01/31 Mon.-2
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遅れて到着した二人が、教会の後ろの方の席に座った後、その『結婚講座』とやらは始まった。
前の方には、すでに5、6組の結婚予定者らしき人間たちが座っている。
彼らの後ろ頭をちらりと確認した後、ふぅっとカイトは息を吐いた。
ようやく、一息つけた。
横のメイを見ると、まるで大学生が絶対落とせない講義を聞くような、一生懸命で真剣な瞳を神父に注いでいる。
一言一句、聞き漏らさないようにするつもりなのか。
彼女の姿を見ると、あんまり自分一人やる気がなさそうな態度をしているのは、いけないことのように思えて、とりあえずは前の方を向いておく。
しかし、頭の中には仕事のバグのことがへばりついていた。
そう。
出てくる直前に、デカイ虫が見つかってしまったのである。
完全に、システムが止まってしまうようなバグで、発見したのは、あの応援のハナとかいう女だ。
『あ! 止まっちゃった!』
いきなり放たれた大きな声に、開発室中が凍った。
みんな、その言葉を一番恐れていたのだ。
チーフも、スタッフも、挙げ句カイトも彼女を囲んで、何度も何度も、テストを繰り返す。
しかし、一体どうしたらシステムが停止してしまうか、ということが分かるまでに時間がかかった。
かなり複雑な行動をしないと起きないバグで、彼女も100%自分の行動を記憶していなかったのだ。
ようやくバグの箇所に目星がつけられ、さあこれから原因究明だ、というところで、カイトは時計を見て毛を逆立てたのである。
約束の時間に遅れること、間違いナシだったのだ。
慌てて、上着だけひっつかんで、開発室を飛び出して家まで戻ったのである。
2時間ほどの『結婚講座』の間に、片がつけばいいのだが―― いや、やはりカイトとしては、リアルタイムでその原因を突き詰めたかった。
多分、あのアイテムのフラグか、会話のフラグか、どっちかだとは思うが。
待てよ、そう言えば。
心ここにあらずで、カイトは教会という神聖な場で、ずっと仕事のことを考えていた。
※
1時間くらい過ぎた頃か。
スンッ。
そんな音が聞こえて、はっと我に返る。
まだ神父の説教は続いていて、諭すような言葉が、この教会の中に静かに落ち着いて反響している。
それに、かすかに混じる湿った匂い。
ふっと隣を見ると、メイがハンカチで目元を押さえていた。
な、な!
いきなり、泣き出すなんて思ってみなかったので、かなり彼は慌ててしまった。
彼女を泣かせるような説教を、あの神父はしたのだろうか。
見れば、前の方の席のカップルの中でも、泣いている女がいるようである。
隣の男が、優しく肩を抱き寄せて、慰める様子が目に映った。
その後ろ姿が、とても自然なカップルの姿に見える。
クソッ。
カイトは、ぐいっとメイの肩を引き寄せた。
オレだって、と。
オレだって、彼女を慰められる。
どんな説教だったか聞いてもいなかったので、何で彼女が泣くのか理由は分からなかった。
けれども、人間としての柔らかい部分に、触られるようなことを言われたのだけは、間違いない。
さわんな!
これは、ありがたい説教だ。
それは分かっている。
女は、涙もろい生き物なのだ。
それも分かっている。
けれども、こうも簡単に彼のすぐ真横で、泣かされることになるとは思ってもみなかった。
泣くな。
身体に力を入れたまま、ぐっとぎこちなく引き寄せていると、メイが頭を預けてくる。
それが、この講座を受けて一番いいことだった。
※
「すごく、素敵なお話だったね」
帰り道の車の中で、そんな風に話を振られても困るのだ。
カイトは、本当にほとんど何も聞いていなかったのだから。
前半は、会社のソフトのことをずっと考えていたし、後半はメイを抱き寄せていることに集中しすぎて、それどころではなかったのだ。
ああ、とか、うう、とか曖昧に答えながら、それ以上の言及を避けた。
「ああいう話を聞くと、自分がいろんな人に愛されてここまで来たって…それが、少し分かったような気がするの。お父さんとか、近所の人とか、友達とか……他にもいっぱい」
だんだん、最後の声が小さくなる。
オレは!?
カイトの耳は、ダンボになった。
確かに、親や友達はメイを愛していただろう。
しかし、今はオレが一番―― また、悪い病気が出てしまったのである。
「その感謝の気持ちをずっと、大切にしていきたいな…あっ、何か一人で恥ずかしいことばっかり言ってるね…あは…」
しみじみと、語りモードに入ってしまったことに気づいたメイが、恥ずかしそうに笑って言葉を切る。
オレは!?
しかし、カイトの心は全然決着がついていなかった。
好きだとは昨日も言われたのだから、それで満足なはずなのに、何となく自分の名前が出てこないのが淋しかったのだ。
だが、そんなことを口に出して、彼女に言うことは出来ない。
それでは、メイの素直な気持ちというよりも、強制になってしまうからだ。
「カイトも、きっといろんな人に愛されてここまで来たのよね」
ふっと。
彼女が、そう言った。
照れ隠しのために、カイトに恥ずかしい爆弾を投げてよこしたのだ。
ぶっっっ!
何か飲んでいたワケではないが、ハンドルを握ったままカイトは吹いてしまった。
いきなり、そんな優しくて寒い言葉を言われたからだ。
メイなら、愛されても当たり前だろう。
しかし、カイトはどちらかというと、憎まれっ子の方だった。
そんな彼に向かって、何てことを言うのか。
憎まれっ子は、誰からも愛されないとか、そういうことを言っているのではない。
世の中には、物好きがいろいろいるものだし、別段イヤでもない相手を、無理に邪険にする必要もなかった。
ただ。
無償の愛とやらは、カイトは苦手だ。
だから親の愛を、素直に受け入れられない。
けれども、メイとの、その形はちょっと違った。
無償じゃない。
自分を渡すと同時に、彼女が欲しかった。
一方通行の、片思いだって構わないとか―― そんなことは、わずかも思わない。
ずっと欲しかった。
最初から、見返りを求めた気持ちなのだ。
「オレは…あんま、そういう言葉は得意じゃねぇ」
ぐにゃぐにゃと、口の中で複雑な思いを練り込みながら、カイトは唸るように呟いた。
国道の広い道は、まっすぐで。
そして、ずっとずっと遠くの信号まで青いのが分かる。
視線は、一番遠くの信号機に向けたまま。
「けど…ホントに、それがあるってことだけは………分かった」
ガラじゃねぇ。
言い終わった後に、戒めるように奥歯を強く噛みしめながら、カイトは恥ずかしさに顔を歪めた。
でも、愛はあった。
愛は―― 助手席に潜んでいた。




