01/23 Sun.-2
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そっくりー!!!!!
居間のソファなどに案内されたメイは、緊張でガチガチになってはいたが、カイトの母親を見つめずにはいられなかった。
一体、どんな両親なのだろうかと、薄ぼんやりと思い浮かべたりはしたものの、まったく予測がつかなかった。
カイトが、一般常識に沿わない人間であることは、何となく理解していたつもりだったので、両親も―― その考えは、外れてしまったようだ。
慌てて新聞をたたんだお父さんは、普通の優しそうな人だった。
見た目は、カイトとは全然違う。
眼鏡をかけているその地味で穏やかな姿は、どちらかというと事務的な仕事をしていそうな人に思えた。
その代わり。
どこをどう見ても母親の方は、カイトと同じ血を感じさせたのだ。
活動的な母親だということは、話をしなくても分かった。
あえてそうしたのかもしれないが、彼女はジーンズ姿で。
さっきから、お茶だお茶菓子だと、忙しく台所と居間をいったりきたりしているのだ。
棚には、どこかに旅行に行った写真なんかが飾ってある。
夫婦で写っているものもあれば、彼女が女友達と旅行に行ったような写真もあった。
父親が一人で、魚をぶら下げて写っているようなのも見える。
写真。
記憶と経験と年月と。
とにかく、時間を感じさせるアイテムだ。
写真、欲しいな。
ちらりと、カイトの方を見る。
彼の写真というものを、メイは一枚も持っていなかった。
結婚してから、1枚だって撮ったこともない。
カメラがなければ撮れないものだし、映す人がいなければ、やっぱり撮れないものなのだ。
けれども、そう急ぐことはないと自分に言い聞かせる。
これからの年月の間で、写真を撮る機会など、きっといつだって見つけられると思ったのだ。
それくらい長い時間が、目の前に遠く遠く、広がっているのだと信じたかった。
「こんな汚いところでごめんなさいね、昨日いきなり電話なんかして来るって言うから、掃除をしている暇もなくって」
ようやく、彼女はソファに座り。
話が始められそうな雰囲気が、出来上がりつつある。
しかし、どういう風に話が進んでいくかなんて、メイには分からなかった。
ただ、この人たちに気に入られなければ、これからの結婚生活が寂しいものになってしまうということは、はっきり分かっていた。
息子の嫁とうまくいかない親の話は、いくらでも聞くことが出来るのだから。
大丈夫。
カイトの言ったように、普通にさえしていればいいのだ。
メイは、自分にそう言ってやる。
でも、全然緊張がほぐれなくて、顔も口もうまく動かせる自信がなかった。
「ところで」
カイトの父親は、たたんだ新聞を膝の上に乗せていた。
それを脇の方に置きながら、眼鏡を外す。
眼鏡を、胸ポケットに納めると、二人の顔を交互に眺めた。
本格的な話が、始まる合図に違いなかった。
「私の耳がおかしくなければ、昨日カイトは私に、『結婚した』と言ったが…それは、言葉通り受け止めていいのかね?」
何とも、複雑そうな色をたたえた瞳だ。
昨日初めて、カイトは両親に報告したのだろう。
やっぱり、と思ってはいたが、メイは竦み上がってしまった。
咎められている気がするのは、事後承諾という形になってしまったことに対する後ろめたさのせいだ。
「んなことで、嘘ついてどうすんだ」
短気な彼の性格は、父親に対しても変わらないようである。
男親と息子は反発し合うものらしいが、メイはそっちにもハラハラしなければならなかった。
「別に、オレは許可をもらいに来たんじゃねぇ、報告に来ただけだ。ホントは報告も……」
そこまで言ったカイトが、ぐにゃぐにゃと言葉を濁して黙り込んだ。
そこから先は、言いたくないことのようだった。
確かに、報告にも来るつもりはなかったなどとはっきり言えば、たとえ親でも不愉快になるだろう。
ケンカをしにきたのではないのだと、彼も気づいて踏みとどまったのだろうか。
そんなにイヤなの?
親への結婚の報告というものが、そんなにイヤだというのなら、どうして連れてきてくれたんだろうか。
彼の性格からして、そのまま放置しておくことだって出来ただろうに。
「まー、一人で大きくなったって顔して」
カイトとそっくりの目が、細められる。
すぐそばにいたら、息子の年齢の大小に関わりなく、小突きそうな雰囲気だった。
しかし、言葉に毒はない。
「もし、これから結婚するということで紹介に来たんなら、きっと『やめときなさい、不幸になるだけよ』と言ったわよ、私。こんなワガママな男と結婚して、人生を棒に振る必要なんかないもの」
あっけらかんと。
スラスラと。
立て板に水のように、赤い唇でしゃべり出す。
その色が、だいぶ自分のペースを、取り戻してきたかのように見えた。
結局はカイトと親子なのだから、メイの存在にさえ慣れれば、緊張する必要などないのだ。
カイトは、目を見開いて母親を見ていた。
黙れ、と言っているようにも見えたし―― 勘弁しろ、と言っているようにも見えた。
「あんたはねぇ…1年以上も音信不通にしていたかと思ったら、いきなり電話してきて、『結婚した』なんて聞かされた、親の気持ちも考えなさいよ。お父さんと私、昨日ほとんど眠れなかったのよ。どんなお嬢さんを連れて来るかと、気が気じゃなかったんだから」
しかし、母親の口は止まらない。
どんなお嬢さん。
ビクビクッ。
メイのアンテナに引っかかったその言葉が、彼女を震え上がらせた。
どういう風に自分のことを予測されていたのか、メイには想像も出来ないのだ。
そして、その想像通りなのか、果たして見当違いなのか。
更に、よいと思っているのか、そうでないのかさえ、彼女には分からない。
ただ、ここに座っていなければいけないのだ。
「まあまあ、母さん」
早口の母親に比べて、父親の方の声は穏やかでゆっくりしたものだった。
系列的に言えば、ハルコと似ている。
ちゃんと理屈さえ通せば、話が分かる人の声だ。
「とりあえず、名前を教えてもらえるかな? 息子は、私らの娘になる人の名前も教えなかったんでね」
眼鏡のない少し細められた瞳が、まっすぐにメイを見て。
そうしたら、がんじがらめだった緊張の糸が、プツンと切れた。
娘だと。
そう言ってもらえたからかもしれない。
自分が、あの父親以外の娘になることを、考えたことはなかった。
義父や義母であるとか、息子の嫁であるとかいう単語は、何度となく頭の中によぎっていた―― しかし、そのその中に『娘』という言葉は落ちていなかったのである。
その音はキラキラと輝いて、メイの胸のクッションに落ちたのだ。
すごく、欲しかった音だった。
手にしていいのか、少し戸惑う。
本当に、このキラキラを捕まえてもいいのか。
逃げないのか。
怪我をしたりしないのか。
戸惑いというよりは、怖かったのかもしれない。
幸せの後ろにはいつも不幸が立っていて、いつでもすり替わってやるぞと、舌なめずりをしているような気がしていた。
ほんのちょっとでも、自分が気を抜いた隙に、何もかも壊されてしまうような気がした。
そんな経験が、メイには二度あったのだ。
父親が死んで、人生が急変した瞬間と。
カイトという存在を失って、一人あの家を出ていった瞬間と。
父親はもう戻らないが、カイトは二度と失わずに済むかもしれない。
不幸がすぐそこに潜んでいることを忘れずに、自分たちには近寄れないとあきらめて去っていくくらいまで、油断をせずにヒナを育てていければ。
強く。
いま、自分がちゃんと幸せの上を踏みしめていることを忘れないように、強く歩いていけば、そのキラキラは捕まえられるはずだった。
ひどい触れ方をしたら、壊れたり消えたりしてしまうと知り、両手でこぼれ落ちないように、大事にすくい上げるのだ。
「メイと申します。本当にふつつか者ですけれども、どうかよろしくお願い致します」
精一杯の気持ちを込めて、笑顔で―― でも、言葉は堅苦しい着物を着てしまった。
糊がききすぎだった。




