01/20 Thu.-5
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「もう一つは…私がカイトにはめてあげたいな…」
メイが、そう言った時。
カイトは、またも硬直してしまった。
どうしてこう彼女が絡むことに、イチイチ不意打ちを食らってしまうのか。
理解し難い乙女思考というものが、またしても大きく立ちはだかったような気がした。
これがほかの女ならば、きっとその気持ちを理解したいとは思わなかっただろうし、小馬鹿にして終わりだっただろう。
けれども、カイトにそう言ったのは、ほかの女ではなかった。
メイなのだ。
カイトは、自分には指輪は似合わないと思っている。
たとえはめたとしても、周囲にそういう目で見られるのが腹が立つのだ。
ソウマやハルコ。
それに、社員たち。
彼が指輪をはめるような人間だと思われたら、それだけで何故かナメられそうな気がしたのだ。
人に、からかう隙を与えてしまうというか。
なのに。
彼女が、そうしたいというのだ。
カイトのために、指輪をはめてあげたい、と。
指輪なんかイヤだという気持ちが、身体の中で渦を巻く。
モンスターのように荒れ狂って、地上のものをすべて破壊しようとした。
あんぎゃー!!!!
その破壊の大地に、メイと同じ姿をした天使が降りてきてしまったのだ。
カイトは、マズイ漢方薬を口いっぱいに押し込められた顔で―― 左手を突き出さなければならなかったのである。
無敵かと思えた破壊獣カイラは、あっさり天使に倒されてしまったのだ。
不幸だったのは、即死ではなかったこと。
即死できていれば、飛び交う自分のプライドその他に、苦しめられずに済んだというのに。
天使は、残酷な慈悲深さを持っていたのだ。
突き出した左手で、まず白いケースを彼女に渡す。
恥ずかしそうに、でも嬉しそうに受け取って、彼女はそっとケースを開けた。
そのすべての動作の中に、彼女の左手が登場するのだ。
部屋のあかりに、きらきら輝いて見える銀色。
似合うとか似合わないというよりも、それが自分の妻であるという、外部への象徴であることの方が、彼の意識を拘束していた。
そんな視線にも気づかずに、メイはついに中から指輪を取り出して、ケースを空っぽにしてしまったのだ。
その空の方を、ベッドの上に置く。
彼女の手はあまり大きくはないので、ケースを持ったままでははめることが出来ないのだろう。
それだけ、指輪をはめるという行為に集中されそうで、カイトを更に落ち着かなくさせた。
キラキラの左手が、彼の手に触れてきた。
いままさに、カイトの薬指を狙おうとしているのだ。
メイの右手が、慎重に輪っかを持って近づいてくる。
そのイヤな緊張感に、彼の身体は固くなった。
何しろ、人に指輪をはめてもらうなんてこれが初めてなのだ―― 第一、指輪自体はめるのは、これが初めてだった。
何で、オレが指輪なんざ。
それは、アクセサリーで。
それは、チャラチャラしたもので。
それは、軟弱の証で。
カイトの中で、これまで指輪に対して積み上げてきた考え方が、彼に現状を拒ませようとするのだ。
そっ。
薬指の両側に、金属やメイの指の温かさが触れる。
それは、カイトをゾクッとさせた。
逆なでられるような感触だ。
途中まではすんなり。
そうして、さっきの彼女の時と同じように、あとちょっとというところで、一回止まる。
メイは、一度指輪に触れる自分の指の角度を調整しなおした後、一生懸命な顔でぐっと力を入れた。
皮膚を擦る感触の後、かすかな拘束感が薬指の根本にあった。
ついに。
彼の左手に、おさまってしまったのである。
しかし、はめ終わったからといって、メイはすぐに手を離してしまわなかった。
そのまま、じっと彼の指輪をみているのである。
顔が上がる。
「ほら…すごく似合う」
嬉しさを隠しきれない瞳が、カイトを見上げた。
どこが似合うんだ、と自分では思う。
まだ、しっかりじっくりとは眺めていなけれども。
なのに、彼女がこんなに喜んでくれたのだ。
すごく幸せそうである。
この指輪が、メイを幸せにしたのだ。
ひいては、カイトの考えで彼女を幸せに出来たのである。
オレが。
いまのメイの笑顔を作ったのだ。
クッ!
バンッと、身体の中がバーストした。
この指輪騒動の直前まで燃えていた炎は、鎮火していなかったのだ。
燃え続けていた炎に、油が降り注いだのである。
彼女の笑顔と、それを取り巻くいろいろなことのせいで。
クソッ!
その衝動を、今度は止められなかった。
1%未満といわれる理性の声は、彼には届かなかったのである。
『優しく』、という声だったのに。
愛おしいという気持ちだけで出来た、火の生き物になる。
「あっ…!」
いまの時間も、明日の朝のことも―― カイトは何も考えられなかった。
ベッドの端から、白いケースが転がり落ちた。
※
左手は、カイトにとっては利き手だった。
彼女に一番触れる手の方に、指輪があるのだ。
もうその金属は冷たくなく、彼の体温と同じ温度でしっかり馴染んではいたが、まだカイトはその有様を見られないままだった。
そうして、隣に眠っているメイの左手を捕まえる。
起こさないようにそっと。
ベッドランプにちかっと光ったそれを見ていると、また愛しさが溢れてくる。
こんな指輪という物体に、彼は感情を呼び起こされるとは思ってもみなかった。
この世の中に存在するいろんなものの中で、自分にとって意味のあるものがいくつかある。
存在自体の意味と一緒に、記憶や感情も押し込められるモノがあるのだ。
きっと、これがそう。
彼女に、『自分があげた』と、はっきり自覚出来るもののせいかもしれないが。
この指輪が、特別なものであるということだけは、彼もはっきり認識出来た。
「カイ…ト?」
じっと左手を眺めていたせいか、彼女が起きてしまった。
声が重いのは、眠りの淵にいたせいか。
それとも、さっきのカイトの無茶のせいか。
どうしても、愛しさが炸裂すると自分を押さえきれない。
本当は慈しみたいのに、むさぼるばかりだ。
どうしようもない。
彼女を側に置いていると、すぐに平静でいられなくなるのだ。
そっと抱き寄せながら、彼はベッドランプを消した。
「寝ろ…」
「ん…」
そう答えたにも関わらず、メイの手が彼の身体に触れる。
何気なく、ではなく。
微かな意思がある動きだ。
何をしているのかと怪訝に思うまでもなかった。
彼女の、おそらく右手が―― 彼の腕をたどって指先にたどりついたのだ。
確かめるように、カイトの左手に触れるのである。
薬指が。
探られた。
また、彼を火だるまにする気か。




