01/29 Sat.-2
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何だか。
メイは、ふとしたはずみに触れてくるカイトの動きに、嬉しさと戸惑いを感じていた。
いやらしい触れ方じゃない。
彼女がそこにいるのだと、確認するかのような動き。
それが、日常の中で時々起こる。
逃げたり、しないのに。
でも、触れられると胸があったかくなって幸せだった。
言葉がなくても、カイトの気持ちが、こっちに向いているのが分かる。
でも、彼女の気持ちが、ちゃんと彼に向いているということは、伝わってるのだろうか。
それが、ちょっと心配だった。
仕事中の彼をちらちら見ていると、時々目が合う。
今日は、打ち合わせこそドタキャンしたものの、メイにも結婚式に関係する仕事がちゃんとあった。
招待状の、宛名書きである。
もう、式まで時間がないのだ。
筆ペンも寿の切手も印刷物も、全部用意してある。
何枚か緊張しながら書いては、ちらり。
今回は、横顔だった。
仕事をしている姿が好き。
一緒にいる時の姿も好きだが、仕事をしている時はまた違うのだ。
瞳の動きも、唇の動きも、顎の角度も―― 全部、見たことのない顔で。
会社の人が、うらやましいな。
鋼南電気の社員になってみたかった。
もしくは、社員の話を聞いてみたかった。
カイトのことを、どういう目で見ているのだろう。
尊敬されているのだろうか。
好かれているのか、それとも、ちょっと怖がられているのか。
すごく興味があった。
そんなことを考えながら眺めていると、さすがに視線に気づいたのか、赤い瞳がぱっとこっちを向く。
慌てて顔をそらして、一生懸命宛名書きに打ち込んでいるようなフリをするのだ。
でも、チラリ。
すると、カイトが椅子から立ち上がっているのが見えた。
その上、メイの方に近づいてくるではないか。
「あ、ごめんなさい…気が散る?」
あんまり自分がチラチラ見るせいで、落ち着かなくなったのだろうかと、彼女は慌てた。
でも、怒っている様子ではなかった。
じっと、メイの顔を見つめている。
や、やだ。
どきどきする。
心が騒ぐ。
彼が、わざわざ自分に触れにこようとしているのだろうか―─ そんなことはない。
ううんでも― 交錯する気持ちに、彼女は収集がつけられなくなってしまった。
朝からずっと接触したがるカイトの態度が、余計に心を惑わせるのだ。
そう、朝だって。
いや、もうほとんど昼近くまで、眠っているワケでもないのに、ベッドの中で抱きかかえられたままだった。
まるで、卵にでもなった気分だ。
このまま、カイトの体温で孵化できそうなくらいの時間が過ぎるばかり。
昨日までの、どこかぎこちなかった時間を埋めるかのように、彼はなかなか腕を緩めてくれなかった。
それが、嬉しくて恥ずかしくて。
カイトからの行動は、ただ「嬉しい」だけじゃなく、その後に必ず何かくっつくのだ。
「嬉しくて戸惑う」とか、「嬉しくて恥ずかしい」とか、「嬉しくて切ない」とか。
メイも、ベッドを出たくなかったのだけれども、ぐぅっとおなかが鳴ってしまって。
それが、死ぬほど恥ずかしかった。
静かで密着した状態なのだ。
絶対に、彼に聞かれたに違いないのだ。
でも。
そんなお腹の虫に、一瞬面食らった直後、カイトは笑った。
それから、ようやく腕を解いてくれたのである。
その。
腕の感触を、覚えている。
あの身体が、ぎゅっと自分を抱きしめてくれたのが、まだずっと残っているのだ。
自分に力を刻んだ、そのカイトが、近づいてくる。
どきどき。
彼の足の向きが、間違いなく自分の方であるのだと、確信すればするほど、彼女の鼓動は高まって、身体は硬直してしまう。
すぐ側で、足が止まる。
膝が曲がって、同じ目の高さになる。
顔がすぐ間近だ。
指先が伸びる。
ドキンッ!
心音が最高潮に達して、それだけでメイは気絶してしまいそうになった。
毎日毎日見ている顔なのに、全然慣れない。
彼の指が。
指が。
頬に。
ぐっ。
え?
メイは、目を見開いた。
カイトの指は、確かに彼女の頬に触れた。
しかし、そっと包み込む―― などという行動ではなく、指先が強く彼女の頬をなぞったのである。
とてもじゃないが、甘い雰囲気につながる触れ方ではなかった。
ぱっと、その指先の方に視線を向けると。
カイトの親指が、間近にあった。
そこには。
黒い、筋が。
きゃー!!!!!
メイは。
自分の顔に墨をつけていたのである。
筆ペンの墨であることは、間違いなかった。
指を汚した後、そのまま顔を触ってしまったか、カイトに見とれて、うっかり頬に落書きをしてしまったか。
さっきまで、カイトを見てどきどきしていた自分の顔が、一気にマヌケなものに思えた。
彼にしてみれば、さぞや笑える顔だっただろう。
まるで、羽子板で負けた時のようなビジュアルがちらつくせいで、恥ずかしさもひとしおだった。
「あっ、あ…」
おそらく、墨はまだ自分の頬に残っているだろう。
たかが指で拭われたくらいでは、完全に落ちるはずがないのだ。
いつまでも、頬に入れ墨をしているワケにはいかない。
おまけに、今の顔をカイトに見られるのは、もっと恥ずかしい。
早く洗面所に逃げて、顔を洗ってこなければ。
慌てる意識の中で、とにかくそれだけは分かったので、彼女は立ち上がった。
口に出てくる言葉は、意味もないものだ。
それが、更に恥ずかしさを煽る。
とにかく。
彼女は、カイトの視線から逃げ出そうとしたのだ。
けれども―― 腕を捕まれる。
また、頬に触れられる。
反射的に首を竦めて目を閉じてしまったら。
あっ。
その感触が分かってしまった。
カイトが、彼女の頬を舐めたのだ。
おそらく、汚れた墨が残っているだろう部分を。
「あっ、だっ…カイト!!」
メイは慌てた、どころの話ではなかった。
思わず、もがいて彼から逃げ出そうとしてしまった。
墨なのだ。
クリームが頬についている、とかいうことと違って、それは食べるものじゃない。
決して身体にいいとは思えないのに、おいしくないだろうに、カイトはそんなことをするのだ。
なのに、もがいても逃げられない。
しっかりと身体が抑えられていて、もがこうとするともっと強い力がかかる。
「やっ…きたな…カイェ…」
ようやく、もぎはがすことが出来てみたら、彼女の胸は早馬よりももっと早く。
しかも、あてどないコースで駆け抜けていたのだ。
そのまま、ヘナヘナと座り込みたいくらいだった。
頬がひやっとする。
カイトが舐めた場所だ。
それが、さっきのことをリアルに思い出させる。
少しだけ離れたカイトは、不満そうな表情で彼女を見ていた。
どうして、拒まれるのか理解できないような、そんな動物的な顔。
カイトには、本当にいろんな顔がある。
仕事用の顔。
自分といる時の普通の顔。
そして―― 時々、一瞬にしてスペシャルになってしまう顔。
最後のスペシャルだけは、まるでスロットのようにどんな表情が出てくるか分からない。
分かっているのは、どの結果が出たとしても、メイの心を穏やかにはしてくれないということだ。
いまは、動物の顔。
そのケモノに、どうやったらいまの行動に対する自分の反応について、解説できるのか。
考えれば考えるほど、彼女は分からなくなってしまった。




