02/12 Sat.-3
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「ほぉら、綺麗になったでしょ?」
手鏡を持たされる。
おそるおそる、その中を覗き込むと、自分を見ている人がいた。
白い肌。
まつげが、長く感じるのはマスカラのせいか。
色づいた頬に、瞼の色。
こんなに、しっかりメイクしてもらったのは、これが初めてだった。
いや、一度だけあったけれども―― あの時のメイクとは、基本から何もかもが違っている。
メイが、メイとしてそこにいるのだ。
他の誰でもなく、自分のありのままを使った化粧である。
でも、やぼったいカンジは全然なかった。
眉まで、綺麗に整えられたせいか。
驚きながら軽く目を見開くと、鏡の中の女性も同じようにした。
間違いなく、そこにいるのは自分だった。
いつもよりも、髪がくるくるで。
式のリハーサルに行くというよりは、これからどこかのパーティにつれていかれるような気がする。
「はい、立って」
肩のケープが取られ、満足げなハルコに促された。
椅子から立ち上がるが、この部屋には全身を映す鏡はない。
だから、あの黄緑のドレスの上にくっついた自分のこの顔、というのが全然想像できなかった。
「外は寒いから、ちゃんとコートを着てね…新婦さんにカゼをひかせては大変だわ」
クローゼットから必要そうなものは、この客間の方に持ってきている。
ハルコは、本当に気の利く人で、アクセサリまで持参してくれていた。
ただ、コートだけは向こうの部屋に忘れてきていた。
取ってこなければならない。
嬉しい恥ずかしい気持ちが、胸の中でダンスを踊る。
一番気がかりなのは、この顔や姿を見て、カイトがどんな風に思うだろうか、ということだった。
「さて…新郎くんの方の準備は出来たかしら」
にこにこしている彼女と、一緒にその部屋を出る。
すると。
バタン!!!
ちょっと先のカイトの部屋―― いまは2人の部屋のドアが、勢いよく開いたのだ。
「クソッ!」
怒り心頭というカンジのカイトが、背広の上着を振り回すように掴んで飛び出してきたのである。
結びかけまでできあがった、ネクタイのしっぽが、空中で踊る。
さも忌々しそうに、カイトはそのネクタイを解いた。
ただの、一本の紐の状態にしてしまったのだ。
「まあまあ、そう怒るな」
後ろから、宥めるようなソウマの声がついてくる。
「てめ…っ!!!」
更に後方に向かって、罵声の限りを尽くそうとしていたカイトの視線が、ぱっと廊下の彼女たちの方を向く。
慌てて、目をそらしてしまった。
だって恥ずかしいし!
自分に言い訳をする。
このドレスで恥ずかしいというのなら、本番のウェディングドレスはどうするのか。
まだ、着たところをカイトに見せていないのだ。
「あら、ちゃんと着替えたのね…ふふふっ、並ぶとお似合いよ、きっと」
そんな、メイの気持ちを知らないメイドオブオーナーに追い立てられて、カイトの横まで連れていかれてしまう。
押し出されるように、突っ立ったままの彼の側に置かれる。
じっと、カイトが自分を見ているのが分かった。
コートなしでは寒い出で立ちをしているというのに、身体がその視線のせいで、火が出たみたいに熱くなった。
「ちょっと待っててね、コートを取ってくるから」
そうして二人を置いて、ハルコが部屋に入ってしまう。
ソウマは、まだ部屋の中にいたが、何故かドアまで閉ざされてしまった。
あっ。
いきなり出来た、どう考えても不自然な二人きりという環境に、メイは戸惑ってしまった。
まるで高校時代、二人をくっつけるために、無理矢理周囲が気を利かせたみたいな―― 人為的な状態。
しかし、彼らは高校生ではないし。
改めてくっつく必要もなかったのに。
うまく顔を上げることが出来なくて、ただカイトのそばに立っているだけだった。
でも、彼の視線は刺さるほど降ってきて。
ついに、耐えられなくなってしまった。
「カッ、カイト…」
勇気をこめて顎をあげる。
そうしたら、彼の方が視線をそらしてしまった。
余計に、言葉がしゃべれない空気ができあがってしまって、二人押し黙ったが、幸いメイには仕事が一つ残っていた。
彼のネクタイだ。
さっき途中まで結んであったのは、一体何だったのだろう。
ちょっと疑問には思ったが、それでも、これだけは自分の仕事として取っておいて欲しかった。
きれいにワイシャツの襟を整えて、ネクタイを結ぶ。
ガチャ。
静かに、部屋の扉が開く。
二人きりが、終わりになったのだ。
お待たせ、というような瞳で、ハルコがコートを渡してくれる。
メイは、それに袖を通した。
今度は、ソウマも出てきて。
しかし、視線はカイトの方に注がれていた―― 何か言いたげな、少しうろんな瞳をしていたけれども、どういう翻訳をしていいのかは分からなかった。
「それじゃあ、私たちの車で行きましょうね」
ハルコの言葉で、廊下の一団はようやく目的地に向かい始めた。
目の前を歩くソウマ夫婦は、ごく自然に腕を組んだ。
それは、ハルコが妊婦であるためなのかもしれないが、あまりに自然で。
ちょっとうらやましかった。
うらやましいなら。
メイの、心の中のもう一人がささやきかける。
うらやましいなら、自分もすればいいのよ。
階段。
うらやましいなら――
いいの、かな?
彼女は、そっと右手を伸ばした。
背広の上着を着ないままの、ワイシャツの左腕にそっと指先を触れさせる。
彼の視線が、ぱっと向けられた。
それに驚いて、引っ込めようとしたら。
カイトの腕が伸びて、引っ張られる。
そして。
ソウマ夫婦たちと、同じみたいになった。
べったりくっつくような腕の組み方じゃなくって、そっと預けるような。
嬉しい。
一歩、また前に進めたような気がした。
こんなささいなことでも、メイは喜んでしまうのだ。
ただ歩いているだけなのに、カイトの体温が手のひらを伝わってくる。
ワイシャツ姿なのだから、なおさらはっきりとそれが分かった。
「しかし……」
前を歩くソウマが、足を止めないまま、ちらと後ろを振り返った。
瞬間、カイトが怒ったように毛を逆立てた。
実際に逆立つワケはないのだが、触れている彼女には、そんな風な感触が伝わってきたのだ。
腕が、ふりほどかれたりはしなかったけれども。
「ああいう時は、『綺麗だ』くらいは言ってやるもんだぞ」
まったくおまえは、女心を分かってないな。
半目で苦笑された結果、ますますカイトの感触が怒りに変わったのが分かった。
「盗み聞きしてんじゃねー!!!」
彼が足を振り上げようとするのを、メイは慌てて止めなければならなかった。




