01/23 Sun.-4
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帰りの車中。
カイトは、むっつりと黙り込んだまま運転をしていた。
どう考えても、今日の両親への紹介で、機嫌が悪くなったとしか思えない。
メイは助手席から、心配してチラチラと見やった。
彼女自身は、とても幸せで楽しい時間だった。
カイトの両親は、想像していたほどの風変わりではない。
それどころか、標準的と言ってもいいくらいだ。
そして、とても優しかった。
気に入られるかどうか心配していた彼女に、よい印象を抱いてくれたようにさえ思える。
出前で寿司を頼んでいるから、それを食べるまでは帰さないと言う母親とカイトのやりとりは、メイに首を竦めさせたが、最後はついに母親の方が勝利した。
すごいな、とつい感心してしまった。
夕食の後、カイトがしびれを切らして帰ろうとした時も、何度となく『もうちょっとゆっくりしていきなさい』と引き留めてくれたのだ。
しかし、彼はもう耳を貸さなかった。
お別れの挨拶も半分くらいで、メイを引っ張って連れ去ってしまったのだ。
そして、今に至る。
どうしてこんなに不機嫌なのだろうか。
いたって健全そうな親子関係に見えたけれども、彼女の知らない何か深くて大きな理由があるのかと心配になってしまう。
「カイト…」
あんまり彼が黙り込むものだから、ついにメイは声をかけた。
ただのだんまりならいつものことなのだが、彼が怒っているように思える。
何かに怒っているために、助手席に彼女がいることさえ忘れてしまっているようにも思えて―― それが不安だった。
どうかしたの?
そう聞きたかったのだけれども、彼の母親のようになめらかな舌と、強い心臓を用意できなくて、ただメイは息を飲んだ。
「おめーは…」
カイトが、まっすぐ前を見つめたまま運転をしている。
しかし、彼女の言葉に誘われたのか、ようやくそう口にした。
少し、悔しそうな響きを含んでいる。
悔しい?
何に?
いま自分が感じた印象を解剖しようとしても、疑問符が飛び交うだけだ。
カイトの無言には、山のようにいろんな感情が押し込められているのは分かってきたが、色で見分けなければならない。
まだ、メイはすべての色を、知っているワケではなかった。
せいぜい12色の色鉛筆セットくらいである。
くっきり、はっきりと色の名前が明確なものだけ。
だから、待った。
カイトが、次の言葉を吐き出すのを。
そうすれば、何をいまどんな風に思っているかを知ることが出来るからだ。
あの両親たちとの会見に、彼はどういう印象を抱いているのだろうか。
しかし、続きはなかった。
カイトは、唇をそのまま閉ざしてしまったのである。
そうしているうちに。
帰り着いてしまった。
※
メイが、お風呂から上がって出てくると、カイトはコンピュータに向かっていた。
忙しい仕事が、また彼を襲っているのである。
休みも夜も、カイトを自由にしようとはしないのだ。
今日は、ほとんど両親への挨拶で時間がつぶれてしまったので、これからそれを取り返す気なのだろうか。
先にお風呂を済ませていたカイトだったが、彼女が出てきたのに気づかなかったようだ。
ソファに座った音か、目の端で動いた影か―― いずれかで、彼はハッと視線を投げたのである。
気にしないでくれてもよかったのだが、やはり同じ空間にほかの人がいると気が散るのだろうか。
「お茶でもいれて…」
そう切り出しかける。
ゆっくりお茶を入れてくれば、その間カイトが集中出来るのではないかと思ったのだ。
「いい!」
しかし、最後まで言う前に、カイトの言葉に叩きつぶされてしまう。
彼女は、唇を泳がせるハメになった。
集中をとぎれさせないように仕事をしてもらうには、もうメイは眠った方がいいのかもしれない。
その方が、きっと邪魔にならないだろう。
少ししょげながら、彼女はソファから立ち上がるとベッドの方に向かった。
歩きながら、言葉を考える。
『おやすみなさい』だけだと、カイトにだけ仕事をさせて、のうのうと惰眠を貪るように聞こえてしまうかもしれない。
『がんばってね』だと、眠らずに仕事しろと言ってるように聞こえてしまうかも。
『私が起きているとうるさいでしょ』だと、何となく卑屈だし、逆にイヤミに聞こえそうだし。
結局、ベッドのそばに到着しても、彼女は言葉を探せなかった。
振り返ると。
ディスプレイの画面が、真っ暗になっていた。
あれ?
そう思うまでもなかった。
コンピュータにまつわるすべての電気機器類が、電源供給を止めていたのだ。
そして、立ち上がるカイト。
無言のまま、近づいてくるカイト。
ええー!!!
彼は―― いきなり、仕事を終了してしまったのである。
メイは驚いた。
きっと、もっと仕事をするのだろうと思っていたので、この事実が信じられなかったのだ。
どうしてまだ仕事をすると思ったのかは、自分でもよく分からない。
一日つぶれたこともあったし、自分の身体が、彼と一緒に眠るには少し厄介な状態だったのもある。
しかし、カイトはどう見ても、一緒に眠るつもりで仕事を終了させてしまった。
嬉しいのだが、結果的には仕事の邪魔をしてしまったような気になって、近づいてくるカイトと、その向こうにあるコンピュータとを交互に見た。
彼は、そんなメイに対して無言で、ベッドの中に潜り込んでしまう。
ただ一人、いつまでも突っ立っているワケにはいかない。
メイは、慌てて隣に潜り込んだ。
それを待っていたかのように手が伸びて、部屋の明かりをあっという間に消してしまった。
とりあえず。
今日の両親との顔合わせで、メイに対して怒っているワケではないことが、それで何となく伺い知れたような気がした。
一緒に眠る気でいてくれたのだから。
「今日は、すごく嬉しかった…ありがとう」
複雑な嬉しさを抱えたまま、彼女はそう言った。
本当は、もっと早く言いたかったのだが、車の中のカイトが不機嫌だったので言うタイミングを失っていたのだ。
こうやって、二人暖かい身体を側に置いて、横になって力を抜いたら、今日一日のことが思い出される。
そうしたら、言い忘れた言葉が呼び戻されたのだ。
「『可愛い』…って、お世辞でも言ってもらえて嬉しかった。ホッとしちゃった」
照れ笑いが浮かぶ。
義母にあたる人が、何度もメイにそんな言葉を言ってくれたのだ。
『娘がほしかったの』と言った彼女は、メイが何か言うたびに、好奇心と優しい視線を織り交ぜた。
思い出しながら、記憶の余韻にひたろうとしていた時。
それが、摘み取られた。
いきなりカイトが手を伸ばしてきて、彼女を抱きすくめたのである。
きゃぁと、悲鳴を上げなかったのは幸いだった。
腕の力は強く―― ムキになったような、ムスッとしたような声が聞こえた。
「オレの方が…」
しかし、言葉の続きは、またもなかった。




