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01/23 Sun.-1

 ガッチコーン。


 ちらりと隣を見ると、それはもう緊張していますという顔のメイがいた。


 カイトの親の住む、マンションの扉の前。


 まるで、これからみんなの前で、演説でもさせられるかのようだ。


 ちょっとでも脅かせば、走って逃げるくらいの心拍数を刻んでいるに違いない。


「おい…」


 声をかけると、それだけでもビクッと顔を上げて。


 どうしよう、私。


 そんな言葉が、聞こえてきそうな目で見上げられる。


 どうもすんな。


 カイトは、眉間のシワでそう答えた。


 本当に、どうもしなくていいのだ。


 来る途中の車内で、5回は『私、おかしくないかな』という言葉を聞かされた。


 おかしいどころか。


 今日のメイは、ワンピースとジャケットという姿で。


 化粧も綺麗にしている。


 こんなにめかしこんでる彼女を、いくら自分の親とは言え、カイトは見せたくなかった。


 それ以前に、彼の両親のためにそこまでめかしこんだという事実も、面白くないのである。


 ほら、可愛い女だろう。


 などと、人に見せびらかす趣味はカイトにはないのだ。


 それどころか、『見んな!!!』と思う方が強い。


 彼女の可愛さとかは、自分一人が知っていればいいところであって、ほかのヤツになど一かけらだって分けてやるものか、と思っているのだから。


 ほんの少しでも外部にこぼれ落ちると、自分の取り分が減ってしまったような苛立たしさを覚えるのである。


 だから。


 彼女が望むまでもなく、このまま帰りたいと思っているのは―― 本当は、カイトの方なのだ。


 大体、このマンションは大昔から住んでいるところで、一階上にはシュウの両親が未だ健在だ。


 時々入れ替わりはあるものの、周辺住民にはカイトの顔は知れ渡っている。


 子供の頃からの悪行のせいでもあるが、その悪ガキがついうっかり、子供の夢であるゲーム会社の社長なんかになってしまったことが、いろんな情報源から漏れてしまったせいでもあった。


 だから、もしいま隣の家の玄関でも開いたら。


『あらー、カイトちゃんじゃないのー! ひさしぶりー! 出世したんだってねぇ』


 と、バシバシ背中を叩かれる可能性が高いのだ。


 そんな姿をメイに見られたくなかったし、自分だってそんなメにはあいたくなかった。


 こんなヤバイ場所に、長居は無用。


 とっとと、用事を済ませて帰るにこしたことはない。


「行くぞ」


 そう言いながらも、メイが緊張している理由は、一応は分かっていた。


 一応というのは、会わせる相手が自分の親で、カイトにしてみれば分かり切っている相手でもあるので、その緊張は不必要だと思っているせいだ。


 理解はできるが、ムダとしか思えなかった。


『普通にしてりゃ、それでいい』


 そう二度ほど言ったのだが、彼女には通用しないらしい。


 となると、もう直接会わせた方がいいだろう。


 カイトは、玄関のドアに手をかけた。


 そのまま開けようとして、一歩踏みとどまる。


 チャイムを、鳴らした方がいいのだろうか、と。


 自分一人なら、絶対に鳴らさないだろう。


 しかし、今日の連れはメイで。


 彼女の紹介として、帰ってきたのである。


 客として―― などと考えかけたがやめた。


 ここは、どう見ても自分が子供の頃から暮らした家で、もし親相手にチャイムなんか鳴らした日には、熱でも計られそうな気がしたのだ。


 特に、母親の方が口さがないので、メイの前で何を言われるか分かったものではない。


 無言で、カイトはその金属のドアを引き開けた。


 ガチャン。


 重苦しい音のおかげで、誰か帰ってくればすぐに分かる家だった。


 部屋で一人で悪さしている時でも、慌ててベッドの下に押し込んで隠したり、何事もなかったかのように違うことをしたりと、なかなか好都合だった。


 今日も、そういう意味では好都合だ。


 きっと、親にしてみれば、『きたっ!』というところだろうから。


 掃除してやがる。


 カイトは、感心した。


 玄関まわりが綺麗になっている上に、靴箱の上には花なんか生けているのだ。


 出しっぱなしなはずの靴も、どうやら靴箱に綺麗に押し込んでいるようで。


 さすがに、息子の妻が来るということで、母親も気を使ったらしい。


「カイト? 帰ってきたの?」


 その母親本人が、近づいてくる声がした。


 帰ってきたのと言いながら、すでに確信しているようだった。


 しかし、声が少しうわずっているのは、やはり初めて会う相手が来たということで、緊張しているのだろうか。


「おう」


 どうにも、母親相手の言葉も難しいものだ。


 反抗期を過ぎてからは、滅多にコミュニケーションを取らない生活が続いたし、相手が構ってくるのが鬱陶しいばかりだと思っていた時期もあった。


 その上、昔から自分のバカなところも何もかも、知られている相手なのである。


 母親という地位にいなければ、抹殺に値したかもしれない。


「ああ、もう遅いじゃない…待ってたのよ」


 ひょっこりと玄関に顔を出す母親。


 彼の色具合と体型は、母親にもらったとしか思えなかった。


 同じ髪と目。


 痩せ形で髪も短くしているので、並んでいなくても親子だとバレてしまう。


 この時、既にカイトは自分の踵をうまく使って、靴を半分脱ぎかけていた。


 狭いマンションの玄関なのだから、2人がずっと立っているには悪いところだったのだ。


 しかし、母親の目は、息子なんて見ていない。


 声は彼に向けていたけれども、その奥の存在が気になって気になってしょうがないようである。


 んなに、見んな!


 気恥ずかしさが高まって母親を睨みつけるが、そんなカイトの様子などお構いなしだ。


 やっぱり、このまま帰りたくてしょうがなかった。


 最後まで、こんな好奇の目に、さらされなければならないのだろうか。


 勝手知ったる自分の親相手に、こんな思いをするなんて―― 具合が悪くてしょうがなかった。


「あ、あの…初めまして」


 ぺこりっ。


 振り返らなくても分かった。


 カイトの背中で、メイが慌てて挨拶の言葉を選んで頭を下げたのだ。


「あら、こちらこそ初めまして…うちの愚息がお世話になってます」


 ほほほほ。


 緊張した2人の女の挨拶に、カイトの方が居心地が悪くなる。


 大体、こんな狭い玄関でひしめきあって、どうしようというのか。


 父親が出てこないのが、せめてもの救いか。


 しかし、今頃リビングの方で、こっちが気になって新聞を逆さまにでも読んでいるに違いない。


 カイトは、靴を脱いで母親を押しのけるようにして上がる。


 そして、後ろを振り向いた。


 緊張して張り付いた、ぎこちない笑顔だ。


「いいから、上がれ」



 母親よりもカイトの方が気を回せるなんて―― これが、最初で最後だったかもしれなかった。

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