表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/198

01/20 Thu.-3

 どう見ても、『ありがとう!』と言おうとしているのが明白な瞳が、駆け寄ってきた。


 その言葉を禁止すれば、少しは自分の心を安全圏に置けるとか、と思っていたのに。


 しかし、予想外の反応がきた。


 禁止された言葉も、ほかの言葉も、何も使わないで。


 彼女は、カイトの身体を抱きしめてきたのだ。


 腕が。


 メイの身体全体が。


 精一杯の大きな声で、カイトに嬉しい気持ちを投げつける。


 それを、いきなり無防備のまま叩きつけられたのだ。


 現実を把握できないまま、彼の魂は抜けそうになっていた。


 いま、メイがオレを。


 オレを。



 オレを、オレを、オレを!!!!



 しかし、把握できたらできたで、カーッと一気に全身に血が駆けめぐるのだ。


 意識が、端から暴発していきそうな熱量だった。


 同時に、奥底から衝動がわきあがってきて。


 ただデクノボウのように、抱きしめられっぱなしの現状なんか、耐えられなくなってしまったのだ。


 腕に指令を出して。


 メイを、いまやまさに抱きしめようとした時。


 ハッと、彼女が飛び退いてしまった。


 あぁ???


 もう半瞬後だったら、間違いなく彼の腕は動いていて―― しかし、そのタイミングだったら、スカッと空を切っていたかもしれない。


 その不意の喪失感に、何事かと彼女を見ると。


 わたわたと。


 どうやら、いま自分がやったことが、恥ずかしくてしょうがないというような慌てた態度で、視線をそらした。


 今にも、カイトが抱きしめそうなことを、予感して逃げたワケではないのだ。


 などと、悠長に観察している余裕は、彼にはなかった。


 意識の中の、1%未満の理性だけは探知していたが、カイトの中枢部に届くまで、全然時間が足りなかったのである。


 本能の方が、はるかに早かった。


 離れた身体との距離を、あっという間にマイナス寸前にしたのだ。


 さっき彼女が向けた力よりも、もっと強い腕で抱きしめる。


 こうすれば、自分が満足するのだと、やはり1%未満の意識が、棒グラフのゲージを下降させようと指令を出している。


 しかし、それはかなりの計算ミスだった。


 抱きしめたら、この『ゼロ』の距離さえ、もどかしく苦しいのである。


 唇なら。


 カイトは、彼女の頬を捕まえて上に引っ張り上げた。


「む…んんっ」


 唇なら―― ゼロ未満に出来る。


 メイ…。


 心の中で、名を呼ぶ。


 理性のゲージの方が、1%未満を更に大きく下回った。


 キスのよいところは、言葉を探す必要がないことだ。


 彼女を傷つけないようにとか、誤解されずにうまく伝えなければとか、そいう努力はいっさいいらない。


 ただ、気持ちのすべてを唇と舌に乗せて、メイの熱い海の中に飛び込ませさえすればいいのだ。


 ダメだ。


 唇でも追いつけない。


 痛いくらいにそれがわかる。


 離れたがらない身体を、一度メイからもぎはがすために、彼はどれだけのエネルギーを消費したか。


 しかし、それは身体を二つに分けたままにしておくためではなかった。


 乱れた呼吸を、戻そうとしている彼女の腕を掴むや。


「あっ!」


 その突然の行動に、彼女は驚きの声をあげる。


 構わず引っ張った。


 この家の中で―― 唯一、彼女とひとつになることが許されているエリアが、すぐそこにあるのだ。


 『優しくしてやれ!』という、消えかけた理性の声が聞こえた。


 カイトは、ベッドの側で急停止した。


 理性がいなければ、彼女を乱暴にひっくり返していたかもしれない。


「寝るぞ…」


 押し殺した声を出す。


 これで。


 これで、全て彼女に伝わるはずだ。


 いま、カイトがどれほどメイに荒れ狂っているかが。


 拒まれるはずがない。


 ふかふかで上を歩くには安定の悪いエリアは、メイが絶対に『イヤ』だとは言わない場所なのだ。


 彼女と身体を触れ合わせてからというもの、『ただ眠る』だけだったベッドが、一瞬にして黄金郷になった。


 毎日、意識を眠りに奪われるのが、憎らしいくらいである。


「あ、待って…」


 拒まれるはずがない―― ハズだったのに。


 アクセルを、ブンブン吹かしているカイトのサイドブレーキを、彼女はギッと引いてしまったのだ。


 心の中で、カイトの車は激しくスピンした。


 峠だったら、いまごろガードレールを突き破って、綱無しバンジーだったに違いない。


 なっ。


 何でだ?


 驚いた目のまま、ばっと彼女の方を向く。


 何を、彼女は待てと言うのか。


 カイトに対して、こんな残酷なことはなかった。


 そんな彼の目の前に。


 白い。


「あ?」


 カイトは、間抜けな声になってしまった。


 慌てていま出た言葉をナシにしたくても、もう無理だ。


 既に、口から飛び出してしまったのだから。


 しかし、メイの方は、声が間抜けであったことに神経を向けていないようだ。


 彼の目の前に、白いケースが差し出されたのだ。


 もう、その存在のことなど、すっかり忘れきってしまっていた。


 今更現れたせいで、あんな声が出てしまったのである。


「しても……いい?」


 恥ずかしそうに赤い顔をして、少し不安そうに聞かれた。


 どうやら、指輪のことらしい。


 はっと、彼女の左手を見る。


 まだそこには、指輪はなかった。


 ケースに入れたままにしているのだ。


 何故、許可を取られるのか分からなかった。


 彼女の指を飾るために買ったのだ。


 ケースに入れて眺めるためじゃない。


「あ…でも、式まで待った方がいいのかな…」


 指輪の、交換。


 ぽそっと付け加えられた言葉で、メイが何に遠慮しているのか分かった。


 式のどこかであるという、『指輪の交換』なる儀式の時まで、新しいまま取っておかなければならないかと考えたらしい。


 式なんざ!


 カイトは目をむいて、彼女からその白いケースを奪った。


 式なんざ、おまけだ!


 彼らは、既に結婚しているのである。


 だから、結婚指輪をしていい―― いや、していなければならないのだ。


 あんな恥ずかしい思いをしてまで、手に入れてきたというのに、あと1ヶ月、彼女の薬指を空っぽにしておく気は、カイトにはわずかもなかった。


 有無も言わさず、フタを開ける。


 うっ。


 一瞬、ひるんだ。


 ケースの中には、プラチナの指輪が二つ、仲むつまじく光っていたのである。


『愛』


『慈しみ』


 そんな額縁に入っていそうな言葉が、その小さな空間に圧縮して詰め込んであったのである。


 トラップつきの宝箱を、開けてしまった気分だった。


 クソッ。


 その落ち着かない苛立ちのまま、小さい方の指輪を掴み出す。


 とにかくこっちを。


「手ぇ出せ!」


 本日、二度目のその言葉だった。



 ※



 おずおずと、メイは手を出した。


 恥ずかしそうに、ますます頬が赤らんだ。


 が。


 ソファの時とは何か違った。


 そう。


 彼女は、手の甲を上に差し出したのだ。


『違う、手の平を上にしろ!』


 そう訂正しかけた。


 でないと、メイに指輪を渡せないではないか。


 手の甲に乗せたら、落ちてしまう。


 ハッ!


 しかし、そんな無粋な言葉を出してしまう前に―― カイトは気づいてしまった。


 ま、待て。


 汗が流れる。


 ゴクリと唾を飲んだ。


 彼女は手の甲を上に、そして左手を出していたのである。


 カイトの言った手を出せという言葉を、どう解釈したのか。


 彼は、ただ指輪を渡したかっただけであって。


 だが、この状況から推測するに。



 カイトが、この指輪を、彼女の、薬指に、はめなければ、ならないのか。



 うわぁぁぁぁ!!!!



 パイプ椅子を持ち上げ、コックピットの機械を全てめった打ちしたい衝動のまま―― フリーズした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ