01/21 Fri.-3
◎
勝手知ったる他人の家。
ハルコは、今日もいそいそとカイトとメイの愛の巣に、ミツバチのように現れた。
ここに、一番甘いミツがあるということを知っているのだ。
8の字ダンスでも、踊りたいくらいだった。
最近、毎日が楽しくてしょうがない。
おなかの子も、そんな気配を察しているのか、大変順調でご機嫌のようだった。
しかし、そんな彼女の浮かれ具合とは逆に、家の中はシーンとしている。
あら?
玄関のところで、ハルコは怪訝に足を止める。
不在なら、玄関にはカギがかかっているはずだ。
開いていたということは、メイは家の中にいるに違いないのに。
二階かしら?
そう思いながらも、一応ダイニングの方を覗く。
すると。
「あらあら…」
ハルコは、にっこりと微笑んだ。
メイはそこにいたのだが、椅子のところでうたた寝していた。
コクッ、コクッと、頭が前に傾いで船をこいでいる。
膝の上にあるのは、編みかけのセーターで―― このまま写真におさめたいくらいの、ベストショットだった。
とても、幸せそうなうたた寝に見えたのだ。
お茶でもいれようかしら。
そうしているうちに、彼女が目覚めるだろうと思いかけたその時。
ハルコの目は、見逃さなかった。
「まぁ……!」
思わず飛び出した感嘆の声に、メイの身体がびくっとする。
起こしてしまったようだ。
しかし、その事実を詫びるより先に、ハルコの手は動いていた。
「これは、カイト君にもらったの?」
彼女の左手を捕まえて持ち上げるなり、質問の第一声が飛び出る。
メイの方はというと、いきなり間近な声でびっくりして飛び起き、お客がハルコであることに気づき安心するまで、もうちょっと時間がかかるようだった。
瞬きをいっぱいしながら、落ち着かない目でハルコを映していた。
「ああ、ごめんなさいね…ちょっと驚いて」
予想以上に、はしゃいでしまった自分に気づいて、彼女は苦笑した。
しかし、気になる。
メイの左手に輝いている、プラチナ・リング。
いままで、一度だって彼女の指にリングはなかった。
なのに、今日になって突如現れたのである。
頭の中に、カイトがどうやってメイにリングを渡したか、という疑問が渦巻く。
彼が自分で指輪の必要性に気づいたのだろうか、という根本的な部分から、指輪をはめさせるまでの過程を想像しようとするが、なかなかうまくいかない。
メイが、ねだったのだろうか―― いや、それもありえないような気がした。
夫の入れ知恵かとも思ったが、家で彼はそういうことを話していなかった。
早く、彼女の口から謎を解いてもらわないと、ハルコは今夜眠れそうにない。
しかし、あえて深呼吸を一つして。
「一緒にお茶でも飲みながら、ゆっくり話を聞かせてね」
そう言って、調理場の方に向かう。
焦ったら、青い鳥が逃げそうな気がしたハルコは、誰よりも我慢強かった。
※
あの手。
この手。
というワケではないが、恥ずかしがって余り自分から語ろうとしない相手を前に、何とか話題を誘導して、少しずつ全容を明らかにしていった。
まあ、まあ、まあ!!!
一つ出てくる度に、ハルコは嬉しい驚きに包まれた。
あのカイトが、自分から彼女を宝石店に連れて行ったのである。
この事実だけでも快挙なのに―― その上、カイトも結婚指輪をしているというのだ。
いままでの彼を知るハルコからしてみれば、信じられなかった。
カイトが指輪を。
世の中のカップルを、いつも『ばっかじゃねーの?』と、思っていたような彼である。
たとえ結婚指輪とは言え、そういう『愛の形』なるものを、喜んで受け入れるとは思わなかった。
つくづくメイという人間の、彼への影響力の凄さを思い知らされるのだ。
あのカイトが、結婚式で見せ物になることを許可したのも。
結婚指輪を買ってはめたのも。
全部、彼女がいたからこそ、だ。
しかし。
その事実をメイは、100%正しく受け止めてはいなかった。
受け止めているなら、もっと自分が愛されている自信というものが、オーラで表れているに違いない。
確かに、彼に愛されて見違えるように綺麗になっているメイだったが、きっと少しずつしかカイトの気持ちを受け入れられないのだ。
それは、カイト君も一緒ね。
彼女の一言一言から、いかにカイトのことが好きなのか溢れ出してくる。
けれども、そういう端々から気持ちを拾うのが苦手な相手に言うのでは、実力の50%も発揮出来ないだろう。
「よかったわね」
指輪事件をあらかた聞き出したハルコは、最後に笑顔でそう言った。
「まだ、ホントは…信じられないんです」
困ったような笑顔で、メイはそう言った。
「なにもかもが唐突でいきなりで、気づいたら…今日になってた、みたいな感じで…あ! あの、その…幸せじゃないとかそういうことじゃなくて…すごく、幸せなんですけど…まだ、やっぱり実感がなくて」
こういう話は、カイトには出来ないに違いない。
彼に話そうものなら、きっと怒鳴られてしまうだろうから。
それを想像すると、ハルコはおかしくなった。
カイトなら、彼女にどう『実感』とやらを持たせようと努力するのだろうか―― と想像してしまったせいだ。
メイの不安も、もっともだと思った。
これまで、カイトと積み重ねてきたものが、あまりに少ないのだ。
きっと、まだお互いのことを、ほとんど知らないに違いない。
ちゃんと、彼らは家で会話を交わしているのだろうか。
今まで、そういうシーンというものを、ほとんど見たことがないような気がする。
交わしているとするなら、どんな会話をだろうか。
しかし、それをハルコたちが見ることは、難しいだろう。
彼ら夫婦が現れると、カイトは臨戦態勢になるからだ。
ソウマが、いつもからかうせいよ。
自分を棚上げして、夫を軽く責める。
確かに、カイトに分かるようにからかうのは、ソウマの方なのだ。
まだハルコ相手の方が、彼も情状酌量してくれているような気がする。
「どうせカイト君のことだから、あなたが安心するほど、『好きだ!』とか言ってくれないんでしょう? 『おまえしかいねぇ!』とかも言ってなさそうねぇ」
彼女の気持ちを持ち上げるように、ハルコはわざとカイトの口真似をした。
勿論、そんなことを言ったのは聞いたことがないけれども、言うとしたらこんなカンジだろう、と。
「そっ、そんな!!」
笑うかと思いきや、メイは真っ赤になって飛び上がった。
滅相もない、というカンジだ。
やはり、カイトの口に期待してはいけないようである。
「それは…カイト君が悪いわねぇ……今度、ねだってみたら? 『私のこと…好き?』って聞いてごらんなさい」
あまりにその様子がおかしかったので、笑顔をこらえきれずに―― 今度は、メイの口真似をすると、ますます彼女は真っ赤になってしまった。
「そのくらい言わないと、カイト君の愛の言葉は期待できそうにもないわねぇ」
可愛らしい形の愛を見せられて、ハルコはもう微笑むしかなかった。
そんな風に、メイを撃沈させたかと思いきや。
「ソウマさんは…その、おっしゃるんですか? 『お前しかいない』とか…」
きっと、彼女は純粋によその様子が気になったのだろう。
自分たちを知る上では、周囲がどのようになっているかということと比較するのが、一番てっとり早いので。
しかし。
「まぁ…!」
そんな反撃が来るとは思っていなかったため、ハルコは答えに詰まって、不覚にも頬を赤らめてしまったのだった。




