02/09 Wed.
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「えっえー!! ずるーい!!」
ハナは、絶叫した。
普通の状態であれば、絶対上司から注意されてしかるべき音量と口調だ。
しかし、誰も注意する人間はいない。
彼女がハナである、ということもあったが、今が―― 定時をとっくに過ぎた夜ということのおかげだ。
かなり、みんな判断力が麻痺しつつある。
コトの起こりは、誰かが机に出しっぱなしにしていた封筒を、彼女が見つけたところからだった。
それには、金シールが貼ってあったのだ。
差出人は。
「私も、シャチョーの結婚式に出たいー!!」
※
ぶっすー。
すっかりふくれっ面になってしまったまま、ハナは仕事を続けていた。
聞けば、第一開発部の人たちは、全員披露宴の招待状をもらっているらしい。
それから、第二と第三も上の方だけには、回ってきてるというのだ。
しかし、ハナにはない。
所詮、彼女は第三開発部の人間で、そして下っ端だったのである。
ちぇー! ちぇー!!!
どうせ結婚式を挙げるなら、私が第一に入ってからにすればいいのにー!
ワガママの限りを尽くしながら、彼女は椅子をギシギシ言わせた。
せっかく、昨日シャチョーにゲームを見てもらえる約束を取り付けて上機嫌だったのに、今ではすっかりそれも墜落だ。
第一のメンバーが、誰1人とその招待状を譲ってくれなかったのも、不機嫌の原因だ。
「1万でどう? 1万でー!!」
そう懇願する彼女に、「パー券じゃないんだから」とみんなニヤニヤしたのである。
パー券の方が、よっぽど楽に手に入る。
これは、芸能人の結婚式に、潜り込むようなものなのだ。
少なくとも、ハナにとってはそうだった。
あの『コウノ』の結婚式なのだ。
あの『コウノ』の奥さんが見られるのである。
あの『コウノ』に結婚指輪をさせた女を。
み、見たすぎる~~~!!
だから、椅子をギシギシ言わせて悶えるのである。
ここで。
ある男にとって、運の悪い事件が起きた。
今までどこに行っていたのか―― そのある男が、開発室に帰ってきてしまったのだ。
ハナの目が。
キラーン!
「シャチョー!!!!」
ずだだだだー!!!
彼の姿を見つけるやいなや、ハナはダッシュ一番で側まで駆けつけた。
周囲の連中が、ギョッとしているのは分かっていたが、いまはそれどころではない。
「シャチョー!! 私も披露宴に招待してくださいー! おめかししていきますから!」
とっておきの笑顔だ。
そして、強引な言葉。
普通の気の弱い男なら、これでいつも言うことを聞かざるを得ない。
女にいい顔をしたい連中なら、なおさらだ。
『しょうがないなぁ』と言わせればこっちのものだった。
押せ押せパワーをうまく使えば、必要な物は手に入れることが出来るのである。
内容が仕事でないだけに、彼女はこういうワザを炸裂させてまで、招待状を手に入れようとしたのだ。
が。
「てめーは仕事しろ!」
かえってきたのは怒鳴り声だった。
さすがコウノである。
やはり、気の弱い男を陥落させる時と、同じ技では通用しないようだった。
こうなったら。
「ええー! 行きたいんです、行きたいんです。私も出席したいー!!!」
粘り作戦だ。
何度も何度も同じことを繰り返し、向こうがイヤになるまで言い続けるのだ。
このうるさいのを止めるには、招待するしかないと思わせるのである。
「ホントはイヤだけど、お酌もしますからー!!」
最後は、泣き落としだ。
しかし、コウノは強固なツラの皮だった。
完全にシカトに入った不機嫌な顔で、ディスプレイに向かうと、もう一度も彼女の方を振り返らなかったのである。
口では負けると分かっているのか、最初から会話さえ交わそうとしてくれないのだ。
確かに、ハナは口では負ける気がしなかったけれども。
「ま、まあまあ…二次会には呼んでやるから」
後ろから、他の開発スタッフが止めに入る。
そのまま、ハナはずるずると引きずられてしまった。
これ以上社長を刺激して、怒鳴りが出たらたまらないからだろう。
ちぇー! ちぇー!
ずるずるずるずる。
後方に連行されていきながら、ハナは唇をとがらせた。
そして、報復を決めた。
今日は、終電で帰ってやるー! 徹夜なんか誰がするもんかー!
※
「あ! キズオ!」
ハナは、不機嫌のまま家に帰りついたが、門のところでケダモノを発見した。
というか、こんな中古のオッサン車に乗ってる男は、他に知らなかった。
車を見た瞬間に、既に気づいていたのだ。
そのケダモノのことを、いつも彼女は『キズオ』と呼んでいた。
見た通りの言葉だ。
強面で傷なんかあるヤクザな顔の男は、『キズオ』で十分だった。
「いま帰りか、遅いな」
「おかえり…」
最初の方が、キズオ。
後の方が、三姉妹の長姉のユキ―― 1号である。
送ってもらって、いま玄関先まで来ました、というカンジだった。
こんなに遅い時間なのに。
「何? ホテルでも行ってきたの?」
ニヤニヤ。
はっきりきっぱり、いまのハナは機嫌が悪い。
シャチョーが、招待状をくれなかったせいだ。
だから、からかいの手も、非常に意地悪なものだった。
この2人が、いかに真面目な男女交際をしているか知っていて、わざと言っているのだ。
「おいおい」
キズオは苦笑だ。
「そっ、そんなんじゃないわ…今日は、大学のみんなと遅くなったから……危ないからってわざわざ迎えにきてくれたの」
姉の方は、真っ赤になって大慌てで否定する。
誰も、本気でホテルから帰ってきたとか、思ってもいないというのに。
「ふうん…それじゃあお別れのチューの邪魔しちゃったのね、私は…あははっ!」
ぴょんぴょん跳ねるようにして2人をからかった後、彼女は逃げを決めることにした。
姉はおとなしい性格だが、何年かに一度、ぷつんと行く時があるのだ。
おとなしい人間のキレが、世界で一番怖かった。
それに、寒いのにいつまでも、玄関前になんかいたくなかった。
さっさとお風呂に入って、メールチェックして、チャットでみんなに挨拶くらいしないと。
寝る前に、彼女はいろいろやることがあるのだ。
「あ、そういえば、鋼南電気に勤務してるって言うのは本当か?」
しかし、ドアに手をかけた時、キズオに呼び止められる。
へぇ。
少し意外な思いを抱えながら、彼女は振り返った。
あのキズオの口から、会社の名前が出てくるとは思ってもみなかったからだ。
彼が、ゲームをやっているところなど、想像もつかない。
「そうよ、それが何?」
それとも、うちの会社が何か後ろ暗いことをして、ガサ入れでもあるのだろうか。
何しろ、キズオはヤクザではなく、警察官なのだ。
ただし、一介の派出所の巡査だけれども。
安月給の公務員と、ユキは結婚する気なのか。
警察官というよりも、ヤクザの方に近い顔をしているというのに。
「いや…大したことじゃないんだが……社長は、どんな人だ?」
ピクン。
またも、ハナのアンテナに引っかかる。
コウノについて、聞いているのだ。
ますます、怪しかった―― 社長が、何かやらかしたのだろうか。
色々、思いつけそうな気がした。
うっかり軍部のコンピュータをハッキングしたが、それでアシがついたとか。
そんなことがあったとしても、巡査が関わる仕事ではないことを、彼女はうっかり失念していた。
「どんな人って…若いわよ。若くて自信家で、腕が良くて、でもいつもムッツリしてて怒鳴ってばっかで…結婚式の招待状もくれないケチな男よ!」
だんだん、今日の不機嫌を思い出して、ハナは口調の速度をアップしてしまった。
「結婚式? 結婚するのか??」
しかし、キズオの反応は、またも意外だった。
驚いたように、その最後の単語に反応するのである。
一体、うちの社長とどんな関係なのか。
「そうか…そりゃあよかった…」
1人で何故か納得して、うんうんと頷いている。
「ちょっと、どういう意味! それは!!」
これは、直感だった。
キズオは、何か社長について知っている。
おそらく、ハナの知らないことだ。
「ああ、いや何でもないぞ…それじゃあオレは帰るから。お休み」
手早く、姉に別れのアイコンタクトを送るや、車に乗り込んでしまった。
「ちょっと、キズオ! 待てー!!!」
真夜中だ。
近所迷惑だ。
にも関わらず、ハナは大声を張り上げた。
絶対、おいしいことを知っているに違いない。
あの態度は、怪しいにもホドがある。
が、汚いオッサン車は、ばびゅーんと消えて行ってしまった。
キーッッッッッ!!
今日の男たちは、誰もかれも彼女を仲間ハズレにしようとする。
ハナは怒りの顔のままで、キッと姉の方を振り返った。
「ケータイ!」
「え?」
「キズオのケータイ番号教えて! 今すぐ! ほら、早く! 早く!!!」
チャットでご挨拶、どころではない話しになってしまった。
しかし、おとなしいくせに姉は―― キズオの鼓膜を、最後まで守り通したのだった。




