02/12 Sat.-1
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メイの様子がおかしかった。
土曜日の朝―― カイトが、白いセーターを着ている時だ。
土曜日は、会社は休みだった。
しかし、納期前には、休日も祝日も親の死に目もない。
本当ならば、カイトは家に帰ってくる暇などなかった。
明日が、納期なのだ。
親の死に目はダメでも、結婚式ならいいのか。
しかも、最終事前リハーサルとやらのために、彼は会社に行くことを禁止されてしまったのである。
ソウマの手回しのいいことに、すでにチーフに話が回してあって。
『明日と明後日は、こっちのことは気にしないでください』
と、昨日言われてしまったのだ。
フザケんな!
確かにここまでくれば、カイトの噛む噛まないは関係ないのかもしれない。
しかし、このプロジェクトに、彼は最初から足を突っ込んでいるのだ。
社長という仕事の関係上、すべての工程に関わるワケには行かなかったが、それでも関わった人間としての責任とか何とかくらい、カイトだって知っているのだ。
だから、そのリハーサルとやらが終わったら、また会社に行くつもりだった。
メイと一緒にいたいのはヤマヤマだが、それで仕事をおろそかにしていると、思われたくなかったのだ。
自分のプライドもあったし、彼女の評価を落とすような気もする。
そんなことを考えていた朝食時間。
メイが、いつになくソワソワして。
地に足が、ついていないというカンジだ。
彼女がお皿を割るところなど、初めて見た―― 朝食の時の出来事だ。
「あっ、ご、ごめんなさい」
大慌てで、割れた破片の中に手を突っ込もうとしたので、思わずカイトは。
「すんな!」
怒鳴ってしまっていた。
ビクッと、破片に触れる寸前で手が止まる。
怒ったのではない。
カイトだって慌てたのだ。
丸くて無害だった陶器とは言え、いまはむき出しの剣山のようなものである。
怪我をするかもしれないのだ。
「あ、でも…片づけないと」
オロオロと、足元の破片とカイトの顔を見比べる。
何で禁止されたのか、全然理由が分かっていないのだ。
「ホウキ、どこだ」
彼女の方に近寄る。そして、素手以外で片づける方法を示唆した。
あっとメイも気づいたらしく、パタパタと調理場の方に駆け込んだ。
「きゃあっ!」
ガラガッシャーン!
今度は、調理場の方から悲鳴と、いろんなものが落ちる音が聞こえるではないか。
慌てて剣山を飛び越えて駆けつけると、金属のボウルやらフライパンやらが、床に散乱していた。
勢い余って、そこらにぶつかったらしい。
そして、本人は頭を押さえて座り込んでいた。
最後まで、カランカランと回り続けていたボウルが、その光景の中でようやく止まる。
それが、頭にぶつかったのか。
「あは…私ってドジだから…あの…痛くないの、全然」
最初はそのまま座り込んでいたメイだったが、彼に見られていると分かるや、真っ赤になっていきなり立ち上がる。
ぱたぱたと服のホコリをはたく。
そして、散らばった道具を片づけようとするのだ。
その身体を。
カイトは、押しとどめた。
分かりやすく言えば、おなかに腕を回して引っ張り戻したのだ。
「え?」
足を浮かすように持ち上げて、彼は―― 流しの横に座らせた。
彼女の足が、ぷらんとぶらさがってしまう高さ。
「座ってろ」
流しの上のメイに、間近から釘を刺す。
このまま、次から次へと激突されてはたまらなかったのだ。
家具とか物に対しての心配など、一切していない。
しているのは、彼女の身体の方だ。
いまは、大したことは起きていないが、何かあったらどうするのか。
今度、上から降ってくるのは、ボウルではなく包丁かもしれないのだ。
そんな想像をするだけで、彼の心臓は縮み上がる。
飢えたライオンの檻の中に、カイト一人で放り込まれた方が、よっぽどマシだった。
「え、でも!」
降りようとする身体を、押しとどめる。
「座ってろ」
今度は、もう少し強い口調で言った。
その気配に押されたのか、彼女はようやく動きを止めたのだ。
ガラン、ガラン。
カイトは、大中小のボウルを拾い上げ、そのまま全部重ねて上に置く。
フライパンも。
洗うとか、系統だてるとか、元あった場所に戻すとか、そういうことまで気が回らなかった。
とりあえず、上の方にあげていればいいと思ったのだ。
そして、すぐ近くにあったホウキとチリトリを掴むと、皿の片づけに向かう。
「カイト……」
シューンと。
すっかり、しょげてしまったメイが、まるで懇願するように彼を呼んだ。
何で。そんな子犬のように、不安そうな顔をするのか。
「いい」
気にするなと言いたかったのだが、彼の口はそこまで動かなかった。
メイを流しの横に置いたまま、カイトはさっさと破片を片づけた。
そして、全部が終わって。
改めて、流しのところに帰ってくる。
「ごめんなさい……すごく、落ち着かなくって」
目の前にカイトが立つと、申し訳なさそうに耳を伏せて、彼女はぽつりと呟いた。
一体、どうしてそんなに落ち着かないというのか。
いつもの朝のはずだが、気になることでもあるのだろうか。
「だって、結婚式がすぐそこで…今日、リハーサルだし…」
いろんなことが、頭の中に渦巻いているのか。
言葉は、最後まで全部続けられることはなく、断片的な情報だけをカイトに投げて寄越す。
しかし、それで十分だった。
メイは。
今から緊張しているのだ。
「別に…何が変わるワケでもねぇ」
二人が夫婦であることは、神とやらが認めなくても事実だし、ずっと一緒に暮らしていくことに間違いなかった。
カイトにしてみれば、必要のない行事だったのだ。
「だって!」
しかし、彼女にとっては違う意味を持つのだ。
強い口調の声が、それを明らかにしていた。
「だって! 結婚式の花嫁になるなんて…これが初めてだし。ウェディングドレスを着るのも初めてだし……」
当たり前のことを、まだ緊張した唇で並べ始める。
どれも初めてで、何の問題があるのか。
それよりも、今更『実は結婚歴があるの』と言われようものなら、彼の方が卒倒してしまうだろう。
だが、メイの表情は真剣だった。
真面目に、緊張しているのだ。
「だってだって……一生に一度だし……」
緊張しちゃう。
カイトと。
考えれば考えるほど、彼女は緊張のワナの中に落ちていき、網の中に閉じこめられたままあがいているのだ。
一生に一度。
彼女の唇から出た言葉は、本人にしてみれば、自然と口からこぼれ落ちたものなのだろうが、カイトへの影響力は大きかった。
メイから、『一生、添い遂げたい』と言われているも同然だった。
結婚するのだから、それが大前提なのだが、やはり言葉にされると、胸にズシンと来る。
ストレートな言葉じゃないだけに、尚更、真実のカタマリのような気がするのだ。
そんなカタマリをかじらされてしまうと、カイトにまで彼女の気持ちが伝染してしまう。
うっ、と身体が固まりそうになるのを、彼はこらえた。
自分のこの態度が、何度となくメイを不安にさせたことを思い出したのだ。
いつもの不意打ちは、回避できない時があるが、まだ冷静なうちくらいはどしっと構えて彼女を安心させたい。
「メ…」
彼女の名前を呼んで。
少しくらい、気の利いたセリフを何とかひねりだして。
そう思っていたのに。
「あらあら、こっちにいたのね」
「今日こそは遅刻しないように、わざわざ迎えに来てやったぞ…ちょっと早かったか?」
くんじゃねぇ!!!!!




