結婚式:控室-2
☆
「あっはっはっは……」
おかしくてたまらない笑いと共に、ソウマは新婦の控え室をノックした。
いくら支度が済んだからとは言え、彼は女性の園に無粋に立ち入るような男ではないのだ。
たったいま。
その無粋男を、からかってきたばかりだった。
こんなにおかしいことはない。
そりゃあもう、予想以上の反応だった。
見事に報復は食らったものの、ここまで笑わせてくれたのだ。
チャラにするよりも、ソウマの方がお釣りを払いたいくらいである。
さてさて、誓いのキスが見物だ。
あの忠告を聞いて軽く済ませることが出来るか、新婦の可愛さに吹っ飛んで人前で自爆するか―― どっちにしろ、ソウマに幸せを振りまいてくれることだけは間違いなかった。
あの男が、そつなく人前の誓いのキスをこなせるとは、到底思えなかったからだ。
「何を笑ってるの…?」
クスクス笑いの声で、控え室の扉が開く。
誰あろう、彼の妻だ。
薄青いドレス姿で、一段と綺麗になっている。
身体の関係上、締め付けないデザインだが、とても妊婦に見えなかった。
このままもう一度、式を挙げたいくらいである。
その気持ちをこめて、軽く頬に挨拶のキスをした。
しかし、2回目になる彼らは、今日は遠慮すべきだ。
ちらりと奥の方を見やると、ヴェールを深くかぶって椅子に腰掛けている新婦の姿があった。
顔ははっきりとこの距離では見えないが、その全体的な姿を見るだけで、思わず口笛を漏らしそうになる。
この瞬間の女性だけは、かなり特別な存在に見えるものだ。
勿論、それは自制した。
彼女に向かって、そんな安っぽい反応をしただけで、呪いそうな男を知っていたのである。
今頃、教会の中でイライラしているに違いないのだ。
そんな、今日の主賓に声をかけようとするより先に。
「まあ!」
ハルコが、驚いた声をあげた。
何事かと思って、彼女の方を見ると―― 驚きの後に、おかしくてしょうがないという顔になって。
「また、カイトくんをからかったわね」
妻は、お見通しと言うわけだ。
一体、どんな証拠が残っているかと思いきや、パンパンとソウマの背中を叩きだした。
「くっきり残ってるわよ…27センチの足形が」
まったくもう。
苦笑混じりに、かなりしつこく背中をはたかれた、ということは、予想以上の足形だったワケだ。
身長は違うのに、ソウマと同じ足のサイズというところが、生意気なカイトらしかった。
「いや…まあ、その…」
詳しい経過は、家に帰ってゆっくり話してやろうと思っていた。
挙式前の新婦に、大きな声で聞かせる内容ではないからだ。
『蹴られない程度にからかう術を知っているくせに、いつもギリギリまで踏み込んでいくのが、あなたの悪いクセよ』
カイトに、予定よりも大きな反撃を食らってしまった時は、いつもそういう言葉でたしなめられる。
しかし、このギリギリがやめられないのだ。
ブルドックのつながれている鎖の半径に、どこまで近づけるか。
そんな、子供時代の名残だろうか。
ソウマの中にも、まだまだ子供じみた感性が残っているようである。
いや。
まだ子供時代の方が、やっていることはおとなしかったような気がする。
何でもそつなくこなすのが、自分の対外的なスタイルで、無意識にそれを保持しようとし続けてきたのだ。
ソウマの中にも、自分が求める『かっこいい男』、というデザインは存在するのである。
それを求めているうちに、こんな男になっていたのだ。
いろんなことが、かなり自分でコントロールできるようになっていた。
それは、人生を楽しめる大きな力ではあったのだが、それだけでは、本当に自分の望む男ではないような気がしていた。
対外的な女性には、『優しい人』のレッテル程度でも全然オーケィだったが、この妻にだけは、いつまでも『男』と思われていたいのだ。
彼の頭の中で、妻が占める割合が上がりそうになった瞬間、猛犬注意の看板の陰からブルドッグが飛び出してきて、物凄い勢いで吠えたてた。
いまも、きっとまだカッカしているに違いない男の顔が、頭をよぎったのである。
可愛いブルドッグだったな。
さっきのカイトの様子を思い出してしまい、また笑いがこみあげてきた。
が、いつまでもこうして、のんびりしているワケにはいかなかった。
他の誰より我慢の効かない男で、あんまり待たせると教会内で騒動を起こしかねなかった。
ストッパーの役目であるソウマが、こんなところにいるのである。
周囲の人間は、さぞや取り押さえるのに苦労するに違いない。
「さて」
もう一度、乱れてもいない襟を正す。
今日の彼は、新婦の父親代理なのだ。
彼女の父親は、もうこの世には存在しない。
知らない相手ではあるけれども、ここはその人に向かって敬意と、ほんの少しの間だけ、大事にお預かりするという気持ちをしっかりと胸に抱えて。
「行こうか」
ソウマが新婦に近づくと、ヴェールがこくりと上下に動いた。
ハルコが、椅子から立ち上がる手伝いをしにいく。
裾や足元を、もう一度確認するように動かして。
「すごく、綺麗よ…だから心配しないで」
下からヴェールの中を覗き込むようにしながら、励ましの言葉をかける。
ということは、彼女はかなり緊張しているということか。
その上、慣れない格好と慣れない靴と―― 女性は大変だ。
男の身綺麗など、知れたものだと思った。
「は…い…」
震える声で、何とか返事をしましたというカンジで。
見事な緊張さ加減だ。
リハーサルの時も、緊張していたのは分かっていた。
腕を貸すものの、ぎこちない動きで横を歩いてくるので精一杯という様子だった。
やはり、式の前にちょっとでも、カイトと会わせておいた方がよかったのだろうか。
コホン、と一つ咳払いをして。
「大丈夫だ…カイトの顔を見たら、落ち着くさ」
そうして、彼女に腕を差し出した。
ハルコ公認の、短時間レンタルである。
白い手袋に包まれた指が、こわごわ触れてきて。
そのまま、気をつけてエスコートする。
視線の端で、ハルコにアイコンタクトを忘れなかった。
小さな歩幅で、ゆっくりと歩き出す。
彼女が動くたびに、ドレスがふわりふわりとソウマにぶつかってきた。
カイトが、うっかり裾を踏んづけたりしないかが心配だった。
おっと。
いつまでも、ニヤニヤしているワケには行かない。
控え室を出ると、フラワーガールの女の子が、寒そうにぴょんぴょん跳ねていた。
花嫁さんを発見するなり、更に興奮してしまったようだ。
その子の母親が、子供の溢れるパワーを押さえ込むので大変そうだった。
しかし、小さなレディは、綺麗な花嫁をすぐ側まで連れていくと、不意にしおらしくなってしまった。
きっとこの子の頭の中に、『花嫁さん』へのあこがれを、くっきり焼き付けたに違いなかった。
ちょっと遠巻きにしているのは、リングベアラーの男の子。
ソウマが預かっていたリングは、既に渡してある。
そんな大事なものを預かったまま、落ち着かなそうに―― しかし、その目はフラワーガールを見ていた。
けれども、声をかけられない様子だ。
いずこも同じ、というところか。
どこにでも、そういう性格の人間はいるものだ。
「それじゃあ…」
最初に、ハルコが教会の中に案内される。
可愛いフラワーガールと、リングベアラーも一緒だ。
これだけでも、きっと聖堂はぱっと明るく花が咲いたようになるに違いない。
そうして、席にいる関係者は、次に入ってくる彼らを待つのだ。
ちらりと、新婦を見やった。
うつむいている上にヴェールなので、余計に様子が分からないが、ぎゅっと捕まっている指先に力が入ったのは感じた。
カイトに殺されそうだ、と思うと、またおかしくなったが、ぐぐっと顔をひきしめる。
教会の中で、進行の声が聞こえる。
生演奏の、結婚行進曲つきだ。
さて。
カイトにとっての、大事な大事な花嫁である。
きっとこれを逃せば、あの男は一生幸せにはなれないだろう。
男1人の人生を考えて、ソウマは慎重な一歩を踏み出したのだった。




