01/27 Thu.
●
眠れない。
メイは、パチンと目を開けた。
世界は暗く、布団の中は温かい―― でも、一人きりだった。
枕元の時計は、針に蛍光塗料が塗ってある。
闇夜の中でも、いまの時間がはっきり見えた。
4時55分。
普通の人ならば、深い眠りの海の中だ。
ふぅ。
カイトが、帰ってこない。
彼から電話が入ったのだ。
ちょうど0時くらいに、部屋がノックされて驚いた。
階下に住んでいるシュウだった。
何の用かと思えば、カイトから電話が入っているという。
この部屋にある電話を取るように言われた。
慌ててメイは、コンピュータのそばに置いてある電話を取る。
そういえば、これが鳴ったのを見たことがなかった。
どうやら、ベル音を切ってあるようだ。
「もしもし?」
こんな夜中に、わざわざ電話をくれるなんて。
彼女は、胸を騒がせた。
もしかしたら、何か起きたのではないかと心配になったのだ。
『今日は…帰れねぇ』
受話器は、そうしゃべった。
ついに、メイが恐れていた日が訪れたのである。
ハルコも言ってたではないか。
彼らの仕事は、忙しい時なら徹夜だってありえるのだと。
「そう……」
分かっているのに、つい声が沈んでしまう。
いけない、と自分に言い聞かせた。
仕事で疲れているカイトに、そんな声を聞かせたくなかったのだ。
ちゃんと、一人でも大丈夫だということが分かってもらえないと、お荷物になってしまう。
「無理しないで、お仕事頑張ってね」
一生懸命笑顔を浮かべて―― 思えば、この笑顔は電話では伝えることが出来ないのだが、とにかく、声だけでも笑顔が伝わるように、メイは意識して唇を動かした。
そして、彼は帰ってこないことが決定したのである。
※
ついにメイは、ベッドから起き出してしまった。
カイトだって、仕事をしているのだ。
自分も眠れない。
それならば、無理して眠ろうとする必要は、ないように思えたのである。
幸い、彼女には編み物という強い味方があった。
何気なく思いついたものではあったが、何度となく寂しさから救ってくれた。
カイトのことを思いながら、一人の時間をたくさん消化してくれる、魔法の道具。
平日には、一人の時間がたくさんあることを証明するかのように、セーターはどんどんできあがっていく。
週末が間に入るのを考慮しても、そう遠くなく完成しそうだ。
バレンタインには、十分間に合う。
喜んでくれることを、想像しながら編む。
ちょっと、気になるところはあったけれども。
ちょっと。
この家に、テレビはない。
家にいる時間が少ないせいか、興味がないのか、カイトはそれを置いていなかった。
退屈でしょうと、昨日来たハルコがちっちゃなカードラジオをくれたのだ。
正確には、ウェディングドレスの衣装合わせに出かける時のことだった。
ハルコの車の中に、それが箱入りで置きっぱなしになっていて、何だろうと手に取ったところ、そんな話になったのである。
ソウマが、どこかの会社から記念品でもらったものらしい。
ラジオの表面に、『○×株式会社 創立50周年記念』と金文字で入っていた。
ラジオは、編み物セットの入っている紙袋に、一緒に入れておくことにした。
編み物の時に、聞こうと思ったのだ。
そして、今日の昼間、ラジオを聞きながら編み物をしていた時。
ある番組で、『もらって困るプレゼント』なるアンケートの結果が発表されていて―― 第一位に堂々と輝いたのは、『手編みのセーター』だったのだ。
う。
その瞬間、彼女の編み棒が止まった。
それから、カードラジオを見た。
ラジオ自体には罪はないし、アンケートで答えた人の顔が、見えるワケでもない。
うう。
ちょっと、へこんだ。
だが、何とか自力で盛り返そうと努力した。
アンケートは、彼女や、その他の異性からもらうプレゼント、と想定してあったのだ。
彼ら二人の関係は、すでに婚姻状態なのだから、ちょっと意味が変わるんじゃないかと思った。
少なくとも、カレシカノジョのように、明日が曖昧なワケではない―― と思いたかった。
それにこのセーターは、奇抜とか派手とか、そういうものではなく、シンプルな実用品として使えるようなものを作っているつもりだった。
何気なく、着て歩けるような。
カイトは、そこまで洋服にこだわりはないようなので、最悪、他の服の中の一つに紛れさせておけば、手編みだと言うことを意識しなくなるだろうとも思った。
メイ一人が、彼が偶然そのセーターを着ている時だけ、自己満足でにこにこしていればいいのである。
そこまでが、昼間の出来事。
しかし、今もまだちょっと引きずっているところはあるのだ。
でも。
喜んで欲しいな。
ほら。
またワガママになった。
メイの中で、どんどんカイトに対する要求が大きくなる。
こうして欲しい、ああして欲しいというのが増えてきているのが、はっきり分かる。
一番最初の、『気持ちが伝わっただけで幸せ、信じられない』という気持ちの外側に、いろんなものが付着し始めるのだ。
はぁ。
また、ため息をついた。
そんな時だった。
階段を登ってくる音がした。
えっ?
メイは、驚いた。
明け方のこんな時間に、一体誰が二階に来るというのか。
もしかして、またカイトからの電話が入って、シュウが呼びに来たのだろうか。
彼女の中で、いろんな思考が巡る。
しかし、とりあえず編みかけのセーターを紙袋に押し込む。
クローゼットまで行く時間はないので、ソファの陰に隠して立ち上がった。
足音が近づく。
心臓を高鳴らせながら、彼女は、『まさか、そんな』と心の中でつぶやいていた。
足音を覚えている。
この、ちょっと強めの足音を。
本当は、車の音も聞こえていた。
しかし、耳が最初から違うものなのだと決めつけていたので、彼女に意識を向けさせなかったのだ。
ガチャ。
ノックもなく、ドアが開く。
朝の、5時45分。
カイトが、帰ってきた。
ついている明かりに少し驚いて、それからソファの方にいるメイにまた驚いて―― しかし、表情には明らかに疲労と睡魔が見えた。
驚いたのは、メイの方だ。
帰れないのでは、なかったのか。
こんな明け方に帰って来るなんて、どうかしたのだろうか。
カイトは、何故彼女が起きているかなど、問いかけようとしなかった。
思考がはっきりしないのか、二度ほど頭を左右に振った後、背広の上着だけ脱いだ状態で、ベッドに向かうのだ。
「1時間したら起こしてくれ」
ため息の成分が、多く含まれる声で、カイトはそう言った。
その言葉が、最後だった。
バタン。
キュー。
メイは、はっと我に返って、慌ててベッドに駆け寄った。
彼は、ベッドにたどりついたかと思うと倒れ込み、そのまま眠ってしまったのである。
そう。
カイトは、布団の上に眠ってしまったのだ。
メイは何とか布団の中に押し込もうとしたが、カイトが重石になっていて、なかなか思うようにならなかった。
とりあえず、内側の毛布だけは引っぱり出せた。
それを、かけてやる。
ダブル用の大きな毛布だ。
1時間たったら。
毛布の中で熟睡しているカイトを眺めながら、さっきの言葉を思い出す。
1時間。
それだけ眠ったら、また会社に行くということだろうか。
たった1時間眠るためだけに、わざわざ家に帰ってきたというのだろうか。
会社だって、どこなりと眠る場所があるはずだ。
往復の移動時間をプラスすると2時間くらいは、仮眠が取れるはずなのに―― 帰れないと言ったのに。
カイトは、帰ってきてくれたのだ。
何で?
その疑問を、押しのける気持ちがあった。
嬉しい。
胸の中で、その言葉がこぽんと、気泡のようにわき上がって弾けたのだ。
メイは。
彼の毛布の中にもぐりこむ。
いまの自分の気持ちを、彼に伝えたかったのだ。
たとえ、眠っている相手だとしても。
いや、眠っているからこそ、恥ずかしさを彼に知られることなく出来るのである。
ぎゅっと。
眠っているカイトを、抱きしめた。




