01/28 Fri.-2
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目が―― 合わない。
お風呂場で頭を洗いながら、メイは寂しさの神様のマントの中に抱え込まれていた。
目が、合わない。
言葉を交わそうとしてくれない。
ぎゅっと、抱きしめてくれない。
上の空みたい。
私と。
私と、いても。
ズーン。
カイトの腕の中に、ぎゅっと抱きしめられたいのに、もう一体何日ばっと突き放されただろう。
こんなに冷たいマントの中に、いたいワケではないのに。
彼は、忙しいし。
それでも、1時間でも帰ってきてくれたりするし。
嬉しかったり寂しかったり、1日ごとに一喜一憂。
気持ちを全部翻訳するには、時間が足りていない。
カイトとの時間が、あんまりに足りない。
一緒にいるのに―― 触れ合えない。
そんなのは。
シャワーを止めて立ち上がったメイの髪から、しとしとと水滴が落ちていく。
前髪なのか横の髪なのか分からないが、カーテンになって、ずっしりと重く目の前にかぶさる。
そんなのは、イヤ。
私だって。
髪に触れる。
その左手。
私だって。
指輪が。
もうはずせない指輪。
傷だらけにしてしまうかもしれないのに、絶対になくしたくないから、絶対に彼にはめてもらったことを忘れたくないから。
たとえ、傷だらけになっても、絶対にはずせない指輪。
しとしと、と。
したたる髪を後ろにひっぱる。
背中に、冷たい水滴が落ちる。
私だって、カイトに。
決死の覚悟で。
バスルームを、出た。
※
バスルームの外に出ると、カイトの姿はなかった。
どうやら、もうベッドの中のようだ。
はぁ。
せっかく決死の覚悟を固めてみても、彼がもう深い眠りのフチであったら、結局一人空回りだ。
でも、もしかしたら。
「カイト…もう寝ちゃった?」
不安の一言。
眠った人間は、きっと返事なんかしないだろう。
「起きてる…」
しかし、ベッドの中からは、寂しさを追い出してくれる声が聞こえてきた。
ホッとする。
よかった、完全に避けられているワケではないのだ。
微妙で、分かりにくいカイトの気持ちを、メイは一生懸命探ろうとした。
「明日は…お仕事?」
もう一歩進んでみる―― 足も、唇も。
「休みだ」
短いけれども、跳ね返ってくる感触。
一応、明日には一緒に出かける予定があった。
式場関係の打ち合わせ。
本当は、カイトにはそんなヒマはないだろうし、きっと苦手なことに違いない。
でも、いまの『休みだ』の中には、ちゃんと一緒に出かけてくれるという意味が含まれているのだ。
もどかしくて、いつも当たっているのかそうでないのか、分からない翻訳が多い。
彼と言葉で通じ合うのは、すごく難しいのである。
でも。
もっと。
強くて熱い気持ちを交わす方法を、カイトは教えてくれた。
思いを全部、彼女の身体と心に焼き付けてくれる。
あの瞬間だけは、誰よりも自分のことだけ感じて、考えてくれて。
私だって。
メイは、いま膝が震えたのに気づいた。
しかし、それを振り払ってベッドに上がる。
毛布と布団を少しよけて、自分がもぐりこむスペースを作る。
指先も震える。
怖くなってきて、カイトの方が見られない。
すぐそこに横たわっていて、身体をこっちの方に傾けているのだから、きっと向こうからは、はっきり彼女が見られているだろう。
顔も。
身体も。
もしかしたら、スケルトン・モデルみたいに、心の中まで見られているのかもしれない。
ああ、すごくいたたまれない。
カイトのことが好き、がいっぱい詰まっている胸。
でも、その胸は、同時に彼に好かれたがっていた。
触れて。
この心を―― 可愛がって。
彼の、すぐ側に潜り込む。
すぐに明かりが消えたのは、カイトが待っていてくれた証のような気がして嬉しい。
でも、胸の速度は、それどころではなかった。
嬉しいを、ちゃんと噛み砕くヒマもなく、彼の吐息がすぐそこにあることに気づいてしまったのだ。
ドキンドキン。
まるで。
誰かに告白する時のような、緊張感と震えに捕まる。
頭のてっぺんからつま先まで、心臓だらけにさせられるのだ。
お風呂上がりなのに、汗をかいてしまう。
暗くてよかった。
そうでなければ、今頃顔が真っ赤であることを、カイトに知られてしまっただろう。
それよりも。
自分の高くなった体温が、彼に伝わっていないかが心配である。
心臓の音も聞かれているかもしれない。変な女だって思われるかも。
でも!
それらの不安事項を、全部振り切ろうとメイは唇をきゅっと閉じた。
神様、神様! 神様!!!!
震える指を、伸ばす。
すぐに布に触れた。
カイトは、動かない。
その感触に、気づいていないのだろうか。
なまじ、ビクッと驚かれるよりよかった。
もしそうなったら、メイの方が余計に驚いて逃げ出さなければならなかっただろう。
慎重に、まるで道のない山を登るように、彼女は指を上の方に動かした。
布。
布。
布の溝―― きっと、これがパジャマの真ん中の切れ目の部分。
ということは。
見つけた。
爪の先が、固い感触に触れる。
それさえも、カイトの体温に染まっているような気がする。
メイは、息を飲んだ。
神様!
たった一つ、ボタンをはずした。
微かな抵抗もなく、するりと輪をくぐるプラスティック。
震える指を、少し下に。
次のプラスティック。
そしてもう一つ。これで3つ。
4つ目に指をかけた時、彼女は止まった。
一瞬で熟睡したのでなければ、カイトはいま何が起きているか分かっているはずだ。
しかし、ノーリアクションだった。
一切、反応をしないのである。
何で何も言ってくれないの?
メイは、泣きそうな眉になっていた。
神様…。
一体、神様に何を求めているのか、呼ばれている方も大変だろう。
何度も名前を繰り返されるのに、願い事は口にされないのだ。
怖くて、彼女は口にも出来ないのである。
ただ、その怖い考えの通りになりませんように、と。
それが、願いなのである。
もっと震える指で、残りのボタンをはずす。これが最後。
カイトの胸だ。
彼女を抱きしめる時、ぐっと触れあう胸。
あたたかくて、強くて、彼女が好きなもの。
メイは、その素肌の胸に―― ぎゅっと抱きついて、頬を寄せた。
お願い……お願い!
私を。
ぎゅっと、抱きしめて。
私を。
愛して。
それが、彼女の決死の思いだった。
なのに。
「ダメだ!!!!」
ばっと。
いきなり、弾けたように動き出したカイトに、その身体を引き剥がされた。
あ。
神様。




