01/21 Fri.-2
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「あー!!!」
寝不足の頭には、突き刺さるような絶叫だった。
カイトは、のぞき込んでいたディスプレイに、そのまま思わず頭をぶつけてしまいそうになったが、何とか踏みとどまる。
一体何事なのか。
顰めた顔のまま、カイトはうろんに振り返った。
声の主にも、心当たりがなかった。
どう聞いても、女の声である。
このチームに、女はいなかったような記憶があるのだが。
振り返ると、ぎょっとする。
何しろ、その女が彼の方に、すごい勢いで近づいてくるのだから。
な、な、何だー???
そのモーレツぶりに驚いていると。
「シャチョー! これ、結婚指輪? 結婚指輪ですか?? いつ結婚されたんですか???」
その女は、いきなり彼女自身の左手を持ち上げて、薬指をせっかちに指した。
チームのメンツが、その声に全員一斉に、カイトの左手に視線を集中させる。
「ああ、第三チームからの応援ですよ。名前は、えっと…」
チーフが、その大騒ぎ娘の横からフォローを入れてきて、ようやく会社関係者であることが分かった。
しかし、分かったからと言って、現状が改善されるワケではないのだが。
「ハナです! 一生懸命がんばります! 第一チームに入るのが夢です! よろしくお願いします…でも、それ結婚指輪ですよね?」
マシンガンとは―― このことを言うのだろうか。
紹介されたので、ついでに自己PRを付け足し、なおかつ最初の話題をも蒸し返す。
このまま騒がれていては、みんなの興味もこの指輪からはがれないではないか。
本人にしてみれば、この指輪のことは、誰にも知られたくないし、見られたくないというのに。
見られたくないなら、はずしておけばいいのだが、苦しいことにそれも出来ないのだ。
何しろ、この指輪はメイがはめてくれたのだから。
あんなに、彼女を幸せに出来た証をはずすのは、胸が痛んだのだ。
会社の間だけはずす、ということも考えてはみたが、落としたりなくしたりしたら大変だし、家に入る時にはめるのを忘れていたら、彼女が悲しむように思えた。
だから、いろんな葛藤と戦いながらも、指輪は外せないままだったのである。
「仕事にゃ関係ねぇ! とっとと仕事しろ!」
カイトは怒鳴った。
その怒鳴りは、同時に周囲の連中にも『絶対言及するな!』という釘差しでもあった。
もし言及しようものなら、この通り怒鳴られるぞ、という脅しだ。
第一のスタッフたちは、その怒鳴りに、蜘蛛の子を散らすように各自の作業に戻ったが、ハナという女は目の前でちょっと首を傾げていた。
少し不満そうな顔で。
「YESかNOで済む質問じゃないですか。どうして答えられないんですか? みんなだって、あんなに気になってるみたいじゃないですか。それに、もしここでシャチョーが結婚についてナゾなままにしていると、逆に変な噂が立ちますよ」
結婚相手が誰だとか、結婚生活がどうだとか、聞いてるワケじゃないのに。
バババババババッ!!
またも、マシンガンが乱射された。
カイトは、目をむいたまま彼女を見た。
信じられないほど、気の強い女である。
開発に入る女である時点で、かなりの根性がないと難しいが―― カイトに、ここまで言う相手は初めてだった。
これまで、よく大きなトラブルなしに、人生を生きてきたものだ。
ちょっと『男』であるという事実に対して、プライドの高いヤツに出会って、こんな調子で食ってかかろうものなら、内容が正論だろうが何だろうが危険である。
そういう意味では、女という生き物は損だと、カイトは思っていた。
戦う人生を選んだ時、余計な困難が目の前に降りかかるからだ。
いろんな女がいるものである。
いままで、女の個性というものには興味がなかった。
母親やハルコが、今まででは一番身近な女性だったが、興味という点ではなかったのだ。
しかし、メイと出会ってから、『女』という生き物が、断片的ではあるが見えるようになったような気がする。
きっと、このハナという女は、戦うのが好きな女、なのだ。
戦うことで、自分の強さが証明できることを、いままでの人生のどこかで覚えたのだろう。
「分かりました…」
カイトが、目つき悪くだんまりになってしまったので、ようやくあきらめたのか、ハナはふーっとため息をついた。
彼の根気勝ちである―― と思われた直後。
「シャチョーは、結婚されたんですね」
ぱっきり。
そこらの木の枝でも手折るように、あっさりと彼女はそんなことを言った。
「否定するなら今ですよ……ここでシャチョーが『オレは独身だ!』と否定しなければ、結婚しているということに決定的になってしまうでしょう?」
にまっ。
さあ、どうぞ。
そして、笑顔で否定を要求してくるのである。
その問いかけが、あまりに新しい手法すぎて。
少なくともカイトのわずかな左脳では、速攻で処理出来ないレベルの内容だったのだ。
固まったままのカイトを目の前に、ハナは自分の腕時計を見た。
「10秒たちました! 結婚おめでとうございます!」
何が10秒で。
何がおめでとうございます、なのか。
なのに、もうこれで100%確定しましたと言わんばかりに、彼女は笑顔で祝福の言葉などを並べるのだ。
「ほらほら、ほかのスタッフの皆さんも! シャチョーが結婚したんなら、みなさんだって『おめでとうございます』って言いたいでしょう?」
おまけに。
せっかく散った蜘蛛の子を、また笛で呼び集めるのである。
ま、待て。
カイトは止めようとした。
なのに、ハナはみんなを立ち上がらせて、彼の方を向かせるのだ。
チーフなんかは、おかしくてしょうがないという表情をしていた。
「はい、みなさんご一緒に…!」
「「「結婚、おめでとうございます!!」」」
カイトは、全員の祝福に針のむしろでスマキとなった。
「仕事しろー!!!!」
ぶっ殺すぞ、てめーら!
今度の怒鳴りは、ようやくマシンガン娘も蜘蛛の子にしたのだった。
「あのマシンガンは…第一に入れんじゃねーぞ…」
ようやく騒ぎの静まった開発室で、カイトはすっかり疲れ果てて、ぼそっとチーフに言った。
「女性だからですか?」
意外そうに眉を上げて、でも何か嬉しそうな光があるのが、カイトをムッとさせた。
「違う」
さっきの事件を思い出すと、ますます機嫌が悪くなる。
「じゃあ、何故ですか?」
チーフのしつこい問いかけに、カイトは舌打ちした。
「マシンガンだからだ…」
それが、カイトの答えだった。
「それじゃあ、理由にはなりませんねぇ」
彼は笑って、自分の仕事に戻ってしまった。
使えないチーフだ。
しかし、カイトは―― 自分がハナのゲームをプレイして、入社を決定したことは覚えていなかった。




