01/19 Wed.-4
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指輪なんか似合うもんか。
午前2時。
カイトは、ようやく家に帰り着いた。
仕事でのトランスが抜け落ちると、雑多な記憶の洪水に悩まされる。
その中の一つが、今日の大きな出来事の、『指輪事件』だった。
何を血迷ったのか、メイは「似合う」と言い張った。
信じられないことである。
オレが指輪。
ふっと、玄関先の明かりでちらと自分の指を見る―― 何をしてんだ、オレは。
カイトは、ばっと乱暴に手を払う。
お前の役割は、指輪を飾る台ではなく、このドアを正確に開けることなのだと教えてやらなければならなかった。
モノには、分相応というものがあるのだ。
毎日の仕事を、手は忘れていなかった。
「おかえりなさい!」
一瞬、完全に手に意識を取られていた。
だから、ドアの内側からそんな声が聞こえたのには、心底びっくりしたのだ。
メイの声だ。
ぱっと視線で探すと、彼女はパジャマで階段を駆け下りてくるところだった。
寝てろっつっただろ!
カイトの中でそんな音が弾けるけれども、言葉にはならなかった。
メイが、本当に嬉しいという気持ちを山ほど込めて、いっぱいの笑顔を浮かべていたのである。
そんな笑顔を見せられて、さっきよぎったセリフなんかを怒鳴ろうものなら。
きっと一撃で、その笑顔を粉砕してしまうに違いなかった。
笑顔を長く味わうためには、カイトの我慢が要求されたのである。
犬ころみてーに。
全身から、「おかえりなさい!」を発されてしまうと、カイトだって悪い気はしない。
もとい―― 内心、躍り上がっていた。
こんなにまでも、自分が必要とされている。
そんな風に受け止められたのだ。
ガタッ。
2歩踏み込んで、身体を抱き留める。
メイが、こういうケースで自分から抱きついてくるワケがなかった。
一歩手前で立ち止まって、「おかえりなさい」ともう一度言う気だったのだろう。
だから、カイトは2歩踏み込んだ。
彼女が完全に停止する前に、自分の胸の中におさめたのである。
愛しさばかりの、胸の中に。
戦場から生きて帰ってきた兵士は、妻がその間、いかに自分を思っていてくれたかを知るのである。
こんな幸せなことはなかった。
気持ちが、一気に溢れ返る。
今日は、途中で一度出会ったというのに。
それでも、こんな熱烈歓迎で出迎えてくれるのだ。
平静でいられるはずがなかった。
「寝てろっつっただろ…」
最初に考えたのよりは、2オクターブも低く静かな声で、それを言う。
本当は言いたくなかったのだが、これで許可が下りたのだと勘違いされては困るからである。
イヤに喜んでいる自分をも、もう片方の手で押さえつけた。
メイを押さえる手の、100倍は強い力で。
『お前も、手放しで喜んでんじゃねー』と。
自分の幸せばかりじゃなくて、彼女をもっと幸せにできるように努力をしろと、蹴り飛ばすのである。
「だって、またタヌキ寝入りになっちゃうから…それくらいならいっそ、最初に怒られた方がいいって思ったの」
タヌキ。
ポンポコリン。
カイトは、昨日の夜の出来事を思い出して、うっと詰まる。
失態日記の1ページが、カイトの足を引っかけようと狙っていた。
「すぐ、温めるから」
にこにこ。
午前2時だ。
眠いに違いないのに、そんな様子は微塵も見せずに、ダイニングで夕食になる。
本当は、職場には夜食の買い出し部隊がいるのだ。
それに頼めば、もっと早い時間に夕食にありつくことが出来る。
けれども、メイが用意している夕食を食べる覚悟で、彼は空腹のまま仕事をしてきた。
昨日も、今日も。
実際、いま空腹かと聞かれたら、首をひねるくらいだ。
一番の峠を越えてしまって、その感覚が麻痺してしまっていた。
しかし、用意してもらっているのだから、絶対に食べる。
だから―― カイトは、食卓についたのだった。
メイは、もう夕食は取ったというので、お茶だけを飲みながら。
そんな彼女の目の前で、ガツガツと食事をする。
焼き魚の骨にイライラしながら。
誰かに見られながら、一人だけで食事をするというのは落ち着かない。
大口を開けて、自分一人がみっともない食事風景をさらしているような気がするからだ。
かといって、いきなりお上品を装えなかった。
メイの前では、お手もお座りもする犬だとは、思われたくなかったのである。
勿論、彼女がそんなことを考えるはずがない。
なのに、カイトは盗聴器や隠しカメラでもあるかのような緊張感を、崩せないままだったのだ。
いまにも、その辺からソウマやハルコが、微笑みながら現れそうだったのである。
被害妄想も甚だしかった。
「何か…しゃべれ」
一人、食べ続けるのに耐えられず、彼はぼそっと言った。
自分が口を食べるために使うなら、メイはしゃべるために使えばいいのだ。
何しろ、無駄なおしゃべりというものを、彼らはほとんどしていないのである。
だから、彼女がどういう考えを持っているとか、いままでどんな生活をしてきたのかなど、態度や反応から探るので精一杯だった。
「えっ!」
あのマグカップを両手で持っていた彼女は、すごく驚いた顔で止まった。
「何かって…何?」
驚いた顔のまま、おそるおそる聞かれる。
別に、誰も怖い話をしろと言っているワケではないのだ。
普通に生活をして、普通に感じたことでも何でも―― 彼女を、もっと知りたいだけなのだ。
「何でもいい」
お得意の天気の話でも、この際、今日の指輪とかハルコの話だっていい。
本当は、かなり有り難くはないけれども。
「え、そんな…いきなり言われても、何も」
わたわたとしながら、メイは真っ赤になってしまった。
なぜ、そこで赤くなるのか。
まあ、確かに「これからおまえの話を聞くから、さあしゃべれ!」という環境で、一人ペラペラしゃべり出せる人間には見えなかったが。
すっかり、照れてしまったようである。
「えっと…それじゃあ…教えて? いま、どういうゲーム作ってるの?」
ガッシャーン!!!
確かに。
確かに彼女はしゃべった―― しかし、それは疑問の形で。
カイトを話題に巻き込む内容だったのである。
誰が、オレに話を振れと言ったー!!!
おしゃべりなんか大の苦手のカイトに、何てことをするのか。
希望通りどころか、カウンターパンチである。
「あっ、やっぱり発売前だから、ダメよね…秘密の秘密で作ってるんだもんね」
前に住んでたところの近所の子が、すごくゲームが好きで。
お?
カイトの表情を、勝手に解釈をしたメイは、何故それに興味を持ったかをしゃべり始めてくれたのだ。
結果オーライである。
「その子は、仲良くしてくれた魚屋さんの男の子なんだけど、いつも、やったこともないゲームの裏技とか教えてくれたの。キャラクターの名前とか。どうして旅をしてるのかとか。ゲームで何か重大発見をしたら、まるで、自分が宝の山でも掘り当てたみたいに、すごく嬉しそうに」
とりあえず。
彼女が、近所の魚屋と懇意にしていたのは分かった。
ただ、話に出てきた息子(?)が気にかかった。
一体いくつくらいなのか。
カイトが子供の頃から、家庭用ゲーム機はあるのだ。
だから、メイの幼少時代の話にさかのぼっているとするなら、幼なじみというケースだってありえる。
彼女は、その頃を思い出しているのか、懐かしそうであったかい表情になっていた。
オレがいない時代の話。
それを聞きたかったクセに、聞いてしまうと、どうして自分がそこにいなかったのかが悔しくてしょうがない。
まるで、両親の結婚式の写真に、自分が写っていないとゴネる子供と同じだ。
そして、気になるくせに聞けないのだ。
その子とやらは、いまはいくつなのかと。
どうせ、ガキだ。
そう思っているにも関わらず、気になる。
「実は…」、などと続けられ、もう一段深い箱のフタが開くのを恐れいるのだ。
大体、裏技でもストーリーでも、どんな隠れキャラでも、カイトの方がそんな子供よりよく知っている。
もっと、いろいろ彼女に教えてやれるのだ。
そんなことを、張り合ってもしょうがないのだが。
カイトは、すっかり子供じみたスネに入ってしまった。
オレの方が、と。
「オレの作ってるゲームは……」
だから、彼はいま自分が携わっているゲームの話をし始めた。
さっきの気分を払拭してしまうために。
内容は、雑誌で発表されている程度のものだったのに。
メイの目は、キラキラになって「それから?」「それで?」と聞くものだから、箸を止めたまま30分もしゃべってしまった。
2時半過ぎという事実に気づいて、自分を罵倒する。
また、失態日記に新たな1ページを加えてしまった。




