなんとかなるって神様のご友人が、あっ、うわっ」
飛んできた蝶か蛾もどきを避けようとして、木の根に足が引っかかって転んでしまいました。……はぁ……。
「何やってんのよ」
呆れたようなエイミーの声が頭の上から降ってきました。
「……疲れた」
情けない言葉が口からぽろりと出てきました。
そんなに運動していないのに。あの光る紙を持った時のようです。ろくに走れる気がしません。
「まあ、あんなめちゃくちゃな魔法使えばね。でも、それを言うにはまだ早いわ」
「……うん」
エイミーの言うとおりです。魔王にはもっともっと下がってもらわないと。
それぞれの仲間を探しつつ浜辺の方へと移動していると、突然エイミーの足が止まりました。そして、
「マーシャ!」
と誰かの名前を叫んで浜辺とは違う方へ彼女は走り出しました。
エイミーの後を追っていくと、木の幹にもたれて座る少女がいて、その横に、
「にゃあ」
のんきに鳴く白猫もいました。シロちゃんです。
少女にも見覚えがあります。エイミーの仲間で間違いないでしょう。
シロちゃんがぴょーんと跳んで、リヒトさんの頭に乗りました。
「無事だったか」
「にゃー」
リヒトさんにはシロちゃんを嫌がる様子が全くありません。むしろ少し嬉しそうです。
「……でね、それが共食いしてさ~、強くて困ったよ~」
エイミーに自分の状況を説明しながら、少女は自身の足首の辺りをさすりました。
「なんとか倒せたけど、もう痛くて痛くてさ~。まともに歩けないの~」
エイミーが私を見ました。
何も言わなくても結構。やりますよ。
「痛いの飛ばしますね」
「え~? 何~?」
詳しいことは後で。
【痛いの痛いの、飛んでけーっ!】
痛みを飛ばすと、魔王は今度は海老のように体を丸めて下がってきました。リヒトさんの時より持ち直すまでの時間が短かったものの、下がる速度が速いように見えました。
そろそろ魔法陣から出るものが届きそうです。
動けない人を一人にするわけにはいかないので、エイミーは彼女の仲間と行動することになり、私たちとは別れました。
林を抜けてすぐにデュークさんを見つけました。彼はまるで砂浜の掃除でもしているかのように魔物を薙払っていました。
「ありゃ期待できないぞ」
というリヒトさんの言葉のとおり、デュークさんは右の手の甲を軽く引っかかれただけでした。話をしてみたところ、「少し痛い」と言ったので彼の痛みを飛ばしてみましたが、魔王の動きが一瞬鈍くなってそれでおしまいでした。
余裕そうに飛んじゃって。まったくもう。
「見てもらいたいものがあるんだが」
はい?
視線を魔王からデュークさんに戻すと、彼の手には小さな箱が乗っていました。
その箱には、子供向けのアニメのキャラクターと「ばんそうこう」という大きな文字、そして実物の写真が印刷されています。
無表情な静かな青年に、子供向けの元気いっぱいなパッケージ。似合いません。持っているだけならいいですが、使うとなると……。
「ふふっ」
思わず少し笑ってしまったら、デュークさんの眉がわずかにひそめられました。大変失礼しました。
「ごめんなさい。それ子供用なので……」
鞄から絆創膏を出しました。
「使うならこっちどうぞ」
デュークさんは私から絆創膏を受け取り……それを見つめたまま何もしません。
……もしや使い方がわからない? というかそもそも何に使う物かも知らないのでは。箱は未開封のようですし、絵からではわからないでしょうし。
絆創膏がどういうものかを簡単に説明して、ついでに彼の手の甲に貼らせてもらいました。
手の甲の絆創膏と絆創膏の箱を見つめ、デュークさんはギリギリ聞こえるくらいの声で言いました。
「……神の道具としてもらったんだが」
それで、私に見てもらいたい、と。
「……この絵で、ですか」
「渡された時、ふざけているのかと思った」
違うだろうと思いつつも、もしかしたら……と考えたのでしょう。
「そう言えないこともないですけど」
この世界に無い物、向こうの世界から私たちと一緒に来た物を、神の道具とするならば。まあ、人間の道具ですが。それもきっと、私のための。まだ妹と弟がいない時でしたから。
「……そうか」
「あると便利なので持ち歩くといいと思います」
デュークさんの視線がリヒトさんに移りました。
「いらん。……ん?」
リヒトさんが空を見上げました。
私の手にポツリと当たるものがありました。雨です。
空を見上げたら、すっかり灰色になっていました。そして、たくさんの魔物がこちらに飛んできていることにも気が付きました。
デュークさんが魔法陣を描き始めました。
「お前、さっさと行け。あそこの塊がそうだろ」
リヒトさんが指さした方には魔物が密集していました。
「はい。ここまでありがとうございました」
私も仲間と合流できそうです。
魔物をどかして動けなくすることを繰り返していくと、探していた二人の姿が見えました。
「エドワードさん! ジークさん!」
名前を呼ぶと、
「レイちゃん!」
「具合はいいのか」
二人ともこちらまで走ってきて、私の心配までしてくれました。
「はい。大丈夫です」
少し、いえ、結構疲れていますが、具合が悪いわけではありません。
それよりジークさんの方が心配です。額と頬と肩と腕と……あちこち怪我をしているようです。エドワードさんにはちっとも傷が見られないので、余計に深刻に思えてしまいます。
そんなわけでまずジークさんの痛みを飛ばし、それから私がここに来るまでにやってきたことと、逆鱗の話をしました。
話を聞いたエドワードさんは、あごに手を当てて言いました。
「触られて怒るってことは、弱点かもしれないね」
逆鱗が弱点……そういえばそんな小説もありました。魔王もそうだといいのですが。
「エド」
「うん?」
ジークさんがエドワードさんに抜き身の聖剣を差し出しました。
「適当でもなんとかなる」
「……ここまでずっとジークが持ってきて、僕?」
「エドが勇者だ」
ジークさんがきっぱり言うと、
「わかった」
エドワードさんは頷いて剣を鞘にしまい、聖剣を受け取りました。
勇者の準備は万端です。
林の木々のそばに移動してきました。魔王が下がってきたらすぐに木の陰に隠れるためです。私に魔王の相手などできるはずがありませんから。
まず魔王が呪文だけの魔法ではどうにもならないことを確認しました。それから水とか炎とか飛ばしてみましたが、全然当たりません。
魔王は大木のように太くて長いのですが、その大きさのわりに素早い動きができます。ただビュンビュンと飛び回るだけでなく、何かが当たりそうになれば体を縮めて回避することもあります。
むう、動く的に当てる練習をもっとするべきでした。
面倒なことに、的だけでなく障害物も動いています。
空を飛ぶ魔物は魔王だけではありません。ガアガアうるさいカラスもどきとか、見た目のわりに凶暴な翼付きうさぎもどきとか、いろいろ飛んでいるのですが、これらが邪魔で仕方がありません。日本語で「邪魔をするな」と言っても私が魔法陣に意識を向けた途端にまた飛んできますし、「落ちろ」と言っても一回地面に激突する程度では消えません。
これでは無駄に疲れるだけです。どうしましょう。ああもう、魔法に追尾機能でもついていたら…………あ!
良さそうな案が浮かびました。どうして今まで思いつかなかったのでしょう。
とりあえず実行です。
魔物たちに魔法をかけることに変わりはありません。
【魔王の逆鱗を触りにいけ!】
魔物たちは一斉に魔王の方へ飛んでいきました。しかし遅くて駄目なようです。魔王との距離が縮まりません。
もっと速いのでないと……そうだ、共食いをさせましょう。魔王に追いつけないのなら、追いつけるように変えてしまえばいいのです。
鷲っぽいのが速いのであれを強くするとします。
とりあえず元の魔物の三倍くらいの大きさにさせてみました。強そうですが、速さはどうでしょうか。
【魔王の逆鱗を触ってこい!】
ついでに先程と少しだけ呪文を変えてみました。
巨大鷲もどきは魔王の元へと一直線に飛んでいき、魔王も鷲もどきもどちらも真っ黒なので鷲もどきの姿が見えなくなり、そして、
「グオオオオオオオオ!」
魔王が咆哮しました。怒ったようです。
引き返す巨大鷲を魔王が追いかけ、追いつくとパクリと食べてしまいました。そして、巨大鷲の進行方向にいた私を認識したのがわかりました。
そうだよ、私がけしかけたんだよ!
転びそうになりながらも、ジークさんに腕を引っ張ってもらってなんとか木の後ろに隠れました。
地面すれすれまで下がってきた魔王のひげの一本を、エドワードさんが斬りました。
魔王は標的を私からエドワードさんに切り替えたようです。
土砂降りの中、エドワードさんが魔王と戦い、私とジークさんはエドワードさんの邪魔になりそうな魔物を排除していきます。
エドワードさんは、突っ込んでくる魔王をギリギリで避けては聖剣で斬りつけます。
魔王はひげを斬り落とされ、目を潰され、逆鱗を攻撃されていますがあまり弱った様子は見られません。
そうこうしているうちに林の奥からエイミーが颯爽と姿を現しました。
「どきなさい!」
エドワードさんの前に立った彼女は、
「てりゃあああっ!」
突っ込んでくる魔王に向かって抜き身の竹刀をぶん投げました。竹刀は大きく開いていた魔王の口の中に消えました。
「グギャアアアア!」
魔王は失速し、気が狂ったかのように尻尾をバシバシ地面に打ち付けました。竹刀の刃が体の中を傷つけたのでしょうか。
雷が鳴って一際強い風が吹き、私はよろけて頭を何かにぶつけました。木でしょうか。痛いです。くらくらします。でもこれ飛ばさなきゃ。
エドワードさんもエイミーも魔王から離れたところを見計らって、痛みを飛ばしてみました。
「ガギャアアアア! ギャアアアアアア!」
魔王が叫んでどこかに雷が落ちました。
海からの突風にジークさんがいろんな魔物と一緒に飛ばされてきました。モコモコした魔物がクッションになって、ジークさんが木などに体を強く打つことはありませんでした。
ジークさんは即座に地面にしっかりと立ち、クッションになった魔物を斬りました。
「大丈夫ですかジークさんっ」
「木の葉の気分だった」
のんきですね! 大丈夫そうですね!
「レイこそ大丈夫か」
「頭ぶちましたけど、無傷です」
ただ、もう元気がありません。基本的に木の下にいましたが、それでも雨でびしょ濡れです。寒いです。手が震えて魔法陣がうまく描けません。こうなったら呪文だけでどうにかするしかありません。頑丈で魔法に強い魔物に対しては非効率的ですが、何もできないよりずっとましです。
私を見つけて襲ってくるものや誰かを襲う魔物の動きを止めたり自滅させたりしていると、
「ガアアアアアアアアッ!」
一層怒ったらしい魔王の咆哮が聞こえました。
何があったのか確認する前に、私はまた突風で立っていられなくなりました。どこかぶつけるかと思いましたが、ジークさんが腕を掴んで横に引いてくれたので彼と一緒に倒れただけで済みました。
体を起こして海の方を見ると、何がどうなったのか、魔王が地面にひっくり返っていて、そこにエドワードさんが飛び乗りました。
【動くなああああああああっ!】
エドワードさんが日本語で叫びました! 魔法です!
魔王の動きがピタリと止まりました。
そして、聖剣の刃が魔王のあごの辺りに突き刺さり、途端に魔王は暴れました。でもエドワードさんは振り落とされません。聖剣に掴まって耐えています。
きっと今、魔王は相当弱っています。効かなかったものが効くかもしれません。
【おとなしくエドワードさんに刺されてろ!】
思いついた言葉をそのまま魔王に向かって叫んだだけですが効きました。
魔王の動きが鈍り、エドワードさんはさらに深く聖剣を刺し込みました。
「グガアアアアアアアア!」
また魔王が叫びました。それは断末魔の叫びに聞こえました。
急に雨風が弱まりました。
エドワードさんが聖剣を引っこ抜き、動かない魔王の体から飛び降りました。
魔王が、空気に溶けていきます。
エドワードさんの、勇者の勝ちです!
ふと辺りを見回すと、動いている魔物がどこにもいませんでした。王様が倒れるとみんないなくなるものなのでしょうか。それとも、私たちは気が付かないうちに全部の魔物を倒していたのでしょうか。
「行こう」
ジークさんの手が差し出されました。
「はい」
エドワードさんに何て言いましょうか。
私とジークさんは、エドワードさんを挟んで立ってみました。私がエドワードさんの左で、ジークさんが右です。
「エド」
ジークさんが名前を呼んで、エドワードさんに聖剣の鞘を差し出しました。
聖剣を鞘にしまったエドワードさんに、
「アンタ魔法が使えたのね」
という言葉がかけられました。エイミーです。
エドワードさんはエイミーに、爽やか好青年の笑顔を向けました。
「君は大胆なことしたね。助かったよ、ありがとう」
それから私に言いました。
「ね、僕ちゃんと魔法の呪文覚えてたよ」
「はい。お上手でした! さすがです!」
「何度も聞いてれば、ね。でも嬉しいな」
自分から得意げに言ってきたというのに、エドワードさんは照れたようでした。
消えていく魔王を見つめているうちに、雨がやんで風はそよ風程度になり、さらに晴れてきました。お日様あったかいなー。
「にゃー」
かわいい鳴き声が聞こえて、シロちゃんがエドワードさんの足下に来ました。シロちゃんを追いかけるようにしてデュークさんとリヒトさんも私たちのそばまで来ました。
みんな何も言わずに魔王だったものを見つめていると、
「よく頑張ったな」
若い男性の声が聞こえました。この声は……!
慌てて振り向くと私たちから少し離れた位置に、いつの間にか神様が立っていました。相変わらずフードで顔が見えません。
「え、だ、誰? いや、わかるけど、誰?」
困惑するエドワードさんに、
「神様」
ジークさんが短く答えました。
「やっぱり?」
突然のことに驚いたり対応に困ったりしている人間たちをよそにシロちゃんが神様に寄っていきました。
「にゃー」
「おうおう、シロ。ご苦労ご苦労」
神様はシロちゃんを抱き上げて撫でました。
洞窟でリヒトさんがシロちゃんのことを「ただの猫じゃないだろ」と言っていましたが、どうやら本当にそのようです。
神様にたくさん撫でてもらって満足したらしいシロちゃんは、するりと神様の腕から抜け出してデュークさんの元へ行き、彼の足下にちょこんと座りました。
「あの、何でしょうか」
とりあえず神様に今回の用事を聞いてみました。
「いろいろ話そうと思ってな」
そう言って神様はフードを取りました。
あ――